アインシュタイン・ハイツ 302号室 藤井祐一
そして今日も、自転車の後ろに平家を乗せて、祐一と平家は帰宅する。
昨日平家の父、健一に話した通り、可能な限り車歩道分離している大きな通りを通って、明るい道を走る。
「毎日差し入れして、経済的には大丈夫なの?」
祐一の耳元で、平家が訊ねてきた。
「あぁ、ウチの実家、私学に通わせてくれるだけあって、仕送りは思ったより多めみたいなんだよね。加えて、『アインシュタイン・ハイツ』の賃料は意外と安い。そこの差額を上手く使ってるだけだから、あまり気にしないでくれ。まぁ、おにぎりだと俺の持ってる炊飯器じゃ、二回炊かないと間に合わないってのだけがネックだけどな」
祐一は軽く後ろを確認する。
数百メートル後方に、同じように自転車で帰宅する高校生の姿が見える。
単騎だ。
「そんな事より、ちょっと昨日の話、してもいいかな?」
「昨日の話?」
首を傾げる平家に、祐一は昨日疑問に感じた事をそのままぶつける。
「平家のお父さんが訊いた『心当たりが無いのか』って話」
「……」
少しだけ流れた沈黙は話題の拒否を意味していたが、祐一は敢えて勘違いしてそれを肯定と受け取った。
何れにしても、事態の解決のために必要な会話だ。
「お前、『分かりません』って答えたよな?」
「……うん、分からないよ」
「何で『有る』『無い』じゃなくて、『分からない』って答えたんだ?」
「……人間だもの。どこで誰に恨みを買うかなんて、分からないよ」
「嘘だな」
祐一は、平家の言葉を『視て』直ぐに、その言葉の『色』で嘘を見抜いた。
しかし、その俯きがちな暗い表情を見れば、声を『視』ずとも分かることだった。
「……なるほどね。どんな事情かは知らないが、『心当たりが有り過ぎて分からない』のか」
「藤井くん、どうして?」
平家の質問は、つまり祐一の指摘が正解だと言うことを暴露したに他ならない。
「昨日から疑問に思ってたんだ。そこを突いて、そんな表情をされれば、誰でも分かる」
半分は嘘だが、半分は本当のことだ。
「……言いにくければ別に構わない。所詮、ここに至るまでの原因に過ぎないからな。それでも今回の件、俺なりの対処だけはさせてもらう。そこだけは何が有っても変わらないからな」
祐一は足を止めて、自転車を一旦止める。
祐一と平家は、お互いの顔を見合ったまま、僅かに時が流れた。
「……言わなくても、構わないんだよね」
「……俺にとっては大きな問題じゃない。でも、『心当たりが多すぎる』なら、平家にとっては終わらない問題になるかもな。その時も俺が力になれるかは、また別の話だ」
後方の自転車が、少しもたつきながら祐一達の横を通過して行く。
祐一は通り抜けた少年の横顔を、用意しておいた携帯電話の写真に残す。
その横顔に見えるのは、明らかな狼狽の『色』。
写真を保存していると、平家が口を開いた。
「……何をしたの?」
「後ろから抜いていく相手を写真に撮った。この後ろの三人も、抜いていく時に写真に撮らせてもらう」
祐一は視線を後方に移し、更に後方百メートルほどの位置にいる自転車の三人組に視線を配る。
こちらの三人組は何となく談笑しながら、止まっている祐一達を抜く瞬間だけこちらを一瞥しながら通過して行く。
その視線に、祐一は不快の色を『視て』取っていた。
祐一は再び、その三人に携帯の写真を向け、写真を撮る。
写真に残る『色』を視て、その色を再確認する。
もう、後方には学生の気配はない。
(なるほどね。そういう事か)
そして、祐一はひとつの確信を得た。
後は、幾つかの条件を組み合わせれば、確認するには申し分ない。
だが、このままでは平家を取り囲む『心当たりが有り過ぎて分からない』という問題そのものまでは取り除けないだろう。
「でも、そんな話をすれば、藤井くんにまた迷惑を掛ける事になるよ」
「それは現時点で掛かってる。将来更に掛かる可能性を思えば、今のうちに収めようと言うのが道理だろ?俺が思うに、お前、何か『これに片が付いても新しく続くかも知れない』原因になるような、別の問題を抱えてるんじゃないのか?」
核心を突いた。
祐一の指摘に、平家は再び俯き、祐一の肩に乗せられた手に重みが掛かる。
祐一は、ただ、黙って待つ。
やがて平家は、複雑な感情を噛みしめるような表情で声を絞り出した。
「……やっぱり凄いなぁ、藤井くんは。もしかして、アタシが悩んでることもお見通しなのかな?」
「俺は別に凄くないし、全部分かってるわけでもないよ。でも、『お見通しだ』とお前が思ってるんだとしたら、多分ここで一歩踏み出さないと、似たような事件を何度も引き起こすことになる。お前の性格や今までの行動を見て、お前が抱えている問題の種類が、多分そういう物なんだと言うのが何となく分かった。それだけの事だ」
迷いを抱える相手に、事実のみを突きつける。
他人の感情が『視える』からこそ出来る芸当だが、これは実は、非常に効く。
「……もう少し、時間を頂戴。今まで誰にも言わなかったことなんだよ。それを話すか決めるには、色々必要なことがあるんだよ」
平家は問題を抱えたまま、まだ迷っている。
それも祐一には良く分かった。
「……分かった。じゃぁ、帰ろうか」
「うん、お願い」
平家の言葉を受けて、祐一は自転車を漕ぎ出す。
自分が甘いことは分かっている。
だが、平家はただの学生だ。
これ以上の追求は、ただの高校生には厳しすぎることを、祐一自身がよく分かっていた。
それに、平家が抱えているであろう『別の問題』の解決は必ずしも、付け回しの件と同時に解決しなければならないものではない。
『次が無ければそれでいい』問題なのだ。
(……俺も焦ってるのか?)
焦りの正体が分からない。
そして消えない。
加えて、祐一のその疑問に答えるものは、誰もいない。
作品名:アインシュタイン・ハイツ 302号室 藤井祐一 作家名:辻原貴之