王都バルムンク物語
「少しだけかな」
バージルは自分でもよくわからない、ほの暗い感情が住み着いていたことに気づき始める。
「少しだけだよ・・・・・・相手も人間だし・・・・・・」
「きれいごとか、けっ」
シグフリードの気持ちもわかる、とバージルは想うのだが、彼ほどに割り切れない。
だからバージルは、自らの決断力の弱さにうなだれるのだ。
「まあ、あれだ。くよくよしても仕方ない」
ライムがバージルを励ました。
彼はこういうとき、兄貴のように頼れるんだ、とバージルはライムのやさしさに感謝した。
「ありがとう。ライム」
「だいじょうぶだ。バージルに万が一のことがあったら、あたいが敵の戦艦に大砲をがんがん撃ちこんで、ぶっ殺す! はっはぁ〜」
「いや、あの、サラ・・・・・・は、張り切らなくていいんだよ・・・・・・」
ライムがサラの勢いに、思わず発した言葉がそれだった。
「次の目的は、シグフリードの国、シルバーランド」
煬帝はバージルたちの船よりも数倍贅沢な装飾の施しをした軍艦の広間で、老人と密会していた。
彼は老人の突拍子もない思いつきに、大変な動揺を見せ始め、
「なにっ、シルバーランドも襲うと」
「問題でもおありかな」
煬帝は老人に心のうちを悟られまいと、必死に否定する。
「いや、なんでもない」
「あの国を拠点にすれば・・・・・・、なにしろシルバーランドは世界の中心点」
「う、うむ。そ、そうだな」
老人ハーヴィは、煬帝の心の不安定さを既に悟っており、忍び笑いをもらしていた。
「俺は天帝だか、なんだかしらねえが、あの煬帝が憎たらしくてしかたない。だから、刺し違えても殺すって決めたんだ」
「煬帝って何者なの?」
再び海上。
朝まで濡れていたが、半日もすると天日でからからに乾いた甲板の上、バージルはまだ、煬帝の存在に気づいていなかったので、シグフリードに尋ねていた。
「煬帝とは、東を牛耳る極悪人さ。俺たち北海のものを、えらくお気に召さないらしい。そのおかげで漁業についても商業についても、けちや難癖をつけてきやがる。きったねえ野郎だよ」
ライムは、それでシグフリードは怒りをあらわにしているのかと、ようやく事情が飲み込めた。
「親父は、やつの毒牙にかかって、殺された」
バージルは呼吸を呑む。
「そんな顔するな。あいつは俺の、最大の仇」
シグフリードは苦しそうに息を吐いた。
「でも、殺すよりも、何かいいほかの方法がないかな」
「ねえよ! ねえから殺すっていってんだろ!」
突然の叫びに対し、バージルは青ざめ、硬直する。
「お前、ついてくるのは勝手だが、邪魔だけはするなよ」
野生独特のにらみを利かせ、シグフリードは床を蹴るようにして乱暴に歩き、船室のドアを開いた。
「おっかねえ。あれが北海の獅子ね。まるで獣だな」
ライムが毒舌を言うと、バージルはひざを抱えて顔を伏せた。
「いつものくせだなぁ。そういう辛気臭いことをするなと、あれほど言ってるだろう。元気出せ」
「うん・・・・・・」
とは答えてみるものの、やはり気持ちが晴れない。
世の中の摂理というが、人はなぜ、何かを犠牲にして生きるのだろうか。
神ですら、その材料にする。
バージルは、この世で一番恐ろしいものは何であるか、回答を、エルダに今こそ、告げられそうな気がし、鬱々としてしまうのであった。
シグフリードは船室の一角にある部屋で転寝をしており、シルバーランドの仲間たちとの再会を、夢の中で果たしていた。
煬帝との決裂。
交渉に行ったギルド(組合)のひとりが、ずたぼろにされ、傷だらけで戻ってきたとき、シグフリードは腹の底が煮え繰り返りそうになるほど、苛立ちを覚えた。
「王子様。もうだめです。交渉は決裂、となれば、道はひとつですぞ」
「叛乱か」
ギルドの仲間や王宮の者たちが、一斉にうなずいた。
「ご決断を」
シグフリードは右手を掲げ、一時はみなの怒りを静めようとつとめた。
「まあ待て。せいてはことを仕損じる、というぞ」
「では、どうするおつもりで、ジギーさま」
「ふん・・・・・・」
ジギーとはシグフリードの愛称で、国の民にはこの名で呼ぶことを許していた。
彼は玉座に腰掛け、頬杖をつき、よい知恵がないものか思案する。
「よし――」
王は立ち上がり、愛剣を鞘ごと持ち上げ、頭上へ掲げた。
「この剣で、やつと交戦する。ただし」
シグフリードは、剣を腰のベルトに差し、
「ただし、戦うのは俺ひとりで十分だ。手出しするなよ」
王宮内にどよめきが沸き起こる。
「そんな、ジギーさま。いくらなんでも。おひとりでは無茶すぎる」
「そうですよ、せめて誰かおつきの兵士を」
「いらぬ」
聖剣グラムを鞘から抜き放ち、剣の切れ先を床に突きたて、騒ぎを鎮める。
「いらぬと申しておる。それとも何か。・・・・・・てめえら、俺様があいつに勝てねえと思ってんのか、ああ?」
その場にいた誰もが、いいえ、とんでもない、陛下は最強ですと答えていた。
否、正確に言うと、答え『させて』いたのだろうか・・・・・・。
「よろしい。馬の用意を」
こうして、煬帝を倒す旅路に向かうシグフリードだったが、バージルに会ってから、どうにも調子が狂いっぱなしだった。
なぜか、止めを刺すことをためらうようになってしまう。
シグフリードが目覚めると、バージルが毛糸で編んだケープを肩にかけ、首をかしげていた。
「風邪を引くと思って、ケープを・・・・・・」
「いらん世話だ」
シグフリードはケープを剥ぎ取ると、バージルは小さく微笑みながら、
「そのようだ。たしかに余計な世話だったね」
その場を立ち去ろうと背中を向けた。
「待て」
シグフリードはバージルを呼び止めると、
「その、なんだ、俺のこと、俺のことな」
バージルは不思議そうにして振り返る。
「俺のこと、ジギーと呼んでもいいぞ」
バージルは、真っ赤な顔をしてうつむくシグフリードに、うなずいてこれを答えの代わりとした。