私が腐女子になったわけ
そもそものはじまりは、小学校4年生の頃、近所に住んでいた母方の祖母の家でのトイレだった。
季節は憶えていないし、そこにいたる経緯もわからない。
3つ上の従兄が、私をトイレに連れ込んで、自分の肛門に割り箸を入れて見せて、得意そうにしていたことが、多分すべての始まりだったと思う。
この時私は従兄が何をしたかったのかまったく理解できなかった。
ただ、かなり早熟な子供だった私は、それが単にいたずらではなく、性的なものを含んでいることには気がついた。
この先何が起るのか、私はわかっていたと思う。
それから何日かして、従兄が私に、誰にも秘密だよと言って、私のジャージのズボンの中に手を突っ込んで性器を触った時は驚愕したが、ついにきたかとも思った。
嫌だとは言えなかった。
何故拒否できなかったのかと言えば、私は従兄のことが好きだったからだ。
従兄に嫌われたくない。
それだけで、私は無言で従った。
毎日というわけではなかったが、頻繁に従兄は私に性的いたずらをした。
祖母は庭で作業をしていて、祖母といっしょに暮らしていた叔母は、半盲で部屋からあまりでない。
だから従兄も大胆な行動に出たのだろう。
誰にも何も言えかったが、この次に何が来るのか予想がついていたし、決定的な事態になることを私は恐れた。
どれだけ悩んだのか、私はこの間のことをよく憶えていない。
ただ、従兄は私にとって、母の次に大好きな人だった。
従兄に逆らうことは、とてつもなく恐怖だったと思う。
でも私は、従兄が秘密と言いながら何度目かの誘いをかけて来た時、もう嫌だとはっきり言った。
それからは、互いに何もなかったように過ごした。
これらの出来事が、私に何をもたらしたのかわからないが、この時から私はかなり人間と関わるのが怖くなったと思う。
物心つく前から男の子とばかり遊んでいたせいか、私は比較的活発で物怖じしない子供だった。
後にわかったことだが、私は他動性注意力欠損症という病気で、落ち着きがなく移り気でもあったが、それを気に病んだことはなかったと思う。
よく学校では注意されたし、親にも叱られることが多くても、次の瞬間にはそれを忘れているといった具合だった。
それが悪い方に働き出したのは、ちょうどこのぐらいの時からだった。
全部従兄のせいだとは言わない。だけどこの頃から、私は何か不都合なことが起こったら、自分が悪いと思い込むようになった。それは初潮が始まったばかりの微妙な時期だったせいもあるだろうけれど、私は従兄のことも自分が悪かったせいだと思い、従兄を拒絶したことも悪いことだと思っていた。
ちょうど同じ頃、塾にあった少女漫画の中に、少年愛をテーマにしたものがあって、私はそれに夢中になった。
何故かと言われると説明ができない。
それまで同性同士の恋愛などまったく関心がなく、少年漫画ばかりを読んでいたのに、その漫画を読んでから、すべての作品で同性間の恋愛を妄想するようになった。
今ではBLと呼ばれる作品は、私にとっては心地よいものだった。
そういったものを求めて、小説JUNEという雑誌にたどりつき、夢中で読み漁った。
自然と少女漫画も読むようになった。もっとも一番良く読むのは、相変わらず少年漫画だったが、楽しみ方は以前とまったく変わってしまった。
そんな日々が2年過ぎたある日、私はキャプテン翼に出会った。
最初はサッカー漫画が面白いという単純な理由だったが、登場人物の日向小次郎の登場で、私の頭は困ったことに若林源三と小次郎の恋愛でいっぱいになってしまった。
その後、社会現象にまでなるキャプテン翼というジャンルで、かなりマイナーなカップリングに夢中になってしまったため、札幌の高校に進学するまで、誰にも自分がどんなものが好きなのか言うことができなかった。
そもそも田舎で育ったため、人と異なることは悪いことみたいな気がしていたように思う。
中学に入ってから、私はますます内向的になった。
誰にも自分の好きなものを語れなくて、その頃同人誌の存在を知って、私は健小次に手を出した。
源小次の方が断然好みだったが、小次郎が受けなら大抵のものは楽しめたので、健小次郎も大好きになった。
この頃、ジャニーズアイドルに夢中だったクラスメートから、私たちのこと莫迦にしてるでしょと言われたが、まったくの誤解だ。
私はアニメ・特撮オタクで、今で言う腐女子だったので、生物には興味がなかっただけだ。
でも、ホモが大好きですとは、中学生の私には言えなくて、誤解を解くことができなかった。
自分の好きなものを誰にも語れない。
世界に自分がひとりきりなような気がしていた。
従兄のことを考えて、自分が汚れているから男同士の恋愛なんかに興味をもつんだろうかと考えたこともあるが、今では腐女子になったのは運命だったのだと思っている。
恋愛対象としての男性にはまったく関心がないが、男同士の恋愛や性行為を妄想するだけで、生きてて楽しいと思う。
高校で一生付き合える友達と先輩に出会ったおかげで、私は自分を無意味に嫌うことから抜け出せた。
彼らは私の趣味をおかしいとは言わなかった。
まあ、ハードやおい小説を私の前で朗読するという真似をやらかしてくれたが、すごい楽しい高校生活だった。
腐女子万歳!
