シレーナのうた
それは、ある秋の出来事だった。昼だというのにキラキラと空が光り、人々はその不思議な光景を見て不気味そうな顔で見ていたという。
「ありゃあ火山灰とは違うかえ」
「お父さん違いますよ、よう見てみんしゃい、あれは初雪ですよ」
「こんなに晴れちょんのに、初雪かの」
「違うよ、おじいちゃんもおばあちゃんも。あれはね、ケサランパサランっていう宇宙からきた生き物なんだよ」
世界中で見られたその光景の正体については、様々な憶測が立てられ、人々を震撼させた。
その光景が観測されなかった場所にいた俺は、その光景についてよく知らない。
その光景を知らない俺は、運が良かったといえるだろうか。
どうやらそれというのが、ある核保有国家が製造した、史上最悪の化学兵器だったというのだ。少し皮膚に付着すると、そこから皮膚が焼け始め、体の内部にまでその侵食が及んで、遂には心臓にまで達してしまうという。
これにより世界は大混乱に陥ったのだった。化学兵器を製造した国と被害を被った国との間で核戦争が勃発。その混乱に乗じた無関係の国が、国境を巡って戦争を仕掛けることも。
その戦争と、放射能による病の影響で、世界の人口が20億人弱にまで減少。そのうち様々な病を抱えた人口率は60%にも及び、世界ではこの混乱した状態のことを最終戦争の意を込めて「アルマゲドン」と呼んだ。
この混乱状態の中で、世界医師連合会、通称セイレーンと呼ばれる団体は、世界中の優秀な医師たちに向け、ある会議に任意で参加してもらう動向を示した。
「世界の医師の皆さん、どうか私どもに力を貸してください。戦地で病で倒れた人々を救えるのは、あなた達なのです」
巷じゃ有名な医者だった俺の下にも、その知らせは届いた。俺の医者の知り合いは、セイレーンの言い分は全くの出鱈目だと決めつけ参加する者は誰一人いなかったが、放射能による病で妹を亡くした俺は、医者として一人の妹を救えなかった自分を戒めるために、自らの意志でその会議に参加した。
その会議は後に「セイレーンの誓い」と呼ばれるようになり、戦争国の復興も進んでいったのだった。
風が生ぬるくなってきた立秋の刻、南の地域でセイレーンの救援を求めていたので、俺はその場所へ赴いていた。
「アダム、お腹空いたよ」
「そのバッグの中にりんごがいくつか入っているから、食べたかったら食べていいぞ」
「そうだっけ。いつ買ったの?」
「貰い物だ。どうやら、そいつの自家で栽培しているやつらしい。無農薬だから、安心して食べな」
「そうなんだ。じゃあいただきます」
「その前にあさひ。お前、おとといの患者から貰った饅頭を知らないかい?」
「あれなら食べちゃった。美味しかったよ」
「あれ、確かつぶあんだったろ。こしあんなら食べても構わんが、つぶあんは好きだからやめてくれんかね」
「饅頭は足が早いからね、早めに食べるのが吉だよ」
「……そういうものかね」
彼女は無邪気な顔で笑い、背負っていた鞄からりんごを出して食べた。
俺もお腹が空いたので、干し柿でもつまみたいところだったが、もうすぐ予定の時間なので、俺は鳴るお腹を手で押さえながら、今日の仕事場へ向かった。
「アダム、今日はどんな患者さんなの?」
「ケサランパサラン病の中年男性だ。どうやら農業をやっているらしく、野菜を育てているらしいから、報酬に何かくれるかも知れんな」
「ケサランパサラン病……アルマゲドンが起こる発端となった、あの化学兵器の被害者の一人ということだね」
「そうだ。今は治療法が確立している病気だから、比較的治療がし易い」
「でも、今になってケサランパサラン病が発症する人は初めて聞いたな。二年前くらいに、一部の地域でパンデミックが起こったけど、確かこの辺りは被害が及ばなかったよね?」
「俺にも原因はよく分からないが、ケサランパサラン病は軽傷なほど潜伏期間が長いんだ」
「……それにしても、深い森だね」
「この辺りは、気候がいいから植物が茂りやすいんだ」
俺とあさひは、突き出た枝や葉っぱを手でかき分けながら前へ進む。しばらくそうして歩いていくと、ひとつの古い家屋が見えてきた。
「しかし、生い茂っている森だな。本当にこんなところに人は住んでいるのか」
「アダム、あの家屋の向こう」
「ありゃ子どもだな。あの家の者だろうか」
その家には畑があり、どうやらキャベツを育てているようだった。その男の子は、野菜についている害虫を駆除しているらしかった。
「やあ、君はここの子かい?」
「はい。もしかして、お医者様ですか?」
「ああ。親父さんは中かい?」
