友人、恋人、下僕、お好きにどうぞ。
1.出会い
「おはようございます。姫」
……………
………
…
やっぱり夢じゃない。
蒔田凛子(まきたりんこ)は頭を抱えて布団に潜り込んだ。
あれはなんだろう?どうしてまたいるんだろう?
しかも姫?
私の頭のネジが取れたのか、それとも脳内の何かが弾けたのか…。
暗い視界といつもの布団の香りに落ち着けと自分に言い聞かせる。
何分かたってから、凛子はそっと布団から顔を出した。
「姫」
語尾にハートマークがついてそうな言い方と、可愛い笑顔に、凛子は気が遠くなりそうだった。
これは、現実。
なの…よね?
前日、仕事から帰っているときに、いつもと違う道を通った。本当にただなんとなく、通った。
その道は、細くて車は入れない。古い町なので、戦前から建っている町家や、年期を感じさせるもの等がまだまだ残っている路地。
一人で歩くのは少し怖いような、人通りの少ない通りなので、駅から家までの近道なのは分かっていても避けていたルートだった。
凛子は地方から出てきてまだ一年ほどしかこの町に住んでいない。なので異世界のような景色にキョロキョロとしながら歩く。
小さな四つ角に差し掛かった時、ふと人の姿が目に入った。
初夏の風がフワッと吹く中、着物を来た男が立っている。サラサラとした長い髪の毛を後ろで一つにまとめた男は、石畳の古い町並みに溶け込み、その部分だけ、絵画のように見えた。
あまりにも非現実的な光景に、凛子は立ち止まり見いってしまう。
すると、男と目が合った。身長が高く細身な男。それと、スッキリとして優しげな目元が印象的な、柔和な雰囲気の顔をしている。
「こんばんは」
「あ…こ、こんばんは」
男はさも当たり前のようににこやかに挨拶をする。凛子もそれにつられるように頭を下げた。
なんか、独特な雰囲気の人だな…。
優しそうな笑顔と浮世離れした佇まい、本当に存在しているのかすら危うい。
周りの空気と溶け込んでしまいそうな男を見つめていると、クスクスと笑われてしまった。
「そんなに見られたら恥ずかしいです」
ちっとも恥ずかしそうな素振りのない男が言った。
「す、すみません」
凜子は体が折れ曲がってしまいそうなほどの勢いで頭を下げた。初対面の人をじろじろと見るなんてなんて失礼なことをしてしまったんだろう。恥ずかしくて顔が自然と赤くなる。
その様子に男はますます笑う。
「かまいません。私こそ意地悪なことを言ってしまって申し訳ありませでした。…そうそう、お詫びにお茶でもどうですか?」
「お、茶…?」
「あぁ、もしよければですけど。私はこの店の店主です」
男が自分の後ろを示しにっこり笑った。後ろには紫の暖簾の店がある。暖簾には『聖堂(ひじりどう)』と書かれてある。
キョトンとする凜子に、男は「売れない骨董屋です」と言った。
「どうなさいます?今日はおいしいお茶が入ったんですけど、残念ながらお客様がいなくて…誰にもふるまってないのが寂しかったんです」
長い睫毛が伏せられ、男に妙な色香が漂った。凜子はその姿にドキッとしてしまう。
世の中には綺麗な人が性別問わずいるんだ。
人並みの容姿しか持ったことない凜子にはため息が出るほど羨ましかった。
「貴女も十分かわいらしいですよ。もっと自分のことを知るべきです」
「………え?」
「いえ、何でもありません。ここで話すのもいいですが、私はやはりあなたにお茶をごちそうしたいです。いかがですか?」
もう一度、男は凜子を誘う。これから家に帰るだけの凜子には特に予定もなく、怪しげな様子がない男だし、店の中でお茶をするくらいなら…良いかな?
「じゃ、少しだけ…本当にいいんですか?」
凜子が聞き直すと、男は花が咲いたように笑った。
「私がお誘いしたんです。これも何かの縁と思って受けてくだされば十分です」
静かな裾さばきで男は暖簾をくぐる、凜子もその後に続いて店に入った。
木の香りのする店内には少し暗めの照明に照らされたたくさんのモノたちが溢れている。
凜子には骨董品と呼ばれるものを見る目はないが、歴史を持った物が集まった空間はとても重みがあった。
先ほどと同じように周りをきょろきょろしていると、
「あぁ、もう。そんなに騒がないでください。」
「だから、この方はお客様ではないです。私のお茶を飲んで下さるだけですよ」
「そこ、うるさいですよ。黙って」
「…いい加減にしないと、焼きますよ」
など、店の中を歩く男が独り言を言っている。
いや、独り言ではない。誰かと会話をしているような言い方。
勿論、店の中には凜子と男しかいない。周りには年月の染み込んだ古いモノたちがあるだけで…。
「あの、店の奥にどなたかいらっしゃるんですか?」
そうであってほしいと思いながら凜子は尋ねる。じゃないと、男がただの怪しい人になってしまう。
「いいえ、ここには私とあなたしかいないですよ」
振り返り、男は凜子の期待を満開の笑顔で裏切った。
「そ、そうですか…」
「どうしてそんなことを聞くんですか?」
「いえ…今誰かとお話をされていたようですから…」
凜子の言葉に、男はキョトンとして、それから微笑んだ。
「すみません。この子たちが貴女のことをしつこく聞いてきたものですから」
この子たち?