ネットが広まった今では、私も自分の趣味を広めることができるし、好きなジャンルの好きなカップリングの作品を探すこともできる。
ツイッターができてからは、同好の士と日常的に萌えについて熱く語ることもできるのだから幸せだ。
従兄のことなどどうでもいいと思えた。
だが、そんな感じで生きてきた29歳のある日、母からあんた養女だからと言われ、従兄だと思っていた男が実の兄だったと聞かされた。
もうこの時の絶望感と言ったら筆舌に尽くしがたい。
あれが兄だった。
近親相姦じゃないか。
それでもお互いに知らなかったのなら言い訳も聞くが、そのあと、兄が私のマションまで押しかけて、妹だと初めから知っていて、妹だからこそ性的いたずらしたんだと言われた。そのうえこの変態は、責任をとって処女をもらってあげるとか抜かしたのだ。
本人曰く、自分は近親相姦志願者だとか。
ふざけるなと言いたい。
そんなことは心のなかにしまっておけ。
私が29歳ということは、兄は32歳ということになる。30越えた妻帯者が、実の妹の処女をもらってあげるとか言うその異常さをどう考えているのか。私は化物を見るような目で見てしまった。
正気なのかという疑問とともに、処女をもらってあげるという上から目線がなんなのかと。
何様なのこいつ。
いきなり襲われてもなんなので、とりあえず帰した。
その後、私がやりたいことを一番良くわかっているのは俺だからねというメールが来たので、もう2度と会わないしメールもしないでと返しておいた。
気持ちが悪い。ものすごく気持ちが悪い。
男という存在がものすごく気色の悪いものに思えた。
それとは真逆に、ますますBL妄想には拍車がかかったような気がする。
季節は憶えていないし、そこにいたる経緯もわからない。
3つ上の従兄が、私をトイレに連れ込んで、自分の肛門に割り箸を入れて見せて、得意そうにしていたことが、多分すべての始まりだったと思う。
この時私は従兄が何をしたかったのかまったく理解できなかった。
ただ、かなり早熟な子供だった私は、それが単にいたずらではなく、性的なものを含んでいることには気がついた。
この先何が起るのか、私はわかっていたと思う。
それから何日かして、従兄が私に、誰にも秘密だよと言って、私のジャージのズボンの中に手を突っ込んで性器を触った時は驚愕したが、ついにきたかとも思った。
嫌だとは言えなかった。
何故拒否できなかったのかと言えば、私は従兄のことが好きだったからだ。
従兄に嫌われたくない。
それだけで、私は無言で従った。
毎日というわけではなかったが、頻繁に従兄は私に性的いたずらをした。
祖母は庭で作業をしていて、祖母といっしょに暮らしていた叔母は、半盲で部屋からあまりでない。
だから従兄も大胆な行動に出たのだろう。
誰にも何も言えかったが、この次に何が来るのか予想がついていたし、決定的な事態になることを私は恐れた。
どれだけ悩んだのか、私はこの間のことをよく憶えていない。
ただ、従兄は私にとって、母の次に大好きな人だった。
従兄に逆らうことは、とてつもなく恐怖だったと思う。
でも私は、従兄が秘密と言いながら何度目かの誘いをかけて来た時、もう嫌だとはっきり言った。
それからは、互いに何もなかったように過ごした。
これらの出来事が、私に何をもたらしたのかわからないが、この時から私はかなり人間と関わるのが怖くなったと思う。
物心つく前から男の子とばかり遊んでいたせいか、私は比較的活発で物怖じしない子供だった。
後にわかったことだが、私は他動性注意力欠損症という病気で、落ち着きがなく移り気でもあったが、それを気に病んだことはなかったと思う。
よく学校では注意されたし、親にも叱られることが多くても、次の瞬間にはそれを忘れているといった具合だった。
それが悪い方に働き出したのは、ちょうどこのぐらいの時からだった。
全部従兄のせいだとは言わない。だけどこの頃から、私は何か不都合なことが起こったら、自分が悪いと思い込むようになった。それは初潮が始まったばかりの微妙な時期だったせいもあるだろうけれど、私は従兄のことも自分が悪かったせいだと思い、従兄を拒絶したことも悪いことだと思っていた。