「はい。でも、その前に」
「何だ?」
「財布を預かります。妙なことをされないように、念のため人質にします」
「信用ないねぇ。ほら」
「……えっと、これ空っぽじゃないですか」
「あいにく、お金は持ち合わせていないのでね」
「…………」
「セイレーンといえども、私ら医者というのは困窮状態にあるのだよ」
その少年は呆然とした顔で俺の顔を見つめ、家に入る俺たちの後から着いてきた。
「親父さんの病状はどうだい」
「はい、おとといまでは高熱や吐き気にやられていたのですが、今は大分落ち着いたようです」
「そうか。それにしてもしっかりしたお子さんだ」
「有難うございます。うちの母が厳しかったもので」
「・・・・そういえば、お母さんはいないのかね」
「戦争の最中に街へと買い物に出ていて、流れ弾にあたって亡くなりました」
「そうか。・・・・それはすまないことを聞いた」
「いえ。あなたは、戦争で家族を亡くした人にたくさん出会ってきたのでしょうから、特に珍しいことではないでしょう」
「・・・・・・・・」
「あ、そこの部屋で父が寝ています」
「・・・・ああ、ごくろうだった」
少年はそう言うと、また畑の方へと戻り、害虫の駆除を始めた。
「失礼する、具合はどうかね」
「おお、セイレーンの人ですか・・・・そちらの女の方は?」
「あさひと申します。アダムのお手伝いです」
「ほぅ、先生の恋人ですか」
「まぁ、そう言ってもいいのかな・・・・ねぇ、アダム」
「いやいや、こいつは俺の周りをうろちょろしてるただのネズミで」
「ネズミとはひどいぞ」
「ははっ、面白い人たちだ。先生、久々に笑わせていただきました」
「そうですか、それはよかった。その様子なら、そこまで重症ではないようで」
「昨日の夜からずいぶんと楽になりました」
「左様ですか。とりあえず心音や心拍だけでも見るんで、上を脱いでくれますかね」
いつもの仕事を淡々とこなす。彼の体は特に問題はないらしく、ひとまずホッとした。
「特に問題はないようで。この薬を食後に3日間飲めば大丈夫でしょう」
「有難うございます、先生。御代はこれでいいでしょうか」
「十分です、有難うございます。ついでに、畑にある野菜とやらを二つ三つほど持って行ってもいいですかね」
「どうぞ持って行ってやってください。他の人に食べられた方が野菜も喜ぶ」
「ありゃあ火山灰とは違うかえ」
「お父さん違いますよ、よう見てみんしゃい、あれは初雪ですよ」
「こんなに晴れちょんのに、初雪かの」
「違うよ、おじいちゃんもおばあちゃんも。あれはね、ケサランパサランっていう宇宙からきた生き物なんだよ」
世界中で見られたその光景の正体については、様々な憶測が立てられ、人々を震撼させた。
その光景が観測されなかった場所にいた俺は、その光景についてよく知らない。
その光景を知らない俺は、運が良かったといえるだろうか。
どうやらそれというのが、ある核保有国家が製造した、史上最悪の化学兵器だったというのだ。少し皮膚に付着すると、そこから皮膚が焼け始め、体の内部にまでその侵食が及んで、遂には心臓にまで達してしまうという。
これにより世界は大混乱に陥ったのだった。化学兵器を製造した国と被害を被った国との間で核戦争が勃発。その混乱に乗じた無関係の国が、国境を巡って戦争を仕掛けることも。
その戦争と、放射能による病の影響で、世界の人口が20億人弱にまで減少。そのうち様々な病を抱えた人口率は60%にも及び、世界ではこの混乱した状態のことを最終戦争の意を込めて「アルマゲドン」と呼んだ。
この混乱状態の中で、世界医師連合会、通称セイレーンと呼ばれる団体は、世界中の優秀な医師たちに向け、ある会議に任意で参加してもらう動向を示した。
「世界の医師の皆さん、どうか私どもに力を貸してください。戦地で病で倒れた人々を救えるのは、あなた達なのです」
巷じゃ有名な医者だった俺の下にも、その知らせは届いた。俺の医者の知り合いは、セイレーンの言い分は全くの出鱈目だと決めつけ参加する者は誰一人いなかったが、放射能による病で妹を亡くした俺は、医者として一人の妹を救えなかった自分を戒めるために、自らの意志でその会議に参加した。
その会議は後に「セイレーンの誓い」と呼ばれるようになり、戦争国の復興も進んでいったのだった。
風が生ぬるくなってきた立秋の刻、南の地域でセイレーンの救援を求めていたので、俺はその場所へ赴いていた。
「アダム、お腹空いたよ」
「そのバッグの中にりんごがいくつか入っているから、食べたかったら食べていいぞ」
