和尚さんの法話 「お地蔵さま」
無毒が答えて、ここには鉄囲山(てっちでん)、霊界に鉄囲山という山があるんですね。
この海は、その山の西側にある海なんだと教えるんです。私は、その鉄囲山という山の中には地獄があるというのは聞いておりますが、これは本当でございますかと鬼に聞くと、はい地獄がありますと。
わたしはそこに行けるでしょうか。
地獄へ行くのは、菩薩方が神通力で行くか、そうでなければ本人の業によって地獄に落ちるか、このどちらかしか地獄へは行けないと鬼が答える。
この海は、何故このように煮えたぎって、夜叉のような悪獣がいるのでしょうか。
無毒答えて曰く、この閻浮提、閻浮提というのは、この世のことですね、この地上です。
この世で悪い事ばっかりした人間が、四十九日を経て後、何処かへ生まれなければならんというのですね、そしてその者がこの地獄へ来てる。
そして家族の者は後の供養もしてくれない。
本人は功徳は無い、業は有る。残ってる施主は供養をしてくれない。
そういう者がここへ来てるんだというのです。
鉄囲山の一番近い西の海が、この海で、その向こうにまた海がある。
そのまた向こうにも海がある。
その海が向こうへ行くほど業が深くて、受ける苦がきついというのです。
「三業悪因の召喚する所」といって、三業というのは、身口意の三業といいまして、業というのは身体で犯した業だけじゃなくて口で犯した業、そして心で犯した業があるわけです。
我々は業というと、殺人を犯したとか、殺生ですね。
偸盗、物をとるということですね。
それから邪淫、今でいう不倫ですね、身体を使って犯したこの三つが身業です。
それから口の業。妄語(もうご)、両舌、ここではこういううまいことを言うて、こっちでは甘い汁を吸う。
或は喧嘩をさせる、そしていい気になっているというような二枚舌。
両舌は人によって言うことが違うので嘘のようにみえるけど嘘じゃないんですね。
それから悪口。つい言ってしまうことがあるんですが、これが罪なんですね。
それから綺語。綺語はおべっか、お上手を言う。
このお上手というのは、相手を傷つけないように優しく言うというのではなくて、お上手を言うておいたら何がしのお返しがあると、そろばんを弾いてる。
自分の利益を絶えず考えて上手するということです。
こういうのを綺語といって罪になるんです。これが四つあるんですね。
それから貪瞋痴。これで十ですね。
それを守れば十善になるし、それを犯せば十悪になります。
「三業悪因の召喚する所」というのは、業が呼ぶというんですね、業に引き寄せられるというんです。
共にそれは業海といって、業の海というんだと。
今の三つの海はみな地獄で、その数は百千にして各々差別があり、苦毒無数にあるという。
次に千百の苦があり。
我が母は死して久しからず、いったい母は何処へ生まれているのか、私は分かりません。
無毒が娘さんに、菩薩の母は在生にどんな行いをしたのですかと問う。
聖女答えて曰く、我が母邪険にして三宝を謗。随分、わたしが説いて聞かせたから、其のときにはそういう気になるが、それも続かない。
その母の名はなんと申しますか、と鬼。
我が母は、エッテイニと申します。
無毒は合掌して聖女に言うには、菩薩様、お帰り下さいませと。
けっしてお嘆きなさいますな。
エッテイニ罪女は、3日前に天に生じました。
其の方は、三日前までこの海に居りました。
ですが、孝行な娘が覚華定自在王如来のために供養をした功徳により、天上界へ生まれたのです。
そしてあなた様のお母さんが救われただけではなくて、この日に地獄に落ちるような者は、ことごとく、楽を受けることができたのです。
母を供養した子の功徳によって、直接は関係は無いのですが、おかげを蒙ったんですね。
そう言って、鬼王が去っていった。
そして、ふっと気が付いたら、自分の家で座って拝んでる姿に戻ったんです。
だから魂が行ったのですね、覚華定自在王如来様が地獄へ連れて行ってくれたんですね。
そのことがって、娘さんは歓喜し、涙して弘誓(ぐぜいのがん)をたてたんです。
覚華定自在王如来様に合掌して、願わくは我、尽未来劫、(未来の劫が尽きるまで)未来の時間が終わるまでという意味です。
が、時間というものはないんですね、物事が変化するから時間ということを言いますが、変化し続けるんだ、だから時間というものはないんだと。
だから例え時間が尽きようとも、という意味ですね。
尽未来際ともいいますね、未来の際が尽きるまで。
罪の苦がある者は次ぎから次ぎから地獄へ落ちていく。
そういう者を全部、私は救います。という請願をたてたのです。
このお話は、お釈迦様と文殊菩薩が話してるのです。
お経によっては、お釈迦様と、阿難とか、観自在菩薩とか、一人か二人の方の名前を呼んで話していますね。ここでは文殊菩薩と話ているわけです。
其のときの、無毒という鬼は、地獄の鬼の仕事が終わって、今はダイシュウ菩薩と成っているのです。
そして、其のときの聖女とは是、地蔵菩薩のことである。
こういうふうにお地蔵さんという方は、仏教はそうですが、初めから仏と違うのですね。
そういう過程を辿ってきて、そして菩薩に成り仏に成るのです。
ですからお地蔵さんもかつては女性であったのです。
ですからお地蔵さんは、安産地蔵というのがよくありますね、それは自分も女性であったときにお産の苦しみも経験しているから、そういう人は、願うなら助けてやろうというので安産地蔵と、いうわけです。
安産地蔵とい名前でなくても、お地蔵さんなら皆、安産のご誓願を持ってるわけです。
そういうことで、我々には自分の前世というのがあるわけですよ。
お地蔵さんは、或る子供であって、ちょうどそのときに或る仏さんと一緒に生まれ合わせて、その仏さんが金々満々の神々しいお姿をしているというので、その子供が、まんまんちゃん、あなたは立派なお姿をしていますねえ、と言うんですね。
そんなお姿に成るのはどうしたらよろしいのでしょうかと、言いますと。
すると仏さんは、そうか、おまえも私のように成りたかったら、困った人を助けてあげなさい。
ああ、そうですか、僕はそうしますと。そういう少年時代もあったわけです。
其のときの少年というのは、今の地蔵菩薩である。というお経もあるんです。
もうひとつご紹介をしますと。過去無量阿曽祇劫の昔に清浄蓮華目如来という如来様があったという。
その仏様の時代に一人の羅漢があった。
その羅漢さんが絶えず衆生を救いに、托鉢をして回っていたというのですね。
其のときに一人の女性があって、名前を光目(こうもく)という。
その光目という女性が、羅漢さんが托鉢に来たのでお供養をしたんです。
だから魂が行ったのですね、覚華定自在王如来様が地獄へ連れて行ってくれたんですね。
そのことがって、娘さんは歓喜し、涙して弘誓(ぐぜいのがん)をたてたんです。
覚華定自在王如来様に合掌して、願わくは我、尽未来劫、(未来の劫が尽きるまで)未来の時間が終わるまでという意味です。
作品名:和尚さんの法話 「お地蔵さま」 作家名:みわ