和尚さんの法話 「地獄」
わたしはあの人がおろしが好きだったということを知らなかったんだから。
それでお母さんに聞いたら、おろし餅が好きだったと分かったんです。
これは霊魂があるからでしょう。
するとお兄さんは、そんなものは偶然じゃと、言うんです。
そういうことをいつも二人で議論するんですね。
そのうちにその妹さんが用事が出来て、岡山の田舎へ帰るんです。
その留守に初めて和尚さんのお寺へ訪ねてきて、いつも妹がお世話になってますと、挨拶に来たんです。
妹は今、田舎へ帰ってます。昨日、妹から手紙が届きまして、その手紙を和尚さんに読んでもらおうと思って来ました。
読んで欲しい手紙というのは、お兄さん、私、昨夜お姉さんの夢を見ました。
お姉さんというのは、お兄さんのお嫁さんで、結婚して間もなく死んでるんです。
夢で、お姉さんがこう言いました。
主人が私のためにお経を読んでくれます。
そのお経の声がころころと、お琴を聴くように響いてきて私はもう身も心も安らぎます。
お兄さん、この頃お経を読んでるんと違いますか、と書いてるんですね。
お兄さんはお経を読んでたんですね、今は妹さんが田舎へ帰ってるから意地を張ることがないでしょ。
お兄さんは、結婚して間もなしにお嫁さんを亡くしてしまったから、毎日しょんぼりしてたんですね。
だから妹さんが、お兄さん、そんなにしょんぼりしてないでお経でも読んであげたらどうですか、死んだらお経を読んであげるのが一番いいんだから、といつも言われてたんですね。
お経を読んであげなさいといって、いつも仏壇の前の机にお骨を置いて、その前に教本を置いてたんですね。
いつも妹に言われても読んでなかったけど、妹が田舎へ帰ったのでもう意地を張ることもないので、それにこんなにしょんぼりしてることもないし、死んだらもうなるほどお経を読むのが仕来たりやし、自分の気休めにもなると思うて、お経を読んでましたと。こう言うんです。
だから妹は私がお経を読んでるということを知らないはずです。
ところが妹は死んだ人の夢をよく見るんだと言うてましたが、今度は私の妻の夢を見たと言うて手紙にこう書いてますが、和尚さん、これは本当ですか。
そりゃあ本当ですよと、和尚さんが返事をする。
妹さんは霊を信じていますが、貴方は無心論者だと聞きましたが、それは間違いですよ。
そうですか、私はお経というものを始めて読んだんですが、お経を読むのは仕来たりですが、自分の気休めにもなると思って読んだんですが、お経は漢文で書かれていて、ふりがなを読むんですが、すらすらとは読めません。
つまづいて、つまづいて読んでるお経ですが、そんなお経がころころと響いてお琴を聴いているように聞こえて身も心も安らぐと、お経とはそういうものですか、と念を押すわけです。
そりゃそうですよ、だから我々がお経を読むんですよ。
霊魂が無かったら、お経なんか読んで何になりますのや。
寺も坊さんもいりませんやろ。
そのお兄さんは、私は今まで妹と無神論だと言い合ってきましたけれども、これはこうなったら、考えを改めないといけません。
本当に和尚さん、このとうりですか。
このとうりです。
和尚さんのようにすらすらとお経を読んだらありがたいんですか。
そりゃ、ありがたいですよ。
そうですか、分かりました。私は今日限りで霊魂を信じます。
そう言って帰ったそうです。
お経の声がころころと響いて身も心も安らぐというんです。
初めて読んだお経ですから、すらすらとは読めませんね、つまづいて、つまづいて読んだんだろうと思います。
だからお経の内容は初めて読んだんだから分かってませんわね。
ですから、お経の訳は解らんでも、お経を読んであげたら、向こうの人も助かり、自分も功徳にもなりするんです。
仏教というのは非常に融通の利くところがあって、そういうところは融通が利くでしょ。
訳を解らんと通じないというんじゃないんです。
訳は解からんでも、それはそれなりの功徳は戴けるんだということです。
今回のお話は、地獄とはこういうことを説いてるんだということを皆さんに分かって頂けたらと思います。
こういう地獄に出てくるのは、菩薩方が化身して出てるんです。
悪いことをすると、こういう目にあうんだぞということを知らせるために化けてるんです。
地獄に落ちてる人達はそういうことを知りませんけどね。
鬼が出てきますが、それは本当は鬼じゃなくて、菩薩方の化身なんです。
衆生済度のために、そういう姿に変えてるんです。
然し、落ちてる者にとっては、それは本当に鬼に見えるんです。
そうでないと、意味がないですわね。
地獄もありますけど、極楽もありますので、信じていただきたいと思います。
阿弥陀様を深く信仰してる人があって、毎日、お念仏を称えてたんです。
その人が、極楽へ往生するほどの信仰をしていたというお話も以前にしたと思います。
和尚さんが、ご祈祷してましたら、阿弥陀様と法然上人と、善導大師がぱーっと、現れたんです。
これは浄土宗のお家だなと、思ったんですね。
然し、和尚さんは大勢の人をご祈祷してるわけです。
宗派まで、お宅は何宗ですかと聞きませんけども、浄土宗の人も大勢来てると思うんです。
ところが、そのときに限って、そういうことがあったので、そこの家にはきっと、信仰の深い人がいたに違いないと思ったんですね。
そしてご祈祷がすんで、ちょっとお聞きしますが、お宅は何宗ですかと聞いたら、浄土宗ですと。
それでお宅に浄土宗の信仰を深く信仰されてる人はいますかと聞いたら、即座に、それは私の主人でございます。
私どもはとても付いていけません。
兎に角、絶えずお念仏を称えてたというのです。
私たちはとても付いていけませんというわけです。
そしてそれが阿弥陀様もお心に叶って極楽へ往生できたんですね。
阿弥陀様が存在するんだから極楽はあるに決まってるんですからね。
だから和尚さんは、鬼も見ましたし、阿弥陀様も見たわけです。
そして地獄もあるし、地獄はお経の説いてあるとうりです。
お経というのを信じないといけませんね。
和尚さんの寺の檀家さんが、法衣屋さんへお嫁に行ってる家があって、その法衣屋さんは、浄土宗の家だけれども、禅宗の法衣を商いしてるんです。
それで和尚さんは、その法衣屋には禅宗の坊さんが大勢来ますから、あの世があるのか、ないのかと聞いてみてくださいと言うたんです。
そうしますと、皆あの世を信じないのですが、一人だけ信じてる坊さんがありましたと。
その和尚さんは、霊界のことを言うんですって。
ところが最後に、私がこんなことを言うたということを他の禅宗の坊さんに言わんといてほしいと口止めしたそうです。
あの世があるなんて言うたことが分かったら偉い目にあうからと。
村八分にされると。
禅宗は、あの世は無いということになってるそうです。
では、何のためのお経を称えるのか、何のための坊さんか、何のためのお寺があるのか、疑問に思いますね。
了
作品名:和尚さんの法話 「地獄」 作家名:みわ