シレーナのうた
「・・・・そういえば、ここには人はめったに来ないようだが。作った野菜は自分たちで食べるのですか」
「ええ。でも人が来ないとは言っても、月に一度はあなたのような旅人がやってきて、野菜を売ったり食料を交換したりしているのですよ。どうしてそう思ったのですか?」
「私らが来るときに、やけに森が茂っていたのでね。人が頻繁に通るならば人が通った跡でもありそうだが、それらしき跡もなかったのです」
「そうですね・・・・私も最近、あそこらへんは通らない」
彼は物悲しい顔をして、外の景色を見る。そこは、生い茂った森ばかり広がっていた。
「私の妻がどうなったかは、息子から聞きましたか」
「ああ、聞いた。不幸だったようだな」
「私はその時、少し北の方に戦争に行っていたので、不幸を知ったのは帰ってきてからです」
「・・・・やはり、軍人だったのですね。ケサランパサラン病の感染経路がいまいち分からなかったので」
「妻の不幸を知ったときは、やりきれない気持ちになりました。愛した女を失うというのは、これほど辛いものだったのだと気づきましたよ」
「良かったら、その話をもう少し聞かせてもらえませんかね」
「・・・・いい女でした。十八の時に出会って、多少傲慢なところはあるものの、先生のあさひさんの様にずっと一緒にいてくれました」
「からかわないでいただきたい」
「私が親元を離れて、小さいですが農業を営もうと決意したときに、彼女と籍を入れました。その時はここには住んでいなかったのですよ」
「その時はどこへ?」
「この森に来る前に、町がありませんでしたか」
「ああ、少し大きな町があった。そこに住んでおられたのですね」
「はい。毎日が幸せで、子どもにも恵まれました。収入は結構あったので、生活に不自由することもありませんでした」
「・・・・・・・・」
「でも、幸せはそう長く続きませんでした。アルマゲドンが起き、このあたり一帯も戦地となってしまいました」
「あんたは、兵として駆り出されたのか」
「はい。その町にいた二十歳以上の男は全員、戦争へと駆り出されました」
「その時に、嫁さんと子どもをこの家に住まわせたのか」
「こっちの家はもともと私の祖父が住んでいた家で、森が深いために誰も立ち入らなかったので安全でした」
「確かに、誰もこんな森の中に住んでいるとは思わんわな」
「私は慣れない鉄砲を一丁持たされました。毎日、死に怯えながら重たい鉄砲を握りしめていたのです。それでもいつも、家族の顔だけは忘れないようにしていました」
「・・・・・・・・」
「ようやく戦争が終わって、私は使い慣れた鉄砲を肩からおろしました。同じ町出身の軍人は半分以上死んで、私自信が生きていることに罪悪感を感じました」
「・・・・あんたは、人を殺めたのか」
「・・・・・・・・」
彼は口をつぐんで下を向いた。答えられないその質問の答えは、彼の顔に出ていた。
「俺は、上からの指示で銃を握らされて、その分の他人の不幸を生み出してしまった・・・・」
「・・・・・・・・」
「先生・・・・どうして戦争なんて起きるのでしょう」
「・・・・・・・・」
「どうして同じ人間が殺し合わなくてはいけないんだ・・・・」
「・・・・戦争は、どちらも正しいと思ってお互いにやっているんだ。言語の違いがある限り、人間は過ちを犯し続けてしまうのだよ」
「挙句の果てに私は、一人の軍人として、男として、愛した女一人さえも守ってやれなかった・・・・!」
「・・・・・・・・」
彼は手を強く握りしめ、うつむく顔から涙がこぼれ落ちた。彼は何もしてやれなかった自分を悔やみ、これからも生き続けるのだろう。
青空が大分夕焼けに染まった刻、息子が部屋までやってきた。
「父さん、害虫駆除終わったよ」
「ああ、ありがとうコテツ」
「お医者様、これ返します」
「ああ、そういえばガラクタを預けていたな」
「ガラクタ?」
「ごめんねー、こっちが本物なんだ」
「あっ・・・・」
あさひはポケットから財布を取り出して、中に入っているお金をぴらぴらと見せつけた。
「盗難に遭うとまずいから、私が厳重に管理してるの。アダムはオッチョコチョイだからね」
「誰がオッチョコチョイなんだよ。重たいから持たないだけだ」
「嘘つき。この前買ったお饅頭をどこかに置き忘れてきてたじゃないか」
「それは・・・・」
「ははっ、本当に仲がよろしいですね」
「・・・・では、そろそろ行きます。薬はちゃんと食後に服用しといてくれ」
「はい、お元気で」
俺は重たい荷物を背負い、その家を出た。父親はその部屋を出るまでだったが、息子の方は森を出るまで俺たちを見送った。
「・・・・これ、うちで作った野菜です。少しですがどうぞ」
「おお、ありがとう。最初から貰うつもりだったがね」
「有難うございました、お医者様。父までいなくなったら、僕は・・・・」
「大丈夫、お父さんはすぐに治るさ」
「では、また縁があればお願いします」
「ああ、体には気をつけろよ」
俺とあさひは少年に背中を見送られながら、また深く茂った森の中を手でかき分けながら進んだ。
「・・・・アダム」
「何だ」
「もし、またこの当たりで戦争が起こったら・・・・お父さんは、銃を握るのかな」
「・・・・お前がキジを撃っていたときに、彼は息子を一番大切にすると言っていた」
「キジを撃つ?」
「排便のことさ。・・・・息子は嫁さんが残してくれた唯一の宝物だと言っていた。息子を守るために、彼はここに住んでいるのだと」
「どういう意味?」
「こんなところに人が住んでいるとは思わんだろう。だから、妙な軍隊に戦争に駆り出される心配もないという事だ」
「戦争は、私たち一般人にはどうしようもできない問題なのかな。人が国と国の間に境目を作ってしまった限り、一生繰り返してしまう過ちになってしまうのかな・・・・」
「・・・・・・・・リンゴ、喰うか?」
「・・・・食べる」
「リンゴの花言葉の一つに『選択』というのがある。お前はそのリンゴをどう食べる?」
「どうって・・・・芯を残して食べるよ」
「それも一つの正解だろう。中にはジャムにして食べるという人もいれば、ジュースにして飲む人もいるだろう」
「どういうこと?」
「人のやることも、どれが正解だなんて俺たちには分からんのさ。戦争も正しいかもしれないし、過ちかもしれん」
「私は、それは正解じゃないと思う。人が人を殺しあうなんて、どうかしてる・・・・」
「それも一つの答えだ。・・・・リンゴの花言葉のもう一つとして、『最も優しき女性』というものがある。戦争が過ちだと思うのならば、お前はそのリンゴのようであることだ」
「・・・・うん」
あさひはやりきれないような顔で、彼女の手に持つリンゴにかぶりついた。
数十分後に俺とあさひは深い森を抜け、彼の言っていた、住んでいたらしい町へと向かった。