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九月十二日(土)
ふわりと浮上して、止まった。エレベータが止まる、あの時とよく似ている。色も、温度も持っていないはずの、その世界が急速に薄れて不明瞭になる。一点に収束して、潰れた。
信親は目を開ける。カーテンの隙間を縫ってやってきた陽光はまだ本調子ではなさそうで、部屋の中は仄暗い。覚醒しない頭が、ぼんやりと今は何時だろうかと考える。まさか、夕方じゃないだろうな、と思ったところでスイッチが入ったように思考がクリアになった。慌てて、枕元のアナログ時計を手に取る。
五時三十分。
午前、を確認してゆっくり時計を戻した。部屋を見渡すが、秋桜はいない。
「どこに、行ったのかなぁ。」
ベッドサイドのスマートフォンのランプが青色に点滅している。メールが来ている合図だ。こんな時間に、とも思ったが、秋桜からかもしれない、と手に取り電源ボタンを押す。
タスクバーを引き下げ、フォルダを開いた。
ああ。
信親はため息をつく。
あなたの身に、何かよからぬことが起こるかもしれないと聞きました。
とても心配しているのよ。
お父さんの出張は、少し手間取っていて、明日には終わると言っています。
もしも、明日終わる目途が立たなければ、私だけでも帰ることにするわ。
本当に、心配なのよ。おじい様の言うことをよく聞いて、いい子でいてね。
母親だ。
「し、ん、ぱ、い、ね。」
冬美の言う心配の意味を、信親はよく知っている。とても、よく知っている。画面の下に表示されているメニューから。返信を選んだ。
母さんも、気を付けて帰って来
手が、止まる。
仰向けに寝ていた体を、ごろりと横向きにした。目の前は白い壁。いらだつくらいに白い、無機質な壁。
メールは、破棄した。
着信したそれも、返信しようとしたそれも、削除した。
信親は知っている。冬美が信親の身の安全を守りたいのは、信親が大切なたった一人の息子だからではない。信親が、城崎繁親の孫だから。城崎電機をいずれ継ぐだろうから。きちんと、知っている。そして信親は、自分の自由や主張を犠牲にしてまで、母親の願いを叶えてやりたいとは思えない。
スマートフォンが憎たらしくなって、足元へ放り投げた。ばふんと、思ったよりも大きな音を立てて、布団に飲み込まれた。
胸までかかっているかけ布団を両手で頭の上まで思い切り引っ張り上げ、すっぽりと潜り込む。ごつん、と重たい音がしたのは、スマートフォンがフローリングへ転がり落ちたのだと分かった。
いい気味だ。
もう一度眠れるかも知れない、と暗闇に身を委ねる。