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レンタル彼氏。~あなたがいるだけで~

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 始まりはまるで最悪のドラマのように

 美奈恵は物凄い形相で虚空をにらみ付けていた。まるで百年前からの仇でも真正面に存在するかのようなきつい眼差しは、たとえ幼い子ども相手でなくても逃げ出したくなるに違いない。
 だが、断っておくが、誤解はしないで貰いたい。美奈恵だって、いつもこんな誰もが逃げ出したくなるようなご面相をしているわけではないのだ。これには相応の理由がある。そう、あくまでも、このような顔をしなければならないだけの仕方のない理由が―。
 そもそも事の起こりは今から二時間前に遡る。もちろん、そのときはまだ、彼女はこんな鬼のような形相をしていたわけではない。どころか、誰も見ていないのを良いことに、下手くそな鼻歌さえ口ずさんでいた。まさに、今とは対極、ご機嫌そのものだったというわけである。
 では、何故、それが天地が真っ逆さまになるようなことになったか。今更、思い出すのも腹立たしいこと、この上ない出来事ではあるが、今の状態を誤解なく理解して貰うには、やはり正直にありのままを話すしかないだろう。
 二時間前、美奈恵はやはり、この場所―自分の部屋にいた。美奈恵は北のそこそこ賑やかな地方都市に住んでいる。そのN市でも中心部とされるN駅近くの高層マンションに一人暮らしだ。
 両親は美奈恵が保育園の頃、共に自動車事故で亡くなった。高速を走っていた父の車がガードレールを越えて、山の斜面をまるでミニカーのように転がっていったのを目撃した人がいるという。警察の調べでは、父が居眠り運転をしていたと判明したが、同時に当時、父が多量の睡眠薬を服用していたことも判った。
―覚悟の上の心中。
 警察はそう結論づけた。同乗していた母からも同時に睡眠薬が検出されたのだから、そう思われても仕方のない状況ではあった。とにかく、父が居眠り運転をしていたのが原因の事故であることは明確であり、両親の死は人身事故として片付けられた。 
 まだ五歳にすぎなかった美奈恵は、天涯孤独となった。父も母も一人っ子で、兄弟姉妹はいない。美奈恵にとって肉親と呼べるのは母方の祖母だけであった。
 当然ながら、美奈恵は祖母に引き取られることになる。だが、祖母は美奈恵の顔をろくに見ようともせず、養育はベビーシッターに任せきりだった。
 母―水無瀬(みなせ)郁子(いくこ)は京都でも名の知れた名家の一人娘であった。水無瀬家はその名からも判るように、平安時代から連綿と続く公卿の家柄である。歴代の先祖は江戸時代が終わるまで権中納言を任ぜられ、明治維新以降は華族の扱いを受けたという由緒ある家柄だ。
 しかし、母は女子高時代に親にも内緒でバイトしていたコンビニで父とめぐり逢った。当時、父は母より二つ上の大学生。父の家庭は両親共に公務員で共働きの至って慎ましやかな生活を営んでいた。
 父と母は出逢ってすぐに恋に落ちた。やがて母の恋愛は親の知るところとなり、母の父―つまり祖父は激怒、母を無理に知人の息子と婚約させようとしたので、母は家を飛び出してしまった。若い二人が取る道は決まっている。
 駆け落ち、同棲、誰にも祝福されないままに入籍、やがて、一年後に美奈恵が生まれた。その時、父は十九歳、母に至っては十七歳であったという。父は大学を母は高校を中退し、二人は懸命に働きながら美奈恵を育てた。
 やがて父はネットで起業し、それが予想外に当たった。母は趣味で様々なアクセサリーを自分でデザインして作っていた。そのアクセサリーをネット販売したところ、意外に好評ですぐに完売となった。父はそれに眼を付けて、自分でアクセサリー工房を立ち上げたのである。
 もちろん、作るのは母の仕事だ。母が得意とするのは天然石を使ったブレスレットやリング、ネックレス、ストラップだったけれど、やがて独学で銀細工のアクセサリーまで作るようになった。次第に需要が生産に追いつかず、母一人では手が回らなくなってきた。それに至って、父は初めて夫婦以外の社員を公募で募り、数人の社員を雇うに至った。
 始まりは夫婦含めて社員総勢五人の小さな会社が五年後には数百人を抱える企業に成長したのである。だが。幸せは長く続かなかった。
 父はまだ若かった。二十四歳の、しかも大学中退の過去を持つ成り上がり社長として父は一躍脚光を浴びた。ネット社会には学歴なんか要らないのだと週刊誌は父を若き起業家、カリスマ実業家としてもてはやした。
 そんな中で父は次第に己れを過信していったのだろう。アクセサリー販売から女性向けランジェリー販売にまで手を伸ばし、それが見事に裏目に出た。
 「夫婦心中」した時、父は億に上る負債を抱えていたという。借金にあいづく借金で、もうどうにも回らなくなり、会社の経営はとうに破綻していたそうだ。そんな経緯からも、警察が両親の死を心中としたのかもしれない。
 遺書などはなく、多額の負債は母の両親が先祖伝来の土地や別荘を手放し、何とか工面をつけて完済した。父の両親は父が事故で亡くなった後、いずこへともなく夜逃げした。借金取りが自分たちのところに来るのを恐れてだったのに相違ない。
 そんな事情から、美奈恵は五歳から二十歳になるまで、京都で育った。母の通った名門お嬢さま学校の附属小学校、中学、高校から短大とすべてエスカレーター式で進んだ。
 溺愛していた一人娘に裏切られた祖父は失意の中で亡くなった。美奈恵が中学三年のときだ。以来、祖母はますます気難しく頑固になり、美奈恵とはまともに口もきかなくなった。
 美奈恵が引き取られたばかりの頃、祖母に言われたことがある。
―お前の父親は私たち一家にとっては疫病神よ。お前の父に郁子が出逢わなければ、あの娘は今頃はこの水無瀬家にふさわしい家に嫁いでいたか、或いは婿を迎えていたでしょう。全部、お前の父親が悪いのよ。娘を奪い、私たちを不幸のどん底に突き落としたお前の父が私は憎い。
 いつもは感情を露わにせぬ祖母が面長の上品な顔を夜叉のように歪め、声を震わせて叫んだ。幼い美奈恵はただただ怖ろしくて、訳が判らないままに泣きながらひたすら謝った。
―お婆ちゃま、ごめんなさい。
 そのときは何故、祖母があれほどまでに怒っていたのかを理解できなかったけれど、今なら判る。
 美奈恵だとて、自分を産んでくれた親として両親をもちろん嫌うはずはないが、正直、あまりにも責任感がない行動には到底、親として尊敬できるものはなかった。十代で駆け落ち、結婚、出産。確かに起業して父は一時成功したものの、やがて破算した。挙げ句、大勢の社員の行く末も残してゆく我が子のことも考えず、自分たちだけが責任を逃れて生命を絶った。
 単なる責任逃れで自殺したとしか言いようがないと思うのは、自分が娘として冷たすぎるのか。だが、五歳で水無瀬家に引き取られて以来、自分が常に祖母から向けられてきた冷たい視線を思えば、死んで自分たちだけが楽になった両親を恨みたくもなるというものだ。
 短大英文科を卒業した美奈恵は、祖母の反対を押し切って家を出た。自分が生まれ、五歳まで育ったこの北のN市に戻って自活を始めた。地元のN銀行の窓口で五年勤め上げ、二年前に二十五歳の若さながら将来の女性管理職候補生に抜擢された。