友と少女と旅日記
ポプラちゃんが宿屋のロビーにいました。外へ出ようとしたときに、受付の人と話をしているところを発見しました。踊り子の服から普段着に着替えているようでしたが、私はすぐに気付きました。何故こんなところに、――と思う間もなく、彼女もこちらに気付いて声を上げました。
「ネルちゃん、やっと見つけた!」
まだ気持ちの整理がついてない、――私は混乱したまま部屋へ戻ろうと駆け出してしまいました。
「待ってよ、ネルちゃん! どうして逃げるの!?」
すかさず彼女も追いかけてきて、壁に追いやられる形になりました。肩を掴まれ、振り向かされて、私は観念する他ありませんでした。
「ねえ、ネルちゃん。ネルちゃんだよね。私に会いに来てくれたんじゃないの? 偶然じゃないよね? なのに、どうして逃げるの?」
「……ごめんなさい」
絞るような声で私は謝罪の言葉を口にしました。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。私の、私のせいでっ……!」
「いや、いきなり謝られても意味分かんないんだけど……」
泣きじゃくる私を前にして、ポプラちゃんはただただ困惑した表情を浮かべるだけでした。本当に、何が何やら分からないという感じでした。
「だって、あなたも覚えてるでしょ……? ううん、忘れてるはずがない……。私が3年前に何をしたのか、あなただって分かってるはず……。
私のせいで、あなたは孤児院にいられなくなって、まともな教育もちゃんと受けられないまま、働かなきゃいけないようになった。だから、踊り子なんていう卑しい職業を選ぶしかなくて、それは全て私のせいで、だから――」
パシンッ。――私はポプラちゃんに平手打ちをされました。見れば、ポプラちゃんの顔は困惑した表情から怒りの表情へと変わっていました。
「ごめんなさい。やっぱり怒ってるよね……。いいよ、私はいくら殴られても仕方ないことをしたから。好きなだけ殴っていいよ。あなたの気が済むまで――」
「違うよッ! 私が怒ってるのはそんなことじゃない。私が怒ってるのは、ネルちゃんが踊り子を卑しい職業だって言ったことだよ!
謝るんだったら、そのことについて謝って! 私は好きでこの仕事を選んだの。なんにも知らないネルちゃんに卑しいだなんて言われたくない!」
私は、はっとさせられました。お店の安っぽい雰囲気を見てしまったせいもあるでしょう。しかし、私の中に踊り子という職業に対する軽蔑の気持ちがあったことに変わりはありません。私は無意識のうちにポプラちゃんを傷付ける一言を言ってしまったのです。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。なんにも知らないで勝手なこと言って。……でも、やっぱり怒ってるよね? 私があなたに対してしたことについて」
「怒ってないよ。あの日のことについては、なんにも怒ってない。むしろ今では感謝してるくらいかな。孤児院から逃げ出すことができるきっかけを与えてくれてさ。
私はもっと早く逃げちゃってよかった。もちろん逃げる以外にも解決する方法はあったかもしれないけど、ずっとずっと我慢する必要なんてなかったんだ」
「本当に……? だって、私はあなたのことを裏切っちゃったんだよ? あの孤児院の中で、唯一友達になれそうだったあなたのことを。
私だって本当はずっとあなたと友達になりたかったのに。それなのに、あなたのことを見殺しにし続けて、しかも最後にはあんな酷いことを――」
「全部仕方がないことだったんだよ。ネルちゃんは別に悪くない。悪かったのは、弱かったあの頃の私。ネルちゃんのことを悪く思ったことなんてないよ。一度だって」
「でも……」
「私の言葉が信じられない? だったら、証拠を見せてあげようか」
ポプラちゃんは悪戯っぽく笑いました。何故あんな酷いことをした私の前で、こんな顔ができるのかと私は信じられない気持ちでいっぱいでした。私はポプラちゃんに憎々しい顔で睨まれるものだとばかり思っていたのです。
だけど、そんな彼女がポケットから取り出したものを見て、私はポプラちゃんに恨まれていると思っていたことさえ、失礼なことだったと気付かされたのです。
「ほら、覚えてるよね。このハンカチ、ネルちゃんのだよ」
「なんで……!? なんで今でもそんなもの持ってるの!?」
「もしもネルちゃんにもう一度会えたなら、あのときはありがとうって言って、返してあげたかったから。だから、私はずっとこのハンカチを身につけていたの。怒ってる気持ちが少しでもあるなら、そんなことできないと思わない?」
私は閉口するしかありませんでした。なんでポプラちゃんはこんなにも純粋なのか。汚れきった私の心とは全然違う。私は自分の小ささを思い知らされました。
「というか、ネルちゃん! 私、ずっとネルちゃんと連絡取りたかったんだよ!? なのに、先生に訊いても、旅商人になったから、今どこにいるのかも分からないって。
そもそもの話、ネルちゃんと私が連絡取りあってることがバレて、ネルちゃんがいじめられるきっかけになることが万一にもないようにって、ずっと先生宛ということにしてた私も悪いかもしれないけど……」
「あ、あはは、それについてもごめんなさい」
私は涙を拭きながら、少しだけ笑いました。凄く嬉しかったんです。ポプラちゃんがあの日のことについて何も怒ってなかったんだと分かって。なのに、こんなくだらない、――なんて言ったら、またポプラちゃんに怒られそうですけど、普通の友達みたいなことを言ってくれて。
「あ、ハンカチ使う? さっき洗ったばかりだから汚くないよ」
「じゃあ、そうさせてもらいます」
「うん、あのときは本当にありがとうね、ネルちゃん」
そう言って、ポプラちゃんは私にハンカチを返してくれました。私はそれで涙を拭いてから、ポプラちゃんに訊ねました。
「そういえば、どうして私がここにいるって分かったの?」
「え? それは、走り回って探したからだよ。絶対この町の宿屋のどこかにいるはずだと思って、一件ずつ宿屋を訊ねて回って」
「あ、ごめんね。そんな大変なことさせて――」
「もうっ、そんなにいちいち謝らなくていいよ。私たち、友達でしょ?」
ねっと言って、彼女は見蕩れてしまいそうになるような笑顔になりました。そうでした、いちいち謝られるのはウザくて仕方がないことなんでした。
「友達でいいのかな」と不安な気持ちを抑えられないまま、私は呟きました。
「もちろん。違うって言われる方がショックだな」
「また会いに来てもいいのかな」
「いつでも歓迎するよ。私ね、今お店ではNo.2って言われてて、凄く輝いてるの。ネルちゃん、今日はあんまり私の踊り見てなかったでしょ。
良かったら、また明日にでも来てくれない? ネルちゃんにも見て欲しいな。頑張ってる私の姿」
「いいのかな。本当に」
「いいんだよ。友達だから。――そうだ、いっそのこと、今日は私の家に泊まらない? 宿屋のキャンセル代が掛かるなら、私が払うよ。明日の公演の料金も、私が店長に言って、ただにしてもらうし」
まるで夢のようでした。断る理由など、もちろんありません。とんとん拍子に話が決まって、私は今ポプラちゃんの家にいます。本当に会いに来て良かったです。