小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

和尚さんの法話 「南無阿弥陀仏」

INDEX|4ページ/4ページ|

前のページ
 

「至心信楽」といい、「我が国に生ぜんと欲して」とは、それほど、わしのところへ来たいか、来たけりゃ来いよと、こういう気持ちで救っておられる。来たいんやろか、来たないんやろかとなったら、阿弥陀さんが迷いますよ。 こっちに、もっと来たい人があったら、やっぱりその者が先となってくる。だから、何が何でも行きたいんだというのが、「至心に信楽して」という意味だと思います。

当来の世、経道滅尽せんに、我、慈悲を以って、哀愍して独り此の経を留めて止住すること百歳ならしめん。
それ衆生有りて斯の経に値わん者は所願に随いて皆得度すべし。
仏、弥勒菩薩に語(つ)げ給わく、如来の興世値い難く見難し。諸の経道は得難く聞き難し。
菩薩の勝法、諸波羅蜜聞くことを得んこと亦難し。善智識に遇いて法を聞きて能く行ぜんことこれ亦難しとなす。
若し斯の経を聞きて信楽して受持せんこと難が中の難なり。
此れの難に過ぎたるはなし。是の故に我が法は是の如く作りし、是の如く説き、是の如く教う。まさに信順して如法に修行すべし。

仏教では、正法時代、像法時代、末法時代というて、仏法の廃るのを三段階に分けてますね。
お釈迦様が説かれた法が、お釈迦様のご在世と同じような状態が、正法千年―五百年という説もあるんですが― 
で、以後像法千年、末法万年と。

末法は、万年ということになってるんですね。
だから、一万二千年たったら経道滅尽というて、仏教が地上から姿を消してしまう。
ということは、信じる人がなくなってしまう。
ところが、この浄土教という教えは非常に楽なんだ。
南無阿弥陀仏、まあ信心ということは別として、南無阿弥陀仏で三界解脱、生死解脱がさしてもらえる。
だから、こんな易い法はないというので、この世の中に非常に大事である、と。


このお経は、末法万年たって、経道滅尽してさらに後百年、もう百年だけこの世に止めておくと。
この間に、このお経に値うて、あるいは、そういう説く人に遇うて往生できるものがあるから、末法万年の後さらに百年留めるということを「止住百年」というんです。

○「如来の興世値い難く、見難し」とは、仏様と一緒に生まれ合わすということは難しい。我々、もう外れてしまったですね。

○「諸仏の教道は得難く、聞き難し」、つまり、仏道に値うことも、また難しい。「人身受け難し、今すでに受く。仏法聞き難し、今すでに聞く」というところですね。

○「菩薩の勝法、諸波羅蜜」、
この波羅蜜というのは、彼岸に超えるということですね。これも印度の言葉です。要するに、仏道ということです。

○「善智識に遇いて法を聞きて能く行くぜんことこれ亦難しとなす」、
このお経には、なかなか遇えん。
遇うても、なかなか信じられん。
難信の法と、こういうのです。

○「我が法は、是の如く作し、是の如く説き、是の如く教う」、
誤りなく、真実をそのまま伝えるという意味ですね。

○「まさに信順して、如法に修行すべし」、
だから、わしが言うた通り― 
仏様、お釈迦様ですよ― 
行じたならば、必ず救われるんだぞと、こういうことを念を押して言われてるわけなんです。
以上で、南無阿弥陀仏の意味といわれ、そして、どなたが、どういうふうなことで、そういう念仏というものを始めたのか、つまり起こりですね、それをお話したつもりであります。