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和尚さんの法話 「平家物語の往生思想」

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『因果の道理』

平家物語に綴られておりますお話の中に、往生極楽を願う、そういう場面が沢山出てきますね。

当時の人々がどういうふうに極楽往生を願ったか、どういうふうな縁によって、そういう気持ちを起こしていったのか、そういうことを辿りながら私たちの仏道の活動のためになればと思い、お話をしてまいりたいと思います。

私はこの平家物語というのは、そう詳しくないのですが、いろいろな本を見ますと、信濃前司行長(しなののぜんじ ゆきなが)という方がありまして、この方は上流階級の人であっただろうと思うので、学問の才もあるし、文才もあるしと、そういう方だったようです。

誉れも高い有名だったらしいその方が、あるつまづきがあったんですね。
 
大失敗をしたそうです。

それがえらい評判になってしまっったんですね。

宮中に勤めておった人なので、上流か、中流の中堅階級の人だったんでしょうね、居た堪れなくなって、身を隠すというのでしょうか、隠すというほどではないのだと思うのですが、表から姿を消すというようなことになってしまったんですね。

そのときにその当時の高層で、慈円僧正という方がいまして、法然上人も繋がりがありますし、親鸞とも一時支持していたことがあるようです。

その当時の一指導者であったようです。

その方がいろいろと困った人を助けたり、或いは便宜を図ったりというような、単に仏道だけじゃなくって、社会的な仕事をなさったように見受けられます。


で、この行長が失敗をしてですね、ひっそりとしているというので、それではあの才がもったいないと、なんとかして生かしてやらねばいかんとでも思ったのでしょうか、目をかけたんですね。

その当時、平安から鎌倉、江戸時代にもございましたでしょうか、琵琶法師というのがあって、琵琶を弾き大道で琵琶歌を歌いながら生計を立ててたわけですね。

その琵琶法師のなかに生仏(しょうぶつ)生き仏と書いて、しょうぶつと読むのですが、どういうわけで生仏という名前を付けたのかは分かりませんが、その琵琶法師はちょっと有名な人だったらしいです。

で、その慈円僧正が、おまえは文の才能があるんだから、平家のことを物語りに書いて、そこで仏教の教えも書いたに違いないんですね、仏教はこうして因果を説くと、因果応報をね。

平家がこうして滅びていくのも因果の道理に従って、原因があるから滅びていくんだと。

諸行無常という意味だというようなことで、そういうことも含めて、慈円僧正は坊さんですからやっぱりその仏教も全く無関係ではないですね。

そういうものを織り込んで、そういうのを一つの流れにして作って、琵琶法師の生仏に歌わせたらどうだと、それで慈円僧正の考えでは、それによって仏教の教えが巷に広がっていきますよね。

そういうのを琵琶法師も白拍子もそうですが、仏教の思想を歌にして、そして歌ったと、いうことが本を読んでいるとわかりますよね。

そういうことで物語の中に織り込んでね、知識階級の人ですから仏教のことも経典を読んでるし、多少のことは知ってるはずなんです。

そこへ慈円僧正が教えて、そしてその書いた物が平家物語だと、いうふうなことなんですね。

これが徒然草というのがありますね、その中にも、短い文章ですがちょっとそういうのが出てきますね。

それで文学者の方々は、平家物語は信濃前司行長が慈円僧正の教えによって平家物語を書いて、琵琶法師の生仏に歌わせた。
と、これが平家物語になったと、一応そうなってますね。

なってますが、昔はその、何か得がたいことがあったら必ず紙に書いて書き写すんですね。

写し写して、また写すとこうなっていく間にちょっと才のある人だったら、ここはこういうふうに書いたほうがいいんじゃないかと、ここはこういうのを入れたらいいんじゃないかと、いうふうに入れ込む可能性がありますね。

ですから平家物語というのはいくつも本があるんです。

そしてあわせてみたら、みんな一緒じゃないんですね。 

Aという本にあることがBとなるとかね。

そういうことは、他の学問の世界にもあることですね。

ですので、どこかに書き間違いとか、書き忘れてるというのもあるんじゃないかと思うんですね。


例えば、候(そうろう)という文字も書いた人によっては、侍と書いて(そうろう)と読んでるんです。

ですから、これをちょっとみても作者が違うんじゃないかと思うんです。

ですから書き換えをしてる可能性があるので純粋ではないですね。

然しながら今日では平家物語は権威のあるものですね。

特に仏教は当時の人はこういうふうに思っていたのかと、参考になるわけなんですね。

本題からちょっと離れましたが、この物語は長いお話になりますので、全部はできませんので思うところを抜き出して書いてみました。



棒線のところで話を繋いで書いてます。


「――― 西のもとに一字の御堂あり。 即ち寂光院是なり。」

寂光院というのは伝教大師の創建とも伝えられるし、聖徳太子の創建とも伝えられていますが、これは伝説なんですがね、他にもいろんな方の創建だということも伝えられています、古くからあった寺ということですね。

しかしまあ、このころは荒れていたわけですね。

それをまあ、結局、皇室の方が隠遁するわけですから多少は補修とかをしたに違いないですね。これは私の推測ですが。


「古う作りなせる山水木立、由ある様の所なり。」

古い建物で、どういえばいいのでしょうか、雅やかなと言いますか、泉水とか木立の様子を見るからにいわれのありそうな由緒ある様子がわかる。

そういう建物だということですね。


「夢(いらか)破れては霧不断の香を焼き、」

屋根の瓦が落ちて、霧がその穴から天井を通して下へ落ちてくる。

それがまるでお香を焚いているように見えるということですね。
文学的な表現ですね。


「樞(あまど)落ちては月常住の燈を挑ぐとも、かようの所や申すべき」 

雨戸が落ちてしまって、月の明りが常に見える。 

それが燈明を燈したようである。

これは作者の言葉なのか、他の何処かの言葉なのかわかりませんが、そういうふうな文章が最も相応しいような、この表現がぴったりくるのでしょうね。

扉が破れて絶えず月の明りが差し込んでくる。

言うなれば、これはあばら家ということですね。 

こういうところを言うのであろうと、いうことですね。

これは後鳥羽法皇が建礼門院の居る大原を訪ねていく一説ですから。

法皇がそこへ訪ねていきまして。

「―――法皇 「人やある、人やある」 と召されけれども、御応え申す者もなし。」

誰か居らんかと声をかけるが、誰も出てこなかった。


「はるかにあって老い衰えたる尼一人参りたり。」

然しながら、しばらくたって、一人の歳をとった尼さんが、奥のほうから出てきたのですね。

で、その人に「女院はいづくへ御幸なりぬるぞ」 と仰せければ、 
「此の上の山へ花摘みに入らせ給いて候」 と申す。
(この候は、元は侍になってるのを書き変えたものです。)