203号室 尾路山誠二『アインシュタイン・ハイツ』
北島さんは先ほどの店員のご執心の様子。去った後もずっと目で追っているようだ。
「なんですか、尾路山さん。用がないのなら声かけないでくださいよ。私は彼ら……いえ、彼女らの姿を目に焼き付けているんですから」
「あ、そう、かぁ……まぁ、頑張って」
北島さんがアレなので、ほっとこうと決める。忘れかけていたが、これは伊田君の調査能力査定みたいなものなのだ。俺も真面目に仕事をすることにしよう。
店内を見回すとまばらに人が座っていて、店員は三人だけ。金髪ツインテールの子と先ほど俺達の相手をしてくれた黒髪の子、あと眼鏡をかけた男が一人。それとツインテールの子と仲良さげに話す長身の大男がいるが、用心棒か何かだろうか。
「伊田君は……いないなぁ」
店内に入って来ていたら店員の反応で気づいただろう。ということは外で入り口を監視しているのだろうか。
携帯を取り出して、伊田君に連絡してみる。
『もしもし、伊田です』
「尾路山だけど、伊田君、俺の居場所わかってる?」
『もちろんっすよ。ピュア☆ピュアでしょ?』
「わかってるんならいいや。それじゃ」
と電話を切ろうとした時、伊田君が声をあげた
『ゲロッチ!』
「ゲロッチゆうなっ!」
『あのですね』
無視かよ……!
「おう?」
『にゃん子さんとどんな話したんすか? 何食ったんすか? にゃん子さんは何が好みなんすか? にゃん子さんは――』
「………………」
『はぁ、はぁ……そ、それで……はぁっ、はぁっ……にゃん子さんは』
「あー……それじゃあね」
ピ、と通話を切ってしまう。
今の会話は忘れてしまおう。俺はそう決めた。
「まさか、コーヒー一杯が八百円もするとは……」
「こういう店はそういうもんですよ」
その後、俺達は何か頼もうと決めて俺はコーヒー、北島さんはオムレツを頼んだ。驚いたことに、一番安いものがコーヒーであり、その値段だった。
「それにしても……そういうことか」
思わず言葉を零すと、「何がですか?」と北島さんが拾ってくる。
「いや男の娘って、女装した男の子のことなのね」
先ほど注文を受付にきた店員は、席に案内してくれた子ではなくツインテールの子だった。俺はすっかり女性だと思い込んでいたのだが、発せられた声の質に一瞬言葉を失った。
「何言ってるですか、尾路山さん。当たり前ですよ。あんなに可愛い子が女の子なわけないじゃないですか」
「ええ!? 何その理屈!?」
「世の中の常識ですよ」
マジか!? 知らなかった!
「えっ、じゃあさっき俺達を案内してくれた子も?」
「男の子に決まっているじゃないですか」
さも当たり前のように言い放つ彼女の目は真摯のそれだった。
「じゃあカッコイイ子は女の子なのか?」
逆説を述べると彼女は不機嫌そうに「はぁ? 何言ってるんですか、イケメンはイケメンでしょう?」と返してきた。
「……どういうことなの?」
訳がわからなくて困惑していると、突然後ろから悲鳴が聞こえてきた。可愛らしい女の子の声と、野太い篭った男の声だ。
振り向くと、黒髪の店員がずっこけていて、前方一メートルに座っていた男性客は頭から甘ったるい白い液体を垂らし頭にグラスを乗せていた。察するに店員の子がずっこけた拍子にグラスがすっ飛んでいって男性客の脂ぎった頭に不時着を果たしたのだろう。
「お、おいぃぃぃっっ!! ちょ、服汚れ、ちょマジかよぉ!!」
「す、すすすみませんっ!!」
怒り出した男性客に必死に謝る黒髪の店員。可哀相だが、ありゃ必死に謝って許される程度じゃないな。見たところ粘性のある白い液体は……おそらくヨーグルトだと思うのが大分服に染み付いてしまっていて、ところどころ苺と思われる果肉が髪に絡まっている。ひどい有様だった。
すると、
「どじっこキターーッッ!!」
「え、何、急にどうした北島さん!?」
「尾路山さんこそどうしたんですがっ! なんで平然としているのですか!!」
「はっ、どういう――」
ことだよ、と続けようとしたところで、気がついた。なぜか店内の客は恍惚とした表情でどじをかました店員を見つめていた。良いもの見れたとでも言いたげな満足気な表情だった。
「尾路山さん。カワイイは正義という言葉を知っていますか?」
「えっ、は? 何?」
北島さんの目がギラリと光った。口角を吊り上げて、ニタリと笑う。
「尾路山さんはきっと、可哀相だけどあの店員は叱られるなぁ、なんて思ってませんか?」
「えっ、まぁ……そうだけど」
「見てください」
指差す方向。どじった店員と男性客の方を見てみる。するとなぜか男性客はニヘラと相好を崩して、「いいよ、いいよ」と手を振っていた。
「見てくださいッ! 可愛いは正義でしょう!?」
「ええ……??」
「ね、尾路山さんッッ」
「あー……うん、そうだね」
正直疲れてきておざなりな返事しか返せない。「ちょっと、やる気あるんですか!?」と突っかかってくる北島さんには手を振った。もうこの店内だけ外の世界とは別の法則で動いてる。そういう風に理解しよう。じゃないと俺の精神が持たない。
ちょうど喉を潤したいと思っていた頃に、ツインテールの店員がコーヒーとオムレツを持って来てくれた。
「先ほどはお騒がせしてすみません。お待たせしました、オムレツとコーヒーでございます」
テーブルに皿を置く時に揺れたネームプレートが目に入った。『み〜たん』というらしい。
「み〜たん! あのね! オムレツにケチャップでハートマーク描いてくれない?」
あー……北島さんがどんどん壊れていく。むしろあれが彼女の本性なのだろうか。まぁそんなことドウデモイイヤ。
「はーい、かしこまりました!」
その後俺はコーヒーを飲んで、北島さんはツインテールの店員にオムレツにケチャップでハートマークを描いてもらい、鼻血を噴出して台なしにして時間を送っていった。
その間一切、最初に俺達を相手してくれた子は俺の方に顔を向けなかった。しかしチラリと見えた横顔にどこか見覚えがあるのだけど……うーん、誰だったかなぁ。思い出せない。
どこか不完全燃焼な部分もあるが、ここに来たことでなぜ調査対象が調査されるに至ったかがよくわかった。
挙動不審の理由。それは、男のくせに可愛い男の子を求めていることを彼女に知られたくなかったってことだろう。
作品名:203号室 尾路山誠二『アインシュタイン・ハイツ』 作家名:餅月たいな