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風そよ吹く心に

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カナエ夫婦から 花見の誘いを受けたトキコは、臨月になる前ならと出かけることにした。
行き先を聞いてトキコは、はっとした。昨年まで夫と出かけた川沿いの桜通りだった。
ゆったりと歩くトキコの数メートル後ろを カナエ夫婦はいちゃいちゃとじゃれ合いながら歩いてくる。トキコの歩く道の逆端をなんとなく並んで歩くのは、颯人だった。
ふと、前から歩いてくる親子連れに、トキコは緊張した。
元夫とその妻だろうか。元夫の胸元に抱く小さな姿は、生まれて間もない乳児だった。
吹っ切れた思いが逆流するのではないかと不安が包む。でも、足を止め避けるのもできないまま、近づいてしまった。
「あ」と気付く元夫に軽く頭を下げた。元夫は、ばつが悪そうに笑みを零した。だが、その視線の先は、トキコの腹の膨らみに留まった。
元夫は、連れの女性よりやや歩み出ると声をかけてきた。
「久し振りだね。元気だった?」
「こんにちは。奥様?」
「ああ、年末に籍入れた。そ……俺の?」
「残念。別れてから知り合った人がお父さん。驚いちゃった?」
「ああ」
「ずっと、出来なかったものね。タネが替わったら…うふ。良かったわ。幸せそうで」
「トキ……キミも幸せ?」
「うん。赤ちゃんどっち?」
「男」
「そう。きっともてるでしょうね」
「なんだよ。あ、彼?」
「それも残念。後ろの夫婦のお兄さん。一緒に来ただけ。待たせちゃ悪いわよ」
「ああ、そろそろ行く。…… トキコ、今もいい女だな」
「ふ。ばーか。ありがとう。じゃあね」
元夫家族が通り過ぎるのを、振り向けず待った。追いついたカナエ夫婦は、不思議な顔をしてトキコと元夫の家族を見返した。
行く道の前方に屋台が見えると、カナエ夫婦は、足早に歩いていった。
「トキちゃんも早くおいでよ」
「うん、大丈夫」
トキコは、手を挙げ答えた。
「さっきから…なに? わたしの顔に何かついてる?」
トキコは、颯人に言った。
「バカって書いてある」
「何よ、それ。そ、でもありがとう。居てくれて」
「無理すんな」と颯人はトキコの肩に手で触れた。その手の上にトキコは手を掛けた。
「変なとこ見られちゃった」
「必要なら 嘘くらい付き合ってやるぞ」
「うん、またその時は、お願いするかも」
「団子おごれ」
そういうと颯人は肩から手を離し、歩いていった。
満開の桜の花弁が、風に舞ってトキコの髪についた。掌にもひとひら握りしめた。小さな想いを握りしめた。

トキコは、会社に産休の手続きを取り来るべき日を待った。
五月晴れの朝。トキコは、女の子を産んだ。
その子を『知風(ちかぜ)』と命名した。
順調な母子は、予定通りに退院した。颯人が車で迎えに出かけ、家の付近に下ろしてくれた。すぐに家には入らず、トキコは、自宅近くに駐車するのを道路脇で知風を抱いて待っていた。道端の黄色い小さな花が揺れている。その隣には、真っ白な綿毛に変わったその花が揺れていた。知風を包んでいたおくるみが、風にほどけた。颯人が、手を添えて風を避けた。その風は、真っ白な綿毛を空に舞い上げ、何処までも運んでいくようだった。

「知風、たんぱぽの綿毛綺麗だね。風が運んでくれるんだよ」
「知風も優しい風で みんなに幸せ 運んでね」

翌月、カナエは 男の子を産んだ。
トキコは、周りからの縁談話は、ずっと断っている。
だけどその傍には いつも颯人の姿があった。
トキコは、ふたつの風に吹かれ、幸せを感じていた。


     ― 了 ―
作品名:風そよ吹く心に 作家名:甜茶