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和尚さんの法話 「沙石集に学ぶー因縁所生」

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ちょっと近い所へ行くにもそれだけの心を使うんだから、遠い遠い冥途へ行くんなら、もっと心を使わんならんのと違いますかということですね。


「口には無常の理(ことわり)を説きて知り顔なれども、心には常住の思いに住して百年の貯えを傾く、頭に雪を頂き、面に波をたゝみつつ一生は尽くれども希望の尽きざるは人の常の心なり。」

我々は死ぬまで何かを望んでいるというのですね。


「無常を知ると知らざるとは執心の有ると無きとに分かれたり。口に云うを憑(たの)むべからず。」

口では言うていると。

口で言うということは、心にもあるのでしょうけど、単に口だけで言ってるだけというのは本当に身に付いて無い。

無常だ無常だと言いながら、本当に無常ということを考えて無い。

「――― 只一期の栄花をのみ思いて今日か明日か必ず行くべき冥途の旅の用意無き事こそ返す返すも愚かに侍れ。
――― 命尽きた神(たましい)去りぬれば過去今生の業にまかせて悪業多ければ悪趣に沈み、苦しみ重かるべき事を思い入れずして何となく遊び戯れて明かし暮らす事能く能く思い計いて是れを愚かと知りて菩提の行を励むべきなり。」

後生の用意を励まなければなりません。


「――― 一期は夢幻の如く、電光朝露に異ならず。因果の道理逃れ難く苦楽の報いを受く、何ぞ電光朝露の此の身のために、阿僧祇永去長時の苦因を造らんや。」

阿僧祇劫とは、永遠ですね。無間という意味です。

三祇百劫という言葉がありますね。成仏するまでにそれだけの時間がかかるんですね。

そういう苦しみが未来に待っているんだから、この世の目先のことに囚われないで、菩提の用意をしたら如何でしょうかという教訓ですね。


坊さんは、あの世へ行く用意を説くとか、あの世の人を救うとか、あの世が坊さんには一番大事なことであって、外のことは皆、この世でなんとかなりますね。

政治とか経済とか教育とか道徳とかそれは皆この世の人のためのものですね。

あの世の霊をどうするこうすると。あの世へ行くときの用意をどうするこうすると、いうことはそれは宗教でなければ出来ないことなんです。

あの世が無かったら、この世のことを一所懸命になったらいいけど、あの世があるんだから。

我々がこの世で生きているのは幸せになりたい。世間並みに幸せになりたいと思うて、自分も努力をし、政治もそうなってるんですよね。

それは全てはこの世の人間のためですよ。

それで死んであの世の用意をしときなさいということは、これはもう坊さんでなければ言えないことなんですよ。

それではどうしたらいいのですかというと、ああするこうすると、そのつもりになれば幾らでも説くことはありますね。あの世の用意。

それは政治家に聞きに行ったってだめですよね。

ところが、今の坊さんや仏教学者は、あの世のことを説かない。
あの世が無いと思ってる。

是はとんでもない間違いですね。

あの世へ行ったら後悔するに違いないですね。それでは遅いですが。