誰かが捨てた拾い物
会社からの帰り道に、面白いものを拾った。
右端にアナログと書いてある、手のひらサイズの薄いガラス板だ。角が丸い長方形。アスファルトの上に落ちていた割には傷一つもなく曇りも全くなかった。おしゃれな文具店に文鎮として置いてあっても違和感はないだろう。
しかしまさか、道端に文鎮を落とすようなうっかり者はおるまい。
なら、これは何だろう。
ガラス物を手に取る時の癖で、僕はそいつで色々なものを透かして見ながら考える。レンズのように何かを拡大していれば、これは文鎮ではなくレンズだと言えるだろう。それでも道端に落ちていた理由にはならないのだが。
「ん……」
そのガラス板は、なかなかに透かしやすかった。色々な物がよく見えた。まず自分の手のひら、次に街角を行く人々、僕に視線をやって指をさす人々、スイカを叩き売りしている青物屋のオヤジ、商店街の建物を抱くようにある、街の周りの山々の緑、そして眼の端に移る、山に近づいていく太陽。まるで自分の目でそのまま景色を見ているかのようだった。
つまり、拡大はしないのである。
だが変化がある。
右端のアナログという文字が消え、新たな文章が表示されている。
『直射日光は大変危険です。異常を感じたらすぐに専門機関をお尋ねください』
これはすごい。
文字は更に変化する。
『当商品のお取り扱い方を再度ご確認されますか?』
現代の科学技術では、とてもではないが真似できる芸当ではない。となると、これはSFのようなアイテムなのだろうか。初めにアナログと書いてあったから、恐らくこれを扱っていた未来では、これのデジタル化が進み、現代に不法投棄でもされたのかも知れない。
「なんちゃって」
とうそぶいてみたものの、これが現代で言うところの液晶タブレットみたいなものであるのは見当違いではないだろう。
僕は裏へひっくり返したり横から見たりしながらボタンのようなものを探したが、見つからない。声認証なのかと思い「はい」とそいつに向かって言ってみたが、隣を通り過ぎたサラリーマンが僕をちらりと見ただけ。どうやって操作するものなのだろうか。見当もつかないとはまさにこのことだ。
ふと、青物屋の方で喧騒が聞こえた。
僕は目の前にガラス板を構えたままそちらの方を向いた。
頭に長てぬぐいをねじってまいているオヤジに、数人の妙齢の女性が詰め寄っている。
「ちょっと、このスイカ、中身変色してたわよ!」
「お客さん、これはそういうものですから」
「まあ、やだっ! 廃棄寸前のものを売っていたということ!?」
「いや、ですからこれはこういうものでして」
青物屋のオヤジが値札に書いた商品名を見せている。そこには黄色いスイカと書いてあった。しかし女性たちはスイカに似たお尻とお腹をぶるんぶるん震わせて、青物屋のオヤジに謝罪しろ、誠意を見せろと唾を飛ばしていた。その様子を、僕だけでなく下校途中の子ども達も目を向けていた。
あぁ、あの妙齢の女性たちにも、あんな風にランドセルを背負っていた時期があっただろうに。
『パストヴィジョンモードに移行します』
おや、と思っている間に、激昂している妙齢の女性たちのお尻とお腹がシュンシュンシュンと縮んでいくのと同時に、顔は華の大学生、元気はつらつ高校生、ちょっぴりおませな中学生、小生意気な小学生へと変わっていった。背格好も相応に縮んでいた。
「おや?」
僕は慌てて自分の目でその様子を確かめようとした。しかしそのガラス板を外してしまえば、あいかわらずお尻とお腹のスイカをゆっさゆっさと揺らす妙齢の女性たちが見えるだけだった。
ほほぉ、と僕はあごをなでる。
つまりこれは、ドラえもんの秘密道具のようなものだと考えた方がよさそうだ。ただし取扱説明書は無い。してくれるドラえもんもいない。
のび太くんなら、それでもきっと面白がって使いまくるに違いない。そして痛いしっぺ返しをくらうのが、お約束の展開である。
「くわばらくわばら」
僕はそうなる前に、その秘密道具めいたガラス板を捨てることにした。現実にドラえもんはいないのだから、困った時に助けてもらえる保証はないのだ。
青物屋の喧騒は新たな局面を迎えそうだ。オヤジの言っていることを理解した妙齢の女性たちが、携帯電話で撮影したものを見せつけているところだった。
ふと僕の目にまぶしい光が差し込む。アスファルトの上に落ちたガラス板が、山に接し始めた夕陽の直射を受けて、僕に反射しているのだ。
僕はめまいを感じて地面にひざをついた。
「僕、大丈夫かい?」
隣を通り過ぎたサラリーマンが、僕に手を差し伸べている。
「ありがとうございます」
僕は甲高い声でそう答えた。僕が伸ばした手は、見慣れたものよりもだいぶ小さかった。
僕は慌ててガラス板を拾い直した。
そこには『直射日光は大変危険です。異常を感じたらすぐに専門機関をお尋ねください』と表示されていた。
専門機関は、どこだ。