ノーネットdayについて~ネット依存を考える~
アマゾンで本を探して、ツタヤで注文するという、いささか
変則的なことをしています。
考え方がせこいですね-笑。
で、アマゾンの話に戻ります。書籍の品揃えが豊富だということは、
それらの本に対して、大勢の読者からの消費者レビューが来るということでもある。
皆さん、積極的にレビューを書かれています。
もちろん的を射た評価もたくさんありますが、
中には〝エ。。。〟と眼が点になるような酷評もあります。
まあ、そこがプロ作家の辛いところでしょうね。
やはり、自分の書いた作品をお金を払って商品として買って貰うのだから、
読者にズバズバやられても仕方ないのかも。
でも、そういうレビューを読む度に、
この作家さんは、こういうレビューを見ているんだろうか。
果たして、眼にした時、どんな気持ちになるのかと想像します。
私だったら、まず、もう、どん底にいきます。
しばらくは這い上がれないかもしれない。
でも、そこがプロたるゆえん、職業としてやっていくからには
いちいち凹んでいては成り立たないのでしょうか。
確かに次の作品を書くときの糧になるかもしれないけど、
酷いレビューになると、もうよくここまで悪く書けるなぁというほど
酷評していますからねぇ。
アマチュアでもいちおう小説書いてるし、私はどうしても作家さん寄りの
気持ちで考えてしまう。
ここまで酷いことを書かなくても良いのに。
もし書くとしても、もう少し失礼にならない言い方はないのかしら。
でも、例えば電気釜の商品レビューを書くのに
失礼とかどうか? なんて考えずに思うがままを書きます。
小説も商品として市場に出たら、私が言っているようなことは
たぶん、甘えになるのでしょう。
判ってはいるけど、それでも、電気釜には心はないけど、
プロときはいえ作家さんには心はある。
だから、ひとくちにレビューといっても、アマチュア小説サイトのレビューと
アマゾンのような商品として市場に流通しているサイトの小説レビューは
意味合いが全然違う。
こういうときは心底から、アマチュアで良かったと思います。
私がやはり、コメントするときは相手に対する思いやりが必要なんじゃないかな
と思うのは、その辺りにも理由があります。
それは、アマチュアだからという甘えではなく、
やはり、職業作家とアマチュア作家は根本的に意味合いが違うからです。
ましてや、読み専といわれる方もいらっしゃるとはいえ、
大多数が同じアマチュア同士の場であれば、
お互いにマナーや思いやりをもって、どういう風に言えば
相手を傷つけない言い方でアドバイスをしてあげられるか
という配慮は必要ではないでしょうか。
結局は表現のしかた一つなんだろうと思います。
同じ内容でも、違う言い方をすれば、時には刃となってその人を傷つけるし、
また、別の言い方をすれば傷つけるどころか、相手のやる気を喚起させ、
更に能力を伸ばしてあげることができる。
そんなものだと思います。
☆ つれづれに思うこと。2013/10/12 ☆
今日は午後から、息子の誕生日プレゼントを買いにいきました。
お宝発見というユーズドのお店でDSゲームのソフトを購入。
なかなか私の予算と彼の希望が合致しませんでしたが、
最終的に私が限度額を引き上げて、折り合いがつきました-笑。
さて、小説サイトに参加していると、どうしても目に付くのが読者数です。
もっとも、以前ほど気にはならなくなったのは事実で、
落ち込むことはあっても、まあ、いっか、くらいの気持ちで
受け止められるようになりました。
正直、私ごとき書く人はごまんといます。
更に、もっと書ける人はその倍ほどもいる。
卑下でも奢りでもなく、それが現実だと思います。
また、新しい才能ある書き手、若い有望な人が毎日、数え切れないほど
これもまたきら星のように数あるサイトでそれぞれデビューしていく。
そういう人が今日、明日にはもう読者数100どころか、1000を超える
人気作家になるという時代です。
ケータイ小説サイトで毎日、そういった様を見ているので、よくわかります。
この間まではトップ常連だった人がトップから名前が消え、
代わりに、数日前、〝初めまして。小説わぁ、初めてなので
よくわかりませんが、よろしくおねがいしますぅ〟
なんて挨拶とともに入会した人の名前がトップに来ている。
そういうことが日常茶飯事です。
私のように元から華々しくない人間は片隅でちょこちょことやっていますので、
そういう風に注目されることはないと思います。
適切なたとえかどうか判りませんが、まさにたとえるなら弱肉強食、下克上の世界
といえましょう。
そんな地味な私でも、それなりにまた変動というか有為転変はあります。
当然ですが、作品ごとに読者の反応も違います。
私の場合、新規に書いている作品と過去に書きためた作品を
入れ混ぜて発表しています。
それは、こちらのサイトでも同じです。
実は昨日、ケータイサイトに新作といっても、これまた過去の-かなり大昔の
作品をあげてみました。
ファンタジーものはどうもイマイチのようですが、
しかしながら、今日もこれを更新しつつ考えたのは
これを書いていたときには、せいぜい数人の知人・友人が読んでくれれば良い
ような状況だった。
でも、今は少なくとも、これだけの数の人が読んでくれている。
それって、本当に凄いことじゃないのか。
かつて私は自分で印刷・製本した本を順番に知人に回して
読んで貰っていました。
後は同人誌で発表する-このくらいしか読んで貰う手段といえばなかった。
それがサイトに参加してからは、サイトに作品をあげさえすれば、
少なくとも数名以上の方はその作品を読んでくれます。
これは私にとっては今でも、とても画期的なことのように思えます。
以前、なかなか読者がつかないと悩んでいた私に夫が
おまえ、昔のことを考えてごらん。作品を本にしていちいち郵送して、
また送り返して貰ってを繰り返していた頃に比べれば、
たとえ十人の読者でも、もうはるかにその頃の読者数を超えているじゃないか。
だから、そんな風にマイナスに考えてはいけない。
今、ついてくれる読者を大切にして、その人たのためにも
元気を出して更新しなければならないよ。
とアドバイスしてくれました。
今でも私は落ちこみそうになる度に、そのときの夫の言葉を思い出します。
また、最近、友人から、
あなたは今、読者数だとかアクセス数だとか、そんなことばかり気にしてるでしょ。
元々は一人でもたくさんの人に自分の書いた作品を読んで欲しいという情熱が
あなたに小説を書かせた動機のはずなのに、
今のあなたは大切なことを忘れている。
作品名:ノーネットdayについて~ネット依存を考える~ 作家名:東 めぐみ