もう凜子には意味が分からない。目の前の男が「この子たち」と示したものは、骨董品だ。
どんなに目を凝らしてみても、古い陶器や装飾品にしか見えない。とても会話のできそうにない者たちと、会話をしているのか?
「古いものには、何かしらの不思議なことがあるんですよ」
気になさらないでくださいと言って、男はいそいそとお茶の準備をしている。そんなこと言われても、普通気になるのではないか?
凛子は頭のなかで帰る口実を必死に考える。しかし若干パニックになっている頭ではろくな言い訳が出てこない。
その時、一つの指輪が目に入った。
小さな赤と緑と紫の石がいくつも飾られたその指輪は、古めかしいものだけど、なぜか新鮮さもあるような気がして、なんとも気になってしまう。
凛子は誘われるままに指輪に近づき、台座から手のひらに乗せた。
近くで見るとそれは一層輝きを放ち、幻想的な雰囲気を醸し出す。取り込まれるように凛子は指輪を眺め、そして右手の薬指にはめてみた。
少しゆとりの合った指輪はすんなりと凛子の指に収まった。
へぇ、古いものでも可愛いのがあるんだ。
少し手を高く掲げて指輪に光を当ててみる。それぞれの石が光を反射してキラキラと輝いた。
ん?
凛子は異変を感じた。大きかったはずの指輪が凛子の指を測ったかのように、フィットした。
「おや、それがお気に召しましたか?」
男の声に弾かれるように振り替えると、お盆にお茶を乗せた男がニコニコと立っていた。
「すみません。売り物を勝手に…」
「良いんですよ。ここの品はみんな買い手の方たちの心に導かれて買われていくものですから。あなたはこれを必要だと感じて手に取ったのです。その証拠にほら」
男は凛子の手を取って、指輪をその細くて長い指でなぞった。
「この子はとても喜んでいます」
「喜んで…?」
「おはようございます。姫」
……………
………
…
やっぱり夢じゃない。
蒔田凛子(まきたりんこ)は頭を抱えて布団に潜り込んだ。
あれはなんだろう?どうしてまたいるんだろう?
しかも姫?
私の頭のネジが取れたのか、それとも脳内の何かが弾けたのか…。
暗い視界といつもの布団の香りに落ち着けと自分に言い聞かせる。
何分かたってから、凛子はそっと布団から顔を出した。
「姫」
語尾にハートマークがついてそうな言い方と、可愛い笑顔に、凛子は気が遠くなりそうだった。
これは、現実。
なの…よね?
前日、仕事から帰っているときに、いつもと違う道を通った。本当にただなんとなく、通った。
その道は、細くて車は入れない。古い町なので、戦前から建っている町家や、年期を感じさせるもの等がまだまだ残っている路地。
一人で歩くのは少し怖いような、人通りの少ない通りなので、駅から家までの近道なのは分かっていても避けていたルートだった。
凛子は地方から出てきてまだ一年ほどしかこの町に住んでいない。なので異世界のような景色にキョロキョロとしながら歩く。
小さな四つ角に差し掛かった時、ふと人の姿が目に入った。
初夏の風がフワッと吹く中、着物を来た男が立っている。サラサラとした長い髪の毛を後ろで一つにまとめた男は、石畳の古い町並みに溶け込み、その部分だけ、絵画のように見えた。
あまりにも非現実的な光景に、凛子は立ち止まり見いってしまう。
すると、男と目が合った。身長が高く細身な男。それと、スッキリとして優しげな目元が印象的な、柔和な雰囲気の顔をしている。
「こんばんは」
「あ…こ、こんばんは」
男はさも当たり前のようににこやかに挨拶をする。凛子もそれにつられるように頭を下げた。
なんか、独特な雰囲気の人だな…。
優しそうな笑顔と浮世離れした佇まい、本当に存在しているのかすら危うい。
周りの空気と溶け込んでしまいそうな男を見つめていると、クスクスと笑われてしまった。
「そんなに見られたら恥ずかしいです」
ちっとも恥ずかしそうな素振りのない男が言った。
「す、すみません」
凜子は体が折れ曲がってしまいそうなほどの勢いで頭を下げた。初対面の人をじろじろと見るなんてなんて失礼なことをしてしまったんだろう。恥ずかしくて顔が自然と赤くなる。
その様子に男はますます笑う。
「かまいません。私こそ意地悪なことを言ってしまって申し訳ありませでした。…そうそう、お詫びにお茶でもどうですか?」
「お、茶…?」
「あぁ、もしよければですけど。私はこの店の店主です」
男が自分の後ろを示しにっこり笑った。後ろには紫の暖簾の店がある。暖簾には『聖堂(ひじりどう)』と書かれてある。
キョトンとする凜子に、男は「売れない骨董屋です」と言った。
「どうなさいます?今日はおいしいお茶が入ったんですけど、残念ながらお客様がいなくて…誰にもふるまってないのが寂しかったんです」
長い睫毛が伏せられ、男に妙な色香が漂った。凜子はその姿にドキッとしてしまう。
世の中には綺麗な人が性別問わずいるんだ。
人並みの容姿しか持ったことない凜子にはため息が出るほど羨ましかった。
「貴女も十分かわいらしいですよ。もっと自分のことを知るべきです」
「………え?」
「いえ、何でもありません。ここで話すのもいいですが、私はやはりあなたにお茶をごちそうしたいです。いかがですか?」
もう一度、男は凜子を誘う。これから家に帰るだけの凜子には特に予定もなく、怪しげな様子がない男だし、店の中でお茶をするくらいなら…良いかな?
