和尚さんの法話 「阿弥陀経」 1
仏教にはお経というのがありまして
日蓮宗には法華三部経
真言宗には真言三部経
浄土門には大無量寿経、観無量寿経、仏説阿弥陀経の三巻を
浄土三部経といいます
最初に如是願文と、始まりますが、このお経は私たち弟子がお釈迦様から聞きました。
それを後になって弟子が文字に書いて残そうとして書いたものなんですね。
あるときお釈迦様は舎衛国の祇園精舎においでになっていました。
インドという所は小さい国が沢山あって、その中の舎衛国という国の祇園精舎でお話になりました。
そのときに聞いた弟子の数は1250人の優れた弟子たちである。
須達長者がこの祇園精舎をお建てになったわけです。
この須達はいろんな国に行って商売をして廻っていて、長年商売をやってるのでいろんな国に知り合いが居るわけです。
ゴミという長者が居て、そこに泊めてもらおうと思ったのですが、大変な人の出入りで忙しそうなので、これは泊めてもらうと迷惑になると思ったので挨拶だけで帰ろうとします
須達 大変な人出でございますね
ゴミ はい、じつは明日 お釈迦様という方を家へ招待して
お供養をしてお説教を聞かせて戴こうということで
その準備に追われています
須達 そうですか、じつは今夜一晩泊めてもらおうと思ったのですが
忙しい最中に来て申し訳ないのでこれで帰らせて戴きます
ゴミ いや、せっかくお出でになったのもこれもご縁だから泊りなさい
そしてお釈迦様のお説法をお聞きなさいませ
そうして泊めてもらうことになってお釈迦様のお説法を翌日聞かせてもらうことになったわけです
そしてお釈迦様の説法を聞いて長者は感無量になるわけです
そしてこのお方は自分の国に来てくれないものかという気持ちになってお願いをするわけです
自分の国に来て永住して欲しいとお願いをするのですが
釈尊は 貴方の国には寺が無い
私たちは在家には泊るわけにはいかないのだと
寺に泊らないといけないのです
須達 それならば私が寺をお建て致します
お建てしましたらお出で下さいますか?
釈尊 よし、それが出来たら行きます
と、おっしゃってくれたんです
須達は自分の商売もほったらかして自分の国に帰ります
釈尊はそのとき 目連をお供につけるから、お寺を建てるには その目連の指示に従ってお建てなさい
そういわれて 須達は目連と一緒に国に帰ります。
国に帰った須達は目連と一緒に何処に寺を建てたらいいかといろいろ探します
お寺を建てて我々は修行もしないといけないし、托鉢にも行かねばなりません
その時代の僧は自分で炊いて食べるというのではなくて、托鉢で戴いたものを そのまま食べるという時代でしたから、炊いたものを貰ってたそうです
そしてお説教をしていたわけです
あんまり町に近いと修行の妨げになる
かと、いってあまり町から遠く離れていると、托鉢に出かけるのも大変になる
だからあまり町に遠くもなく近くもなくという場所を選んで欲しいんです
そこで須達は探し回っていますと 目連がここが良いという場所が見つかるのですが
その土地はある太子の所有地でして須達長者の土地ではないのです
須達は目連を表に待たせて太子にあの庭園を私に分けて戴きたいと願うのですが
太子はあの庭園は分けることが出来ないと言う
須達 なんとか分けて戴きたい!
太子 そうか、それならば貴方のお金をあの土地に敷きなさい
その敷いた分だけ土地を分けてあげましょう
須達は大喜びで家にお金を取りに帰って、土地にお金を敷き始めます
それを見た太子は大慌てで
あぁ! そんなことをしなくても。。
あれは冗談で言っただけなんですよと。。
えっ! 貴方がおっしゃったことは
私は本気ですよ!
太子はなんであの土地が必要なんですか? と、質問しますと
須達は訳を話します
ある国でお釈迦様という方に出会ってお話を聞かせて戴いたのですが
その方に是非、私の国に来て戴きたいのです
その方のためにお寺を建てようと思っています
太子 そうですか、それならば土地は土地として
そこには森林になっていて木がいっぱい植えてある
その木は切らせてもらうけど
土地は使っても宜しいということになった
その太子の名は祇陀太子と言う名前だそうです
須達長者は困った人、孤独な人をみると必ず助けてたそうです
給というのは困った人に供養するという意味だそうで、須達長者のことを給狐独長者と呼ぶようになったそうです
孤独な人に供給する長者という意味で、庭園は祇陀太子が寄付して寺は給狐独長者が寄付したということです。
祇樹給孤独というのは、土地の樹木を切る長者と土地を供養する長者の二人にちなんでいうそうです
どちらも祇がつくことから、それにちなんで祇園精舎となったそうですよ
いよいよ建設が始まるのですが
途中で目連が建設の中止を言います!
