王都バルムンク物語
その昔、聖剣グラムという、刀身は水鏡のような、透明で美しい剣が存在した。
人は誰でも、神のことをこういうのだった――『精錬潔白で美しい心を持った、純粋な存在』と。
ところが現実にいる神の姿は、人間が思うほどきれいではなかったのだ。
もしかしたら、人間以上に欲深く、人間以上に情は深いが、同時に残酷でもあるかも、しれなかった。
聖剣グラムは、神々の横行を見逃さず、神に怒りの鉄槌を食らわした。
その名残が、いわゆるクレーターであると、この国の王子バージルは、学者先生から耳にたこができるくらい、何度も何度も聞かされていたのだった。
「これ、王子様。少しはまじめにお聞きなされよ」
白いひげを自慢げになでる老人、名をエルダといった。
「ああ、うん。ちゃんと聞いてるよ。エルダ」
「ほんとでしょうかね。まあ、今日のところはいいでしょう。時に王子様」
エルダに呼ばれ、バージルは首をかしげる。
「なんだい」
「今日は・・・・・・なにやら、空の様子が晴れやかではありませぬな」
エルダが窓にたつのを見て、バージルもつられて横へ立つ。
「あ。本当だ、どうしたんだろう」
空は鉛色の雲で次第に覆われていき、そして、冷たい風がバージルとエルダのいる部屋に流れ込んできたので、バージルは身震いさせる。
「うひっ。寒いな」
「では、ライムンド殿のお稽古は、おやすみですかな。外もこの陽気では、修行などできまいて」
バージルはうんうんと何度もうなずく。
じつのところ、バージルは剣よりもこうして哲学や思想にふけることのほうが、いくらか好きだったのだから・・・・・・。
「よほど、うれしいと見える。だが・・・・・・」
エルダが指でバージルの背後を示す先に、銀色の立派なプレイトメイルを着込んだ若者の、にやにやとバージルを見つめている姿があった。
「あちゃ・・・・・・ライム! 今日くらい休もうよ。ねっ」
「だめです。王子様、さあさあ、中庭へれっつごお」
「そんな、エルダ、助けて・・・・・・」
エルダは泣き叫ぶ王子の姿に、肩をすくめた。
「やれやれ。あんな調子でいざというとき、国が救えるんでしょうかね」
王子バージルは王都バルムンクという土地で、静かに暮らしていた。
父はヨハンネス一世。厳しくてやさしい、慈悲ぶかい国民思いの王であった。
母はリザヴェータ。
怒るととっても怖い王妃であったが、王と息子のバージルをよく愛していた。
つづいて、ライムンド・フォン・オイゲン。
父親のオイゲン公爵はライムと仲が悪く、おかげでライムは独り立ちをする時期が早かったという。
バージルは友にも、両親にも恵まれていたし、よい師、エルダという存在もある。
彼には、生まれながらにして不幸という言葉と無縁であるのだと、母は占い師に聞かされてもいたので、すっかり油断してもいたのだ。
しかし、バージルを襲う不幸は、容赦なく、いきなり起こってしまう・・・・・・。
バージルはやっとの思いで、ライムンドの剣稽古の時間から逃げ出し、高台の上でごろりと寝そべった。
「ああ、いやになるね。これだから体力馬鹿の兵隊は嫌いだ」
ライムンドは傭兵隊長だったからか、鍛え方が半端ではなく、そのため、バージルはついていけず、稽古でしかられるたび、くよくよと一人悩んでいた。
そんな時いつも彼を励ますのが、幼馴染のサラ。
サラの父親はヴァイキングで、いつも略奪行にでかけては、大量の魚などをヨハンネスに納めていた海の男だった。
どうせなら、サラの父親みたいになりたいとバージルは思う。
バージルは無性にサラの顔が見たくなったが、それよりもまず、目の前を這うようにして歩く傷だらけの修道士に視線をやっていた。
おそらく、何物かに襲われたのだ。
血が転々と滴り落ち、乾いた地面へと真っ赤な液体を沈めて行く。
「うっ・・・・・・」
修道士はぐったりとしており、バージルが駆けつけたときはすでに意識が失せていた。
「だいじょうぶ?」
バージルは肩を貸すと、必死に話し掛けた。
「修道士様、城に用でも? 俺が城まで連れていってあげますよ」
「あなたは、王子様?」
バージルは驚いて目を見張る。
「どうしてわかったの」
「おお、やはりか。夢のお告げのとおりでした。私はロレンツォ。聖都ルーアンから参った、修道士にございます」
「聖都からわざわざ・・・・・・」
聖都ルーアン。
王都からは三日歩いてもたどり着くかわからない、砂漠に囲まれた神殿のある、大きな町であった。
そこにそびえたつ大きな樹、ユグドラシルは聖なる神の大樹とも呼ばれているのだが、最近ではよくないうわさも耳に入ってきて、ユグドラシルが枯れ始めているというのである・・・・・・。
「あなたにぜひ、あなたにぜひ、聞いていただきたいことがあります」
ロレンツォ、と名乗るこの年若い修道僧は、バージルにしがみついて、離れようとはしなかった。
このことがバージルに不安を呼び寄せたが、ロレンツォはお構いなしで続ける。
「いいですか。このままいけば、町全体が・・・・・・いえ、世界全土が危ないのです。うわさは本当で、ユグドラシルの大樹は、すでに乾ききった大地のため、命を消そうとしております。もはや風前の灯というやつで――」
「なんだって」
バージルは恐ろしくなり、ただロレンツォの顔を見つめるばかり。
「お願いです」
ロレンツォの必死の形相も、バージルにとっては恐怖でしかない。
修道士はそのことに気づいていない様子で、切々と訴えている。
「どうか、お願いです。世界を救ってください。王子様。ユグドラシルを救ってください、王子様!」
「ユグドラシルが滅んだら、本当に世界も壊滅するの?」
ロレンツォはもちろんです、と答えてしまった。
「王子様。あなたが望むなら、力をお貸しします。あなたが望むなら、この命をささげる覚悟で、こうして参ったのです」
「でも、命は粗末にするものではない・・・・・・」
それは、いつも父が言っていた言葉だった。
「王子様・・・・・・」
ロレンツォはこの刹那、誤解していた。
バージルは自分のためを考えてそう言ってくれたのだと。しかし・・・・・・。
「・・・・・・ですから、神の妻フリッグさまからのお告げで、王子様をぜひ、派遣してほしいと」
ヨハンネスは不安であった。
バージルは気の弱い少年で、とても強いとはいえなかったからだ。
王は、ため息をついた。
「だめだ。とてもじゃないが・・・・・・外へは出せぬ」
「そんな」
ロレンツォは王のつれない返答に、かなり衝撃を受けた様子で、ひざをつき、がっかりした。
「こ、このままでは世界が滅んでしまうんですよ・・・・・・」
「そうは言われても。このわしが出向くことができたらいいんだが・・・・・・」
王もまた、頭を抱える。