珈琲日和 その18
「この間はありがとうございました。お陰で、悩んで見えなかった気持ちがはっきりと見えるようになりました。あの先生にもお礼をお伝えください」
「いえいえ。僕は何もしてませんから。全部健三郎先生のお陰ですよ」
「あの方は、健三郎先生と仰るんですね」
「ええ。案外有名な作家の方で、僕も何冊かは読んで知ってますけど」
「そうだったんですね。そんな大先生に助言を頂いたなんてラッキーだわ!くれぐれもお礼をお伝え下さいね」
「でも、ご自身で直接お礼を言った方がいい気がしますけど。恐らく明日辺りにもいらっしゃいますし」
「ええ。そうしたいのは山々なんですが、実は私は転勤する事になりまして。明日にも出発なんです。だからこうして慌ただしく出させたレポートを採点したりしているんです」
「そうでしたか。一体何方へ行かれるんですか?」
僕の問いには答えず、彼女はふふと含み隠すように微笑むと、少し間を置いて話し始めました。
「彼女は県知事の秘書をしていました。でも、長年の夢だった自分のお店を持つ事に成功したんです。けれど、なにか海外進出の際に問題が起きてしまって、それで財産を全部差し押さえられてしまったみたいなんです。不運な事にそれと前後して彼女のお父様が末期の癌で入院してしまい、看病をしていたお母様も持病の心臓病が悪化してしまい入院してしまう事になってしまったんです。更に、彼女のお父様がお父様の側の親族の借金の肩代わりをしていたらしく、そっちの返済も迫っていたようなんです。彼女自身も心臓が弱かったので、赤ちゃんは望めない体だった為、それを引け目に感じてしまい結婚するチャンスはあったんですが、独り身だったんです。かといって県民からも信頼の厚い県知事に自分の私情で迷惑をかける訳にもいかないので何も言わずに辞めたそうです。それから、彼女はあらゆる手を使って色んな所からお金を借りたそうです。それでも足りなくて、とうとう私にまで電話をしてきたんです」
突然話し出した女性の話に僕はただ黙って聞いていました。健三郎先生のように助言をする事は出来ませんが、聞く事くらいは出来るのです。なんと言ってもそれが僕の商売ですから。
「北海道にいる父と母に会いに行きたい。お金をいくら集めても集めてもなんの足しにもならないんなら、せめて最後に会いにだけでも行きたいと言って。だから、私、彼女に約束させたんです。最後だなんて言うんなら会いに行かないで、こっちで働いていた方がいい。最後じゃないんなら北海道に会いに行って側にいてあげて下さいって。それで必ず事態を収拾させてこっちに戻って来て下さいって。そう言うと、彼女は泣きながらごめんなさいと何度も言いました。私はあの時の彼女の涙は嘘じゃないと信じたいし信じてます。もし、例えあの時の彼女の涙までもが嘘だったら、それはそれで仕方ないんです。それで苦しむのは彼女だから、せめて私は彼女の友達として、友達として出来る事をやろうと思います。今までお付き合い下さって本当にありがとうございます。向こうから絵葉書送りますので」
彼女はそう言い終わると、キャラメルラテを一口飲んで桜貝色をした唇を横に伸ばして満足そうにニッコリと笑いました。
「じゃあ、是非時計台の写真でお願いします」