建設が中断します!
寺の建立の最中に目連が長者を呼んで
これを見なさい蟻がたくさん居るでしょうと、見せるんですね
現場に蟻がいっぱいあるのです、蟻の大群ですね
長者よ ここに蟻がたくさんいるでしょう
この蟻は今から九十一劫ほど前に
お釈迦様と同じように仏様がこの世に出て居られた頃があるんだが
その頃からこの蟻は今に至るまでいつ生まれても、いつ生まれても
この蟻は蟻なんだという話をするのです
だから我々が人間に産まれてきたということは並大抵の時間ではないんだと
そして、ようやく人間になって産まれてきたんだから
この人間の一生という時間を大事にしないといけないと
またこの蟻のような世界に落ちたらいつ人間に上がれるのか判らんのだからと
というお話をするのです
そして祇園精舎というお寺が出来たんですね
お釈迦様がお見えになってこの祇園精舎を根拠にして
他国へ弟子を連れて布教に廻って、また祇園精舎に戻ってくる
と、いうように祇園精舎を庵にしてたそうです
1250人大阿羅漢というところがお経にありますが
阿羅漢というのは三界の輪廻から脱した人ですね
悟りを得た人ですね
仏様には及びませんが もう少し修行が残っていて
その修行が終わったら仏に成れる
三界輪廻を卒業してる方々を阿羅漢といいます
他の弟子たちから善智識として崇められたといいます
舎利仏と 目連はお釈迦様の最高の弟子で
いつも一緒に産まれてきてるそうでして
この世に産まれて出てくるときはいつも一緒に産まれるそうです
いつも友達になってる
そしてお釈迦様の弟子になるときは 別々だったんですが
舎利仏も目連もそれぞれに弟子を持っていて
そしてこれが正しい人間の道であろうという道を求めては
修行して 弟子に教えてた
あるときに舎利仏の弟子と 目連の弟子が道でであって話をした
お互いの師匠は誰かと聞き
どんな法を説かれるのだと、お互いに話をした
そして別れて帰ってきます
師匠のもとに帰って 目連に今日は私はこういう修行者に出会いました
なかなか立派なことを言いました
目連 それはどういうことを聞いたのか
日蓮宗には法華三部経
真言宗には真言三部経
浄土門には大無量寿経、観無量寿経、仏説阿弥陀経の三巻を
浄土三部経といいます
最初に如是願文と、始まりますが、このお経は私たち弟子がお釈迦様から聞きました。
それを後になって弟子が文字に書いて残そうとして書いたものなんですね。
あるときお釈迦様は舎衛国の祇園精舎においでになっていました。
インドという所は小さい国が沢山あって、その中の舎衛国という国の祇園精舎でお話になりました。
そのときに聞いた弟子の数は1250人の優れた弟子たちである。
須達長者がこの祇園精舎をお建てになったわけです。
この須達はいろんな国に行って商売をして廻っていて、長年商売をやってるのでいろんな国に知り合いが居るわけです。
ゴミという長者が居て、そこに泊めてもらおうと思ったのですが、大変な人の出入りで忙しそうなので、これは泊めてもらうと迷惑になると思ったので挨拶だけで帰ろうとします
須達 大変な人出でございますね
ゴミ はい、じつは明日 お釈迦様という方を家へ招待して
お供養をしてお説教を聞かせて戴こうということで
その準備に追われています
須達 そうですか、じつは今夜一晩泊めてもらおうと思ったのですが
忙しい最中に来て申し訳ないのでこれで帰らせて戴きます
ゴミ いや、せっかくお出でになったのもこれもご縁だから泊りなさい
そしてお釈迦様のお説法をお聞きなさいませ
そうして泊めてもらうことになってお釈迦様のお説法を翌日聞かせてもらうことになったわけです
そしてお釈迦様の説法を聞いて長者は感無量になるわけです
そしてこのお方は自分の国に来てくれないものかという気持ちになってお願いをするわけです
自分の国に来て永住して欲しいとお願いをするのですが
釈尊は 貴方の国には寺が無い
私たちは在家には泊るわけにはいかないのだと
寺に泊らないといけないのです
須達 それならば私が寺をお建て致します
お建てしましたらお出で下さいますか?
