河 (一章)
私が生を受け、誕生し、ここまで来るまでの、「人生の時間」が止まったのだ。
後にも先にも引けない、空間的閉存という、今私が多摩川を目前にし、両脚が地上からしっかりと掴まれ、固定され、今私が見ている主体的空間と、客観的空間に存在する私の肉体的姿の双方が、脳内でピシャリと撮られた。それは人生の中で写し出された最高傑作の写真で、頭の片隅に、未来永劫にピンで貼り付けられ、それには「時間」という概念が無く、まるで今の私の姿が、時間軸上の可逆でも不可逆もない、在りし日の姿が、遺影の様に常に頭の片隅に置かれているのであろうという感覚に陥った。
ただ、私はこの時同時に、不安に駆られた。この様な景色はいずれ生きていればまたこの場所に来れば見ることができ得るだろう。しかし、「時間」と言う不可逆な空間に曝された私の肉体は、たった今、瞬間的に、頭の片隅の一点に永遠に捨象されうるものから、老衰というものが残酷にも「それ」を過去に引き離す、という不安が私を襲い、それを懸命に否定しようとした。つまり、若く、日焼けした肌に厚く覆われた脂が、汗を雫のように弾き、同時にその瞬間、私の中の「河」の「耽美」を見た時、死ねばいいのである。