続、吉良吉田殺人事件
荻原が再び促した。
「.....」
幸助はすっかり疲れ果てていた。もうどこでもいい、とにかく休みたいと、思った。自分の疲れ切った人生に休息をしたい。それだけが彼の願いだった!
「俺が出てきても、あんたまだ温泉屋をやっているかい。」
ポツリと言う幸助に、
「ああ。もちろんだとも。僕はこうして元気に温泉を売っている。何なら君に手伝ってもらおうかな。」
皆が小さく笑った。
「世の中、あんたみたいな人がもっといればいいのだけど...」
「神様はちゃんと公平に見ていらっしゃいますよ。」
京太郎は自分でもよく分からない言葉を言った。
「俺はまだ、神様なんか信じちゃいないよ。」
「....」
午後の海岸の陽光が一層眩しくなった。夕日が最後の力を振り絞って太陽の光を投げかけているようだった。目の前の宮崎海岸の湖面が一層眩しく光っている。漁船が何隻か、今日の仕事を終えて、港に向かって、急ぎ帰ってくるのが見えた。
「ともろ、アナザデイ...」
意味の分からない言葉が、とっさに京太郎の頭に浮かんだ。
「幸助くん。トモロ アナザデイ、だ。日はまた昇るよ。忘れてはいけないよ。」
荻原警部に連れて行かれる後姿から、ようやくそう声を掛けた。こちらを振り返って、少しだけ笑顔を見せた幸助だが、彼の耳に届いたかどうか分からなかった。
温泉の湯を入れたドラム缶を積んだ軽トラックに戻ると、京太郎は車のエンジンをかけた。何かを振り切る様に、キーを強く回した。勢い良く走り始めた軽トラックのバックミラーに、次第に沈む夕日が見えた。ラジオのスイッチを入れると、聞きなれた歌手の声がした。
”ぽつりー、ぽつりとー、降りだしたー、雨に...」
誰もが知っている演歌歌手の歌だった。大粒の涙が彼の頬を流れた。しかし、そんな哀愁に浸る間もなく、海岸線に沿って、車を走らせた。
「温泉、温泉は~いらんかねー...」
あちこちに小さな民宿や店が立ち並ぶ海岸線に、少し寂しい京太郎の声が響いていた。
誰もが立ち去った、海岸では午後の陽光が最後の輝きを放っていた。そのきらめきはどこまでも美しかった。
プロローグ
誰もが居なくなった海岸では次第に小さな波が押し寄せていた。やがてそれは、京太郎たちが残した足跡をも、きれいに覆い尽くした。後は何事も無かったように、同じ波が打ち寄せていた。これまで幾度となく沈む夕日は、どれだけの足跡を飲み込んだだろう。幾度と無く消えてなくなる人の営みもこの日差しの中にきっと刻まれているに違いなかった。
洋子をつり上げた漁船の主、斉藤が村の人に申し出た。あまりに彼女の姿は哀れで、可哀そう。どうかこのこのために、一つ碑を作ってくれないか。ちょうど海岸の端に恵比寿と書かれた社があった。人々は相談して、そこに乙姫として碑を立てることにした。彼女が見つかってひと月ほどたった9月の20日、十五夜を過ぎた頃を乙姫の祭りと定めた。村の収穫を祝い、漁民や農家の人々が神輿を担いで、海岸の端から端まで練り歩く、乙姫祭りが始まった。
乙姫伝説と交わり、まさに竜宮発祥の地ならではの試みだった。
そんな知らせを風の便りで、島田は一人、暗い部屋で聞いていた。
「トモロ、アナザデイか...俺にはまだ、わからないけど...」
島田は一人呟いた。
海岸にそそぐ日差しはどこまでも暖かだった。まるですべての人の人生を包み込むように...
吉良吉田殺人事件 完
作品名:続、吉良吉田殺人事件 作家名:Yo Kimura