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203号室 尾路山誠二『アインシュタイン・ハイツ』

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PM2:45



 ゲーセンが入っていたビルの地下のファミレスで俺とにゃん子さんは昼食を取って別れた。ダレパンダのぬいぐるいみは会社に戻ると言うにゃん子さんに預けて俺のデスクに置いておいて貰うことにした。
 何となしに建物の間から、空を仰ぎ見る。陽射しが空の青色を薄めていて一部の雲が空と同化しているように見えた。太陽から雲が生み出されているかのような錯覚を起こさせる。北東の空は雲ひとつなく、日の光から遠いそこは濃い青色が沖のように佇んでいた。
 暗い室内から外へ出た後の爽快感をひとしきり楽しんで、メモ帳を確認して行動を開始する。
「次は喫茶店……飲食ばっかりだな」
 次行く店も友人連れということで、待ち合わせの駅前にやってきた。改札前のここで待ち合わせしているらしい。
「あ、尾路山さんこんにちは」
「おう、今度は北島さんか」
 改札の向こうから北島さんがやってきた。スーツ姿の格好ということは、わざわざ会社から出向いてきたのかもしれない。
 スーツ姿に黒のショートボブは良く似合う。まさにOLといった姿だが、その実体は零細企業の外回りでコスプレマニアだ。残念すぎるなぁ、というのが俺の本音だ。
「なあ、調査対象だった男ってこんな何人も女と会ってたの? 依頼主が行ってた様子がおかしいのって、そのせいじゃない?」
「いえ、会ってたのは男友達だけです。今日尾路山さんと一緒した私とにゃん子さんは、他に男手がないから仕方がなく出張ったに過ぎません」
 そういえばそうだった。Weedsの正社員には俺と伊田君と丸腹と高梨さんの四人の男がいるのだが、俺と伊田君はこうして擬似調査の主役だし、丸腹は今日だけ俺の会計事務を代わっている。高梨さんは論外だ。
「なるほどねー。丸腹は俺の仕事やってるって言ってたし、そういうことか」
「そういうことです」キリッとした笑顔を見せる。中々魅力的なのだが、中身がなぁ……。「さっ、それじゃ行きましょうか」
 言うとすぐに歩き始めた。どこか威勢がいいような気がするのは、気のせいだろうか。
「あのさ、これから行くところって喫茶店だよ」
「はい? 心得てますけど、それがどうしたんですか」
「いや、なんか元気いいなーと思って」
「そんなことないですよ」
 きっぱりと言い切ると、今度は俺を置いていくかのようなスピードでどんどん歩いて行ってしまう。何だ、腹でも減ってるのか? それともこれから行く店はお気に入りとか? 
 北島さんがやたら張り切っている理由がわかったのは、数分後のことだ。