釈尊 よし、それが出来たら行きます
と、おっしゃってくれたんです
須達は自分の商売もほったらかして自分の国に帰ります
釈尊はそのとき 目連をお供につけるから、お寺を建てるには その目連の指示に従ってお建てなさい
そういわれて 須達は目連と一緒に国に帰ります。
国に帰った須達は目連と一緒に何処に寺を建てたらいいかといろいろ探します
お寺を建てて我々は修行もしないといけないし、托鉢にも行かねばなりません
その時代の僧は自分で炊いて食べるというのではなくて、托鉢で戴いたものを そのまま食べるという時代でしたから、炊いたものを貰ってたそうです
そしてお説教をしていたわけです
あんまり町に近いと修行の妨げになる
かと、いってあまり町から遠く離れていると、托鉢に出かけるのも大変になる
だからあまり町に遠くもなく近くもなくという場所を選んで欲しいんです
そこで須達は探し回っていますと 目連がここが良いという場所が見つかるのですが
その土地はある太子の所有地でして須達長者の土地ではないのです
須達は目連を表に待たせて太子にあの庭園を私に分けて戴きたいと願うのですが
太子はあの庭園は分けることが出来ないと言う
須達 なんとか分けて戴きたい!
太子 そうか、それならば貴方のお金をあの土地に敷きなさい
その敷いた分だけ土地を分けてあげましょう
須達は大喜びで家にお金を取りに帰って、土地にお金を敷き始めます
それを見た太子は大慌てで
あぁ! そんなことをしなくても。。
あれは冗談で言っただけなんですよと。。
えっ! 貴方がおっしゃったことは
私は本気ですよ!
太子はなんであの土地が必要なんですか? と、質問しますと
須達は訳を話します
ある国でお釈迦様という方に出会ってお話を聞かせて戴いたのですが
その方に是非、私の国に来て戴きたいのです
その方のためにお寺を建てようと思っています
太子 そうですか、それならば土地は土地として
そこには森林になっていて木がいっぱい植えてある
その木は切らせてもらうけど
土地は使っても宜しいということになった
その太子の名は祇陀太子と言う名前だそうです
須達長者は困った人、孤独な人をみると必ず助けてたそうです
給というのは困った人に供養するという意味だそうで、須達長者のことを給狐独長者と呼ぶようになったそうです
孤独な人に供給する長者という意味で、庭園は祇陀太子が寄付して寺は給狐独長者が寄付したということです。
祇樹給孤独というのは、土地の樹木を切る長者と土地を供養する長者の二人にちなんでいうそうです
どちらも祇がつくことから、それにちなんで祇園精舎となったそうですよ
いよいよ建設が始まるのですが
途中で目連が建設の中止を言います!
建設が中断します!
寺の建立の最中に目連が長者を呼んで
これを見なさい蟻がたくさん居るでしょうと、見せるんですね
現場に蟻がいっぱいあるのです、蟻の大群ですね
長者よ ここに蟻がたくさんいるでしょう
この蟻は今から九十一劫ほど前に
お釈迦様と同じように仏様がこの世に出て居られた頃があるんだが
その頃からこの蟻は今に至るまでいつ生まれても、いつ生まれても
この蟻は蟻なんだという話をするのです
だから我々が人間に産まれてきたということは並大抵の時間ではないんだと
そして、ようやく人間になって産まれてきたんだから
この人間の一生という時間を大事にしないといけないと
またこの蟻のような世界に落ちたらいつ人間に上がれるのか判らんのだからと
というお話をするのです
そして祇園精舎というお寺が出来たんですね
お釈迦様がお見えになってこの祇園精舎を根拠にして
他国へ弟子を連れて布教に廻って、また祇園精舎に戻ってくる
と、いうように祇園精舎を庵にしてたそうです
1250人大阿羅漢というところがお経にありますが
阿羅漢というのは三界の輪廻から脱した人ですね
悟りを得た人ですね
仏様には及びませんが もう少し修行が残っていて
その修行が終わったら仏に成れる
三界輪廻を卒業してる方々を阿羅漢といいます
他の弟子たちから善智識として崇められたといいます
舎利仏と 目連はお釈迦様の最高の弟子で
いつも一緒に産まれてきてるそうでして
この世に産まれて出てくるときはいつも一緒に産まれるそうです
いつも友達になってる
そしてお釈迦様の弟子になるときは 別々だったんですが
舎利仏も目連もそれぞれに弟子を持っていて
そしてこれが正しい人間の道であろうという道を求めては
修行して 弟子に教えてた
あるときに舎利仏の弟子と 目連の弟子が道でであって話をした
お互いの師匠は誰かと聞き
どんな法を説かれるのだと、お互いに話をした
そして別れて帰ってきます
師匠のもとに帰って 目連に今日は私はこういう修行者に出会いました
なかなか立派なことを言いました
目連 それはどういうことを聞いたのか
作品名:和尚さんの法話 「阿弥陀経」 1 作家名:みわ