「じゃ、少しだけ…本当にいいんですか?」
凜子が聞き直すと、男は花が咲いたように笑った。
「私がお誘いしたんです。これも何かの縁と思って受けてくだされば十分です」
静かな裾さばきで男は暖簾をくぐる、凜子もその後に続いて店に入った。
木の香りのする店内には少し暗めの照明に照らされたたくさんのモノたちが溢れている。
凜子には骨董品と呼ばれるものを見る目はないが、歴史を持った物が集まった空間はとても重みがあった。
先ほどと同じように周りをきょろきょろしていると、
「あぁ、もう。そんなに騒がないでください。」
「だから、この方はお客様ではないです。私のお茶を飲んで下さるだけですよ」
「そこ、うるさいですよ。黙って」
「…いい加減にしないと、焼きますよ」
など、店の中を歩く男が独り言を言っている。
いや、独り言ではない。誰かと会話をしているような言い方。
勿論、店の中には凜子と男しかいない。周りには年月の染み込んだ古いモノたちがあるだけで…。
「あの、店の奥にどなたかいらっしゃるんですか?」
そうであってほしいと思いながら凜子は尋ねる。じゃないと、男がただの怪しい人になってしまう。
「いいえ、ここには私とあなたしかいないですよ」
振り返り、男は凜子の期待を満開の笑顔で裏切った。
「そ、そうですか…」
「どうしてそんなことを聞くんですか?」
「いえ…今誰かとお話をされていたようですから…」
凜子の言葉に、男はキョトンとして、それから微笑んだ。
「すみません。この子たちが貴女のことをしつこく聞いてきたものですから」
この子たち?
もう凜子には意味が分からない。目の前の男が「この子たち」と示したものは、骨董品だ。
どんなに目を凝らしてみても、古い陶器や装飾品にしか見えない。とても会話のできそうにない者たちと、会話をしているのか?
「古いものには、何かしらの不思議なことがあるんですよ」
気になさらないでくださいと言って、男はいそいそとお茶の準備をしている。そんなこと言われても、普通気になるのではないか?
凛子は頭のなかで帰る口実を必死に考える。しかし若干パニックになっている頭ではろくな言い訳が出てこない。
その時、一つの指輪が目に入った。
小さな赤と緑と紫の石がいくつも飾られたその指輪は、古めかしいものだけど、なぜか新鮮さもあるような気がして、なんとも気になってしまう。
凛子は誘われるままに指輪に近づき、台座から手のひらに乗せた。
近くで見るとそれは一層輝きを放ち、幻想的な雰囲気を醸し出す。取り込まれるように凛子は指輪を眺め、そして右手の薬指にはめてみた。
少しゆとりの合った指輪はすんなりと凛子の指に収まった。
へぇ、古いものでも可愛いのがあるんだ。
少し手を高く掲げて指輪に光を当ててみる。それぞれの石が光を反射してキラキラと輝いた。
ん?
凛子は異変を感じた。大きかったはずの指輪が凛子の指を測ったかのように、フィットした。
「おや、それがお気に召しましたか?」
男の声に弾かれるように振り替えると、お盆にお茶を乗せた男がニコニコと立っていた。
「すみません。売り物を勝手に…」
「良いんですよ。ここの品はみんな買い手の方たちの心に導かれて買われていくものですから。あなたはこれを必要だと感じて手に取ったのです。その証拠にほら」
男は凛子の手を取って、指輪をその細くて長い指でなぞった。
「この子はとても喜んでいます」
「喜んで…?」
作品名:友人、恋人、下僕、お好きにどうぞ。 作家名:なぎ