ちょうど同じ頃、塾にあった少女漫画の中に、少年愛をテーマにしたものがあって、私はそれに夢中になった。
何故かと言われると説明ができない。
それまで同性同士の恋愛などまったく関心がなく、少年漫画ばかりを読んでいたのに、その漫画を読んでから、すべての作品で同性間の恋愛を妄想するようになった。
今ではBLと呼ばれる作品は、私にとっては心地よいものだった。
そういったものを求めて、小説JUNEという雑誌にたどりつき、夢中で読み漁った。
自然と少女漫画も読むようになった。もっとも一番良く読むのは、相変わらず少年漫画だったが、楽しみ方は以前とまったく変わってしまった。
そんな日々が2年過ぎたある日、私はキャプテン翼に出会った。
最初はサッカー漫画が面白いという単純な理由だったが、登場人物の日向小次郎の登場で、私の頭は困ったことに若林源三と小次郎の恋愛でいっぱいになってしまった。
その後、社会現象にまでなるキャプテン翼というジャンルで、かなりマイナーなカップリングに夢中になってしまったため、札幌の高校に進学するまで、誰にも自分がどんなものが好きなのか言うことができなかった。
そもそも田舎で育ったため、人と異なることは悪いことみたいな気がしていたように思う。
中学に入ってから、私はますます内向的になった。
誰にも自分の好きなものを語れなくて、その頃同人誌の存在を知って、私は健小次に手を出した。
源小次の方が断然好みだったが、小次郎が受けなら大抵のものは楽しめたので、健小次郎も大好きになった。
この頃、ジャニーズアイドルに夢中だったクラスメートから、私たちのこと莫迦にしてるでしょと言われたが、まったくの誤解だ。
私はアニメ・特撮オタクで、今で言う腐女子だったので、生物には興味がなかっただけだ。
でも、ホモが大好きですとは、中学生の私には言えなくて、誤解を解くことができなかった。
自分の好きなものを誰にも語れない。
世界に自分がひとりきりなような気がしていた。
従兄のことを考えて、自分が汚れているから男同士の恋愛なんかに興味をもつんだろうかと考えたこともあるが、今では腐女子になったのは運命だったのだと思っている。
恋愛対象としての男性にはまったく関心がないが、男同士の恋愛や性行為を妄想するだけで、生きてて楽しいと思う。
高校で一生付き合える友達と先輩に出会ったおかげで、私は自分を無意味に嫌うことから抜け出せた。
彼らは私の趣味をおかしいとは言わなかった。
まあ、ハードやおい小説を私の前で朗読するという真似をやらかしてくれたが、すごい楽しい高校生活だった。
腐女子万歳!
ネットが広まった今では、私も自分の趣味を広めることができるし、好きなジャンルの好きなカップリングの作品を探すこともできる。
ツイッターができてからは、同好の士と日常的に萌えについて熱く語ることもできるのだから幸せだ。
従兄のことなどどうでもいいと思えた。
だが、そんな感じで生きてきた29歳のある日、母からあんた養女だからと言われ、従兄だと思っていた男が実の兄だったと聞かされた。
もうこの時の絶望感と言ったら筆舌に尽くしがたい。
あれが兄だった。
近親相姦じゃないか。
それでもお互いに知らなかったのなら言い訳も聞くが、そのあと、兄が私のマションまで押しかけて、妹だと初めから知っていて、妹だからこそ性的いたずらしたんだと言われた。そのうえこの変態は、責任をとって処女をもらってあげるとか抜かしたのだ。
本人曰く、自分は近親相姦志願者だとか。
ふざけるなと言いたい。
そんなことは心のなかにしまっておけ。
私が29歳ということは、兄は32歳ということになる。30越えた妻帯者が、実の妹の処女をもらってあげるとか言うその異常さをどう考えているのか。私は化物を見るような目で見てしまった。
正気なのかという疑問とともに、処女をもらってあげるという上から目線がなんなのかと。
何様なのこいつ。
いきなり襲われてもなんなので、とりあえず帰した。
その後、私がやりたいことを一番良くわかっているのは俺だからねというメールが来たので、もう2度と会わないしメールもしないでと返しておいた。
気持ちが悪い。ものすごく気持ちