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和尚さんの法話 「冥土の住人」

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それがあるので仏教は無常ということを説くわけです。

死ぬのだぞということを説くのです。

死んでおまえはあの世の何処へ行くつもりだと。

自分で選んで行けるのじゃないぞと。

業によって、自分の業によっていい人はいいところへ行けるし、悪い人は悪いところへ行くのです。

あの世へ行ってから私はこんなところは嫌です、あそこへ行きたいと、そういう選択は許されない。

あの世で決められる。

それはこの世の行いによって決められる。

それが七日、七日、七日によって決定していく。

だから少しでもいいところへ生まれさせなければいかんというので勤めるわけです。

初七日、二七日、満中陰としますが、あれは形式でやってるのじゃないのです。

死者の冥福のためにやるわけです。

昔の人は死ぬということは冥土への旅という観念を持っていたそうです。

そして一蓮托生というように二人一緒に蓮のうてなに救われて行きたいと。

そういうふうにあの世というのを全く疑わなかった。

仏教の言葉に、普請というのがありますが、つまり寄付ですね。

お寺を新築したり改築したりするとき寄付を集めますね、それを普請というのですね。

一般の家を新築するのは新築であって普請ではない。

だから在家には通用しない。

ですが時代の流れで意味が変わってしまうことがありますね。

精進もそうですね。精進というのは努力するという意味ですが、食べたい魚や肉を食べずに辛抱して行事を終わろうというわけで精進するわけです。

料理が精進じゃないのです。


それからご馳走。これは走る走るなんですね。

我々がご馳走というのは、ここへ出てきたものをご馳走といいますが、本来の意味は、今日はお客さんを招く。

だからそれの用意をするについて材料を集めて廻る。

走って廻る。美味しいものから新しいものから走って集めて廻る。

そして作って出す。

ですから本来の意味は、馳走というのは走り回ると云う意味です。

料理がご馳走じゃないのです。走り回るのがご馳走なのです。

これも時代とともに意味が変わってしまっていますね。

然しそれほど昔は仏教の影響があったのですね。


日常の生活の中に我々がなんとなく使っている言葉の中に仏教の言葉が沢山入ってありますね。

だから昔のぼんさんは皆偉かったのですね。

聞く人もまた純粋だったと思いますね。

だから、この話しも昔の人が聞いたほうが、はるかに影響があったと思いますね。

今の我々は、霊界というものは半信半疑だという信じない人が多いですよね。

ところが昔の人はほとんどの人が信じた。

だから極楽を説くにしたって、お念仏を説くにしたって、地獄を説くにしたって、説き安かったと思いますね。

皆が信じていますからね。

だからあの世があると思いませんか、などと言わなくても有ると信じてあるんだから。

霊魂もあの世もなければ、こんな話しは必要ありませんからね。

仏教も要らなければ坊さんも必要がないわけですから。