 その喫茶店は路地裏の薄暗いところに在った。その店の前で俺達は足を止めていた。
 ……というか俺が止めた。
「キ、キタジマサン?」
「? 何ですか、気持ち悪い裏声なんか出して」
「イヤアノネ? ココネ?」
「キモイから止めてくださいよその裏声」
 ……ゴホンと咳払いを一つ。
「あのさ、ここさ、ここにさ、入るのかい?」
「そうですよ。目的地の喫茶店じゃないですか。確認してみてください」
 わかっている。わかっているけども、俺はもう一度メモ帳を取り出して住所を確認してみた。
「そうだね。うん、目的地の喫茶店だ。確かに店頭看板に喫茶の二文字が書かれているよ。だけどさ」
 言いながら、その看板の『喫茶』に冠された一文を読み直してみる。
「『男の娘専門カフェ☆ ピュア☆ピュア』とか書かれているんだけど……」
「そうですよ」
「いやなんでそんなあっさり納得しちゃ――」
 と言いかけて思い出した。北島さんはまさにこういった店を得意とする、というか好む人だった。有給をとってコスプレイベントに参加するような人だ。きっとメイド喫茶とか慣れているに違いない……。
「ちょっと、そんな目で見ないでくださいよ。尾路山さん」
「ちょっと、鼻血垂らさないでくれよ。北島さん」
 おっとイケネ、と呟いてやっと自分の鼻から川流れのように垂れていた体液の存在をようやっと確認していた。北島さんは気づいた時にはだらだらと鼻血を垂らしていて、地面に転々と赤点を残していた。樹海とかなら役に立ちそうだけど、こんな町で遭難なんかするはずもなく。
「こ、興奮しているのかい、北島さん」
「そんなことないですよ」とか冷静にそして精製正しくすまし顔で言いながら、鼻を押さえていた指の隙間からブシュと鼻血が吹き出していた。血が看板に吹きかかったので、これまた落ち着いて、まるで落としたボールペンを拾うかのような優雅さで鼻血を拭き取っていた。殺し屋が証拠隠滅を図っているみたいで怖い……。
「だ、大丈夫かい?」
「大丈夫に決まっているじゃないですか。ここでくたばってたまるもんですか」
「な、何を言ってるんだ……!?」
 どうやら北島さんの威勢の良さはこの店に期待していることが起因しているらしい。こういう店って男性をターゲットにした店だろうに、物怖じしない彼女姿勢は実に男らしい。
「まぁ何にせよ、これも仕事だ。入らざるを得ない」
「おい、それは俺の台詞だ。北島さん」なぜ北島さんが言うんだ。そんなに早く入りたいのか。
 と、ギロリと北島さが睨みつけてきて、
「もうグダグダうっさいのよ!」ついに壊れてしまった。「入りますよ入るわよハイリマース!!」
 あ、と思ったときには店の北島さんは扉を押し開けて中に侵入していた。怒った北島さん怖えぇ……と少しビビったがここで退いては男が廃る。廃るほどの男があるか怪しいところだけど。
 とにかく俺も彼女の後に続いた。
「いらっしゃいませ、ご主人さま」
 入ると、さっそく店員に出迎えられた。エプロンドレスを着たショート黒髪の小柄な女の子が出迎えてくれた。
「ウハッ!」と恐らく歓喜の雄たけびと思われる一声を北島さんがあげた。目じりを垂らして口元はニヤニヤ、涎を垂らしそうな勢いだ。
「いらっしゃいましたーえへへ」と口にする始末。本当に残念な人だな、と白い目を横目で向けるが気づいた様子はない。一心不乱に舐め回す様に店員の子を眺めていた。正直、気持ち悪い……。
 店員の子が北島さんの様子に怯んでいるのか、もしかしたら女性が来たことに驚いているのかはわからないが動揺していた。気を取り直したように一つ頷くと、店員の子は今度は俺の方に向くと再び頭を下げて決まり文句を口にした。
 ――のだが、
「いらっしゃいませ、ごしゅ…………っ!」
「ん? ……ごしゅ?」
 その子は口をパクパクさせたのち、「あわわわわ」と慌てだした。何だろうか、俺が怪物か何かに見えるのだろうか。
 怪訝に思っていると、店員の子は顔下げて俺を見ないようにしながら改めて「い、いらっしゃいませ、ご、ごごご主人さま」とどもりながら言い直した。
 さらに怪訝が深まる。顔を隠しながらその子は俺達を席に案内した。その間も北島さんは目に血管が浮き出るほどに目を開いて店員の子の後頭部を熱心に見続けていた。
「ご、ごごご注文が お決まりましたらお呼びくださいっ!」
 店員の子はそう捲くし立てるとそそくさと去っていった。何だ、何が彼女を怯えさせるんだ? 俺か俺のせいか? 俺の何がいけないんだ? 天パか? 天パなのか?
「なぁ、北島さん。俺どこか変?」
「………………」
「北島さん?」
「……え、あ、はい?」
「………………」