「そうだっけ。いつ買ったの?」
「貰い物だ。どうやら、そいつの自家で栽培しているやつらしい。無農薬だから、安心して食べな」
「そうなんだ。じゃあいただきます」
「その前にあさひ。お前、おとといの患者から貰った饅頭を知らないかい?」
「あれなら食べちゃった。美味しかったよ」
「あれ、確かつぶあんだったろ。こしあんなら食べても構わんが、つぶあんは好きだからやめてくれんかね」
「饅頭は足が早いからね、早めに食べるのが吉だよ」
「……そういうものかね」
彼女は無邪気な顔で笑い、背負っていた鞄からりんごを出して食べた。
俺もお腹が空いたので、干し柿でもつまみたいところだったが、もうすぐ予定の時間なので、俺は鳴るお腹を手で押さえながら、今日の仕事場へ向かった。
「アダム、今日はどんな患者さんなの?」
「ケサランパサラン病の中年男性だ。どうやら農業をやっているらしく、野菜を育てているらしいから、報酬に何かくれるかも知れんな」
「ケサランパサラン病……アルマゲドンが起こる発端となった、あの化学兵器の被害者の一人ということだね」
「そうだ。今は治療法が確立している病気だから、比較的治療がし易い」
「でも、今になってケサランパサラン病が発症する人は初めて聞いたな。二年前くらいに、一部の地域でパンデミックが起こったけど、確かこの辺りは被害が及ばなかったよね?」
「俺にも原因はよく分からないが、ケサランパサラン病は軽傷なほど潜伏期間が長いんだ」
「……それにしても、深い森だね」
「この辺りは、気候がいいから植物が茂りやすいんだ」
俺とあさひは、突き出た枝や葉っぱを手でかき分けながら前へ進む。しばらくそうして歩いていくと、ひとつの古い家屋が見えてきた。
「しかし、生い茂っている森だな。本当にこんなところに人は住んでいるのか」
「アダム、あの家屋の向こう」
「ありゃ子どもだな。あの家の者だろうか」
その家には畑があり、どうやらキャベツを育てているようだった。その男の子は、野菜についている害虫を駆除しているらしかった。
「やあ、君はここの子かい?」
「はい。もしかして、お医者様ですか?」
「ああ。親父さんは中かい?」
「はい。でも、その前に」
「何だ?」
「財布を預かります。妙なことをされないように、念のため人質にします」
「信用ないねぇ。ほら」
「……えっと、これ空っぽじゃないですか」
「あいにく、お金は持ち合わせていないのでね」
「…………」
「セイレーンといえども、私ら医者というのは困窮状態にあるのだよ」
その少年は呆然とした顔で俺の顔を見つめ、家に入る俺たちの後から着いてきた。
「親父さんの病状はどうだい」
「はい、おとといまでは高熱や吐き気にやられていたのですが、今は大分落ち着いたようです」
「そうか。それにしてもしっかりしたお子さんだ」
「有難うございます。うちの母が厳しかったもので」
「・・・・そういえば、お母さんはいないのかね」
「戦争の最中に街へと買い物に出ていて、流れ弾にあたって亡くなりました」
「そうか。・・・・それはすまないことを聞いた」
「いえ。あなたは、戦争で家族を亡くした人にたくさん出会ってきたのでしょうから、特に珍しいことではないでしょう」
「・・・・・・・・」
「あ、そこの部屋で父が寝ています」
「・・・・ああ、ごくろうだった」
少年はそう言うと、また畑の方へと戻り、害虫の駆除を始めた。
「失礼する、具合はどうかね」
「おお、セイレーンの人ですか・・・・そちらの女の方は?」
「あさひと申します。アダムのお手伝いです」
「ほぅ、先生の恋人ですか」
「まぁ、そう言ってもいいのかな・・・・ねぇ、アダム」
「いやいや、こいつは俺の周りをうろちょろしてるただのネズミで」
「ネズミとはひどいぞ」
「ははっ、面白い人たちだ。先生、久々に笑わせていただきました」
「そうですか、それはよかった。その様子なら、そこまで重症ではないようで」
「昨日の夜からずいぶんと楽になりました」
「左様ですか。とりあえず心音や心拍だけでも見るんで、上を脱いでくれますかね」
いつもの仕事を淡々とこなす。彼の体は特に問題はないらしく、ひとまずホッとした。
「特に問題はないようで。この薬を食後に3日間飲めば大丈夫でしょう」
「有難うございます、先生。御代はこれでいいでしょうか」
「十分です、有難うございます。ついでに、畑にある野菜とやらを二つ三つほど持って行ってもいいですかね」
「どうぞ持って行ってやってください。他の人に食べられた方が野菜も喜ぶ」