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真冬の幻 第1章『メルトダウンする世界』

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真冬の幻

メルトダウンする世界
 身体の芯まで凍りつかせるような冷たい風が吹いている。今日は着慣れた白地のトレンチコートを着てきているけど、それすらもほとんど無意味な程の冷気が私を包んでいる。
 手に息を吹きかける。手袋を忘れた私の両手は、すっかり霜焼けして真っ赤になっている。コートは着てきたくせに手袋を忘れるとは、私の防寒対策もまだまだと言ったところか。
 私はふと付近を見渡す。眼前に広大な田園地帯が広がっている。普段は中央区の住宅地ばかりを見ているだけに、こういった風景は新鮮だった。北海道に住んでいながら、私は農業というものに触れたことはなかった。道産子としては失格かもしれない。
 私が歩く道は外側線が引かれていない。要は歩行者が歩く道と車が走るところの境界線が曖昧ということだ。しかも道の幅は狭く、車がすれ違うことすらままならない。内地に比べて気性の荒いドライバーが多いここ北海道では、こういった狭い道路を歩くことは非常に危険なのだ。だけど今日の私はここを歩かなければならない。目的地までまだ何キロもあるけど、何時間かけてでも今日の私はこういった人気の少ない道を歩かなければならないのだ。
 家を出てすぐは確かに市電に乗った。だけどすぐにそれは無理だと判断した。誰かが私を見張っているのを感じたからだ。しかもそれは、明らかに私を殺そうとする者の眼だった。彼らは私を殺すためなら多少の犠牲は厭わない。なぜならそこまでのことをしないとこの私は殺せないからだ。だが彼らも他人を巻き込むことが本意ではないように、この私も他人を巻き込むことは本意ではない。だからこの道を選んだ。誰も巻き込む人がいないこの道を。
 人が殺される理由とは何だろうか? 死刑宣告を受ける犯罪者は大抵死刑を受けるだけの罪を重ねてきている。その最たるものが殺人だ。要は殺される人間とは、自らもそれと同じ罪を犯しているということだ。ではその殺人者に殺された人間は、殺されるだけの罪を犯して来たのだろうか。答はおおむねノーだ。被害者が罪を犯していないからこそ犯罪者は裁かれるのであり、被害者も罪を犯していたのならそれは単なる自業自得だ。要は初めに殺される人間には重大な落ち度などないのだ。
 そうだ、彼らにも何ら落ち度はなかった。ただそこのメンバーだったというだけだ。彼らにも、大切な恋人や、愛すべき家族がいた。だが私はそれを全て無視した。何ら落ち度のない人間の人生を奪ったのだ。それは裁かれるべきだと言われれば、それは当然そうなのだろう。だが、私だってこんなことを好きでやって来た訳じゃない。彼らがあんなことさえしなければ、私は絶対にあの二人を殺しはしなかった。しかしそれは被害者にとってみれば加害者側の身勝手な言い訳にしか過ぎない。私はそれを否定する術を持たない。
 でも皆これだけは知っていてほしい。私はただ皆の役に立ちたかっただけなんだ。一族が栄え、それを支えてくれる人たちに安息を与えることが私の使命だと思っていた。だから私は、あれだけ苦痛を強いる父の命に従ってきたのだ。そして私は父の理想とする人間へと成長した。それで全てが上手くいくはずだったのだ。どこで何を間違えたのか、私にはもう分からない。それが分かっているならこんな結果は訪れていない。
 射殺すような視線を感じた時、私は私を呼び出した人間たちに助けを求めた。だが彼らは私の頼みを無視した。私の言葉に耳を傾けることすらしてくれなかったのだ。その時私は理解した。世界全体がこの私を殺そうとしているのだと。もう周りには誰ひとり味方などいないのだと。
 悪いことをしていたのは分かっている。だけどそれまで立派に皆の為に働いてきたのだ。だから誰か一人でも私のことを守ってくれると思っていた。だけど、そんなものは幻だった。私が夢見たものも、人との繋がりも、そして最も愛した彼女でさえも、幻でしかなかったのだ。
 いや、そんなことは初めから分かっていたのかもしれない。それは私が勝手に持っていると信じ込んでいただけなのかもしれない。それが証拠に、全てがないと分かった時、私は少しも驚きはしなかったのだ。やっぱりなって、口に出していたのだから。
 不意に視界が歪む。確かに驚きはしなかった。だが悲しかった。どうしようもないほど悲しかった。涙が溢れて止まらなかった。いくら手やコートの袖で涙を拭っても、それは一向に止まる気配はなかった。
 私は気付くと走り出していた。まるで全てを振り払うかのように。まるで死神の鎌から自分の首を守るかのように。だがその時だった。クラクションがけたたましく鳴り響いた。何があったか分かったのは、私が地面に叩きつけられた後だった。全身が痛い。だけどそれは死ぬほどのものじゃなかった。それは死神の鎌などでは決してなかった。特に右腕に痛みが走った。折れてはいないだろうけど、かなり強く打ちつけたことは間違いなかった。転んだ時に膝もすりむいたらしい。足はそれなりに出血しているようだった。でも、死んではいない。死ぬほどの痛みからは程遠いと私は思った。
 誰かの気配がする。ひどく慌てている人間の気配だ。暗殺者がこんなに動揺する訳がない。だからその人は私を殺すつもりではない。単に私がいきなり建物の影から飛び出して、うっかり轢いてしまったにすぎないはずだ。だったらその人に悪いことをしてしまった。そんなことを思っていると、その人が慌てふためきながら車外に飛び出してきた。そして倒れている私の方に駆け寄りながら言った。
 「だ、大丈夫ですか!?」
 彼の慌て方は尋常ではない。まあ人身事故を起こせばこれくらい動揺するだろう。
 「これくらい、全然大丈夫です。ほら、しっかり立って歩けているでしょう?」
 私は痛みを堪えて明るく言った。だが彼はそんな私を見て余計に慌てながら、
 「うわ! かなり血が出てますよ! これはまずい、病院行きましょう! 連れて行くんで車に乗ってください!」
 一一九番に通報することに思いが至らないのか、彼は私をたった今私を轢いて僅かにへこんでしまっている車に乗せようとする。
 「いいですって。……こんなの、ほんの掠り傷ですから……」
 「いいから車に乗って……って、どうしました? やっぱり、物凄く痛いんですか……!?」
 男の人が私を覗きこんでいる。やたら心配そうな顔だ。なんでかなと思ったら、どうやら私は泣いているようだった。自分が轢いてしまった人が泣いたらそれは心配するだろう。でもなぜまた私は泣いているんだろうか?
 「あの、本当に、大丈夫ですか? こんなことを聞くのもあれですが、何か辛いことでもあったんですか? お前が轢いたからだろ、って言われちゃったらそれまでなんですけどね……」
 彼が遠慮がちに笑う。それにつられて思わず私も笑顔になった。お互いによく分からない状況で笑い合っている。車で人を轢いた男と、轢かれて血だらけの女が道の真ん中で笑いあうなんてどういう状態なんだろう。でもなぜか笑えた。泣いたり笑ったり、我ながら忙しい女だな。