ハーモニカ
「馬鹿、忘れたのか?! 沈む時はなるべく早く海に飛び込めって習っただろう?!」
印南は左舷に向かって走り出した。一瞬遅れた信乃夫だが、すぐさま彼の後を追った。印南の背に絶対生きて帰ると言う決意が見えた。一昨日の弱気は微塵も感じられない。
船は沈没時に巨大な渦を発声させる。沈没が迫ったら速やかに海に飛び込み、その渦に巻き込まれないようになるべく早く泳いで離れろと海兵団で教わっていた。これほどの巨大戦艦となると、渦の大きさは計り知れない。小さな人間など渦に引きずり込まれたら最後、二度と海面には上がって来られないだろう。
(そうだ、生きなければ。生きてみんなにもう一度会うんだ)
終焉を迎える艦を目の前にしても、米軍機は容赦がない。甲板を右往左往する人間は次々と斃れていった。中らない方が奇跡に近い。中らないと信じて、信乃夫と印南は雨と降る銃弾の中を走る。神は二人をまだ見捨てずにいるのか、艦の傾斜に足も取られず、弾も中らなかった。
しかしその幸運は目の前で炸裂した爆弾で尽きる。
印南の身体が宙を舞う。それはおそらく信乃夫も同様の状態で、視界は上下左右、次々と入れ替わった。
銀色の光るもの、はっきりとはわからなかったが、ハーモニカだと思った。
「尚…之――」
信乃夫はその光るものに向けて手を伸ばす。
全身が叩きつけられる衝撃が、『ハーモニカ』を見ていた信乃夫の視界を暗転させた。