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和尚さんの法話 「八万四千の法門」

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あの小さい子供に布団も着せずにひと番寝かせるのはちょっと無理だから、すまんのだがちょっと譲ってもらったら、なんとかなるだろうから泊めてやってほしいと言ったというのです。

それで信仰の深い人ばっかりが泊ってるんだからお遍路さんが困ってるというならばと。

それを坊さんが言うてきたからというが、その坊さんとは誰だというと、弘法大師ですね。
と二人の話しになったそうです。

だから深い信仰を持ったら不思議なことがいくらもあります。初めは不思議と思うことが不思議でなくなってくるんです。

それが当たり前なんです。

我々が知らないから不思議だ不思議だと思うているけれども当たり前なんですよね。

だから、何時幾日に何処の角で交通事故に遇うというようなことはもう決まってあるんですから。我々は知らないだけで決まってるんです。


いいことはよろしいですよね。いいことはいいですが、悪いことは気をつけないといけませんから。

結局そういう根本は、あの世がある。

死後の世界があるということと、善因善果、悪因悪果という因縁の道理は仏様の説いて下さってるとうりだ、間違いないと、信じないといかんということになると思うのです。

お経の中にもありますが、そういうことを信じないと嘆いてらっしゃるんですよね。
生まれ変わるということも信じずに悪いことばかりしてみたり、信じないといって。

だからお釈迦様の当時でもそういう人たちがあったわけです。


『縁無き衆生』

こういうことがお経にあるのですが、「是の如き悪人、善を作して善を得。道を得ることを信ぜず人死して更に生じ、恵施して福を得ることを信じず」

これは善因善果、悪因悪果ですね。そのことを信じずに仏道へ向かっていく。

仏道といいましても、まずは人道を知らなければいけませんね。

だから善いことばっかりをしていたら自然と仏道へ入っていくということですね。
恵施するということは布施ですね。そうして福を得るということを信じないということです。


「先聖諸仏の経法を信ぜず、道を行いて度世を得べきことを信じず、死して為神明更に生ずることを信じず」

お釈迦様も仏様も同じことを説いてるんです。
が、そういうことを信じないということですね。

度世ということは解脱するということです。

信仰も道を行じるひとつですね。

それを信ぜずということです。

神明というのはこれは霊魂のことです。

それも信じずということです。

だからこの反対を行じなければいけないということですね我々は。

お釈迦様が説いてもなかなか信じないのですから。

縁無き衆生といってお婆さんに呼び掛けてもお婆さんは後ろを向いてしまって、正面へ廻るとまた後ろを向いてしまって、お釈迦様が法を聞かせてやろうと思ったって聞こうとしない。

この話しは、お釈迦様がお弟子さんたちと一緒に歩いているとき、みすぼらしいお婆さんが道端へ座り込んでいて、お釈迦様が通り過ぎていくから、お弟子さんが、お釈迦様ここに哀れな一人の老婆が居ます。

これは前世の不徳でこんなことになっているのですから、法を説いてやって頂きとうございますと言ったんです、可哀相にと思ったんですね。するとお釈迦様は、この者は縁無き衆生だと言ったんです。

するとお弟子さんが、若し縁がないのなら世尊の方から縁を結んで頂いたら如何でございましょうかと、弟子が言うものだからお釈迦様が戻ってきて婆さんに声をかけたわけです。これが縁無き衆生だよ。というお経があるのです。

ですからその当時でもお釈迦様が居るから皆が、というわけではないんですよね。
我々はもうお釈迦様がいらっしゃらないのですから残されたお経を頼りにするしかないわけなんです。
そのお経を正しく伝えることが大事なんですが、ところが残念なことにお坊さんでも信じないのですから。

お釈迦様がお亡くなりになって二千年ほど過ぎて、今もそうですが末法といいますが、それが万年続くと。

その末法に入ったら坊さんが子供の手を引いて、酒屋へ酒を買いに行く時代が来るということを、お経の中へ出てくるのですが、お釈迦様のいらっしゃる当時なら戒律を守って、絶対にそういうことはしませんよね。

これが将来だんだんと崩れてきてお釈迦様が亡くなり、偉い坊さんが亡くなりして、二千年以上たって万年に入ってきたら、その当時なら坊さんが結婚をするというようなことを夢にも思いませんよ。

だけども将来は坊さんは結婚をするし子供も出来る。

その子供の手を引いて酒屋へ酒を買いに行く。

酒も飲んだらいかんという戒律もあるのに、二千年もたったら酒も飲む坊さんがあるし、子供も作って酒屋へ酒を買いに行くということをちゃんと予言してあるんです。

そのとうりの時代になってますね。

お経の中にはそういう予言が沢山出てきますね。

これはキリスト教にもあるそうです。

そしてもう末法に入ってきたら坊さんがだんだんと信仰を失くして、率から言うと坊さんよりも在家の人のほうが信仰が深いとお経に書いてるそうです。

仏教をつぶすのは坊さん自体だと説いてるそうです。

坊さんが仏教を潰す。在家の人じゃない。そのとうりになってきてますね。

あの世を信じると言う人も在家の人のほうが多いそうです。

ですから坊さんがあの世が無いというから在家の人はびっくりしますね。