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203号室 尾路山誠二『アインシュタイン・ハイツ』

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約束:プロローグ


 
 空を見上げると、雨を予感させる灰色がかった雲がまんべんなく広がっていた。ムラがなく密閉されたような息苦しさを感じる。
 都心から少し外れ、オフィス街と若者たちがたむろするセンター街のちょうど中間地点に存在する路地裏の喫茶店の前で、私――柿枝このみは数時間におよんで立ち尽くしていた。正確には喫茶店の向かい側のビルの壁に寄りかかって人を待っていた。
 喫茶店は黒と白とを基調としたゴシックなデザインで、周りを囲む建物は全て灰色のビル、そして空は曇天。草木はなく、完璧なまでに舗装された道が路地に張り巡らされているこの空間に雑草の一片も存在せず、まるで色というものが存在しないかのようだ。一世紀ほど前のモノクロの映画を覗いているかのようだ。
 白と黒のコントラストで世界は構築されていて、唯一私が着ている赤いワンピースドレスが、色という概念の存在を示していた。
 しかし、昔はこの空間に、一つのピンク色のネオンが灯っていた。
 十年以上も前のことだ。目の前のビルの一階に喫茶店が入る前は、スナックが営業されていた。もしかしたら何度も入れ替わったすえにこの喫茶店が入ることになったのかもしれないが、私が小学生だった頃には既にスナックがこの薄暗い路地に蠱惑的な色を発していた。
 【スナックバー ルーフ】。それが私が初めて勤めたスナックで、ママが立ち上げたお店だった。
 ママというのは、母親という意味ではなくスナック内を取り仕切るチーフのような存在を意味している。しかし、孤児であった私を拾ってくれたという意味ではママは本当のママだった。お母さんと呼んでいたけれど。
 何度も何度も説得を重ね、反対されては頬を叩かれ、ついにはお母さんの根負けによって私は【ルーフ】に就職した。三人のホステスの姉さんたちは家族も同然だったし、私の就職を暖かく受け入れてくれた。毎日彼女たちから男を誘惑する術を学び、お酒の注ぎ方を学び、たまに恋の話をしては毎日を楽しく過ごしていた。
 それが十数年以上前の私。そんな生活が一生続くものだと信じて疑わなかった私は、十数年以上も前に消えてしまった。
 十年より先の数は数えない。
 それは老いを恐れているからではなく、ある日、ある少女と結んだ"約束"が色あせることを恐れているからだ。