小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

煌く夢に神の抱擁

INDEX|9ページ/10ページ|

次のページ前のページ
 

 そこで、アディーの身体に起きた変調を知り、今初めてアンリに話をした。と言うところらしい。
 人間の病気や障害のことは詳しくないアンリとユリであるが、調べて理解した結果、アディーが火事のときに吸い込んだ一酸化炭素という物質のせいで、高次脳機能障害、と言うものが現れたと、知ることができた。
 症状はさまざまで、しかもそこまでいたることはそれほどないようだとも知った。しかしアディーはそれで心まで蝕まれてしまった。
「先月のことだと聞いています。アディーが命を自ら絶ったと」
「…………え?」
 あまりにも淡々と言ったユリに、一瞬アンリが何を言われたか分からなかったほど、その言葉は簡単に夏の夜空に放たれた。
「いのち……自分から……いのち……?」
 アンリの唇が勝手に、何度も同じ言葉を繰り返していた。


   ***


 一筋の明かりもない暗闇の中に、ふわりと漆黒のローブをたゆたわせてアンリは現れた。
 闇そのものにまぎれてしまえるような、黒いそれに包まれた華奢な体は勿論見えない。目深にかぶったフードからわずかに見えるのは黒に近い青の髪と、青みを帯びるほどに白い肌。伏せている長い睫毛を持ち上げれば、そこには闇の中に燦然と輝く、宝石と見紛うばかりの青紫の瞳があった。
 ここは劇場の舞台の上。深夜になりすっかり賑わいをなくした場所なので、勿論誰もいないし明かりなんてものもない。入り口はすっかり施錠されてしまっている。
 しかしアンリには人間の作った鍵なんてものは関係ないので、気まぐれな冷たい風を連れ立って入り込んできた。
 死神の目は、光を必要としないくらいに良く見える。ぐるりと周りを見渡して、そして一箇所に輝く瞳が縫いとめられた。
 整った眉間に苦しそうに皺を刻んだアンリの眼差しが、瞬くことも忘れて見入っているのは、舞台袖に続く場所。
 そこに立っている。金色の髪の愛らしい女の子が。
 俯いてしまっているので、アンリからは表情が見えない。長くて癖のない、太陽のように鮮やかな色をしたその髪の毛は、わずかな劇場の照明でも十分に美しく輝いた。
 それならば、きっと。
 大きなたくさんの照明でなら、もっと。
 輝いたはず。
 伸びやかな声も、本来の声量と響きと情感を取り戻したなら、誰もが心を奪われずにはいられなかったはずだ。
 愛らしい瞳が、もっと笑顔を湛えて、拍手を受けて、そして夢を叶えることができたはずだった。
 アンリは静かにその佇んでいる姿に近づき、そして長身の身体を折り曲げるようにして、俯いてる顔を覗き込んだ。
「アディー……?」
「…………」
 できるだけ前と同じように声をかけたアンリだが、わずかに声が震えた気がした。しかし、アディーは顔をあげることはない。金色の髪の間から見えるアディーの顔は青白く、暗闇をじっと身体の内側に持っている。どろどろとした負の感情しかないその眼差しがじっと自分の足先を見ているのか下にあり、しかしそれがどこを見ているのかも分からないくらいに、混濁しているようにも見えた。
 あれだけ愛らしかった容貌がやつれてしまい見る影もないことに、アンリが小さく息を呑んだ。人の死に際などたくさん見てきたアンリであるが、それでもこれだけ痛々しい姿を見ることにはいつまでたっても慣れない。
 しかもアディーは自ら命を絶った。それがアンリには悲しい。
 自ら命を絶ったものは常世へと行く権利を奪われる。どれだけ悲しく辛いことがあったとしても、死んだ方がましだと思える運命であっても、神は「自殺」を認めない。与えられた命を自ら放棄することは何よりも大罪であるからだった。
 だから、これだけはいくら高位のアンリでもどうにもしてやれない。この清らかな魂を自分の手で白くて無垢な世界へは連れて行ってやれない。
「アディー……ごめんね」
 震える声でそう言ったアンリの言葉に、やはりアディーは顔を上げない。微動だにしない小柄な身体を、アンリはただ見ているだけしかできなかった。
 本当は触れて思い切り抱きしめてあげたい。でも今のアディーは魂で、しかもよっぽど傷ついていたのだろう、核が丸見えになってしまっているくらいに脆かった。触れてしまうだけで壊れそうなほどに脆くて頼りないその存在を、アンリは黙ってみるしかできなくて、そしてそれが悲しかった。魂自身の決壊は、今この手でアディーを壊すことにも直結してしまう。さすがにアンリもそれはしたくないし、してはいけないことだった。
 端整な顔立ちをした死神の宝石の瞳が潤みを増して、視界が歪んだ。
 はたり、と青白い頬を零れた雫が黒衣に落ちて染み込んでいく。それは間隔をおかずにはたりはたりと落ちていく。白い頬に静かに流れる雫は、それ以上何も話すことができないアンリの心情を何よりも表すものだった。
 どれだけ時間がたったのか、アディーの身体がわずかに震えた気がして、アンリがまた俯いている顔を覗き込もうと身を屈めた。
「あ……」
 アンリの青紫の瞳が思わずのように見開かれて、アディーに注がれる。
 アディーの本来愛らしい瞳にも、涙が浮かんでいた。くすんだ硝子玉のような色をした生気のない瞳ではあるが、そこから流れ落ちる涙が、次々に長い睫毛を伝ってぱたぱたと床に落ちていく。
 無表情で泣いているアディーは壊れた人形のように雫だけを落とし、しかし同時に、わずかに唇が動いているのにアンリが気付いた。
「ん? 何話してるの?」
 聞き取れない言葉に、アンリが耳をアディーの顔に近づけた。本当に聞こえるか聞こえない程度のその声が、言葉ではなく音を紡いでいることに、しばらくして死神がようやく気付いた。
「歌ってるの……?」
 まるで意思のないその顔、生気のない瞳、金色の髪で隠された口元から小さく流れ出すその音に、アンリの瞳が一層潤んだ。
 声を出さずに何とか泣くのをこらえようとしていたアンリだが、そのうちそれもできなくなって、小さく嗚咽を漏らした。
 この子だけでなくて、きっと世の中には夢を持って頑張っている人間がたくさんいる。その中で本当にその夢を実現できるものが何人いるだろう。
 死神のらしくないほどの優しい眼差しが涙に歪みながら、穏やかさと哀れみと親愛を持ってアディーに止められる。
 そして、ふと思いついたように、アンリがあどけない笑顔を浮かべた。
「ね、僕も歌って良い?」
 今アディーが口ずさんでいる歌は、初めてこの劇場でこの子の歌声を聴いたときの歌だった。アンリが一息大きく吐き出した後、まっすぐにアディーを見つめたまま、綺麗な形の唇から旋律を零した。
 最初は小さな声で口ずさむと言った様子のアンリだったが、そのうちその声が伸びやかさを持ち劇場内に響きだした。
 人外のアンリの音階は際限のないように伸び、性別不明なほどに魅惑的な声だった。ファルセットでは女性らしい艶やかさと清らかさを持ち、低音の声では普段ののほほんとした死神からは想像もつかないほどに落ち着いた男性的な声を披露した。
 身体全体を楽器のようにして声を響かせて、アディーの歌声に合わせるようにテンポを保ちリズムを取る。華奢な身体から放たれるその声は天界にまで届くかと思うほど美しい旋律を奏でて、やがて歌い終わった。
作品名:煌く夢に神の抱擁 作家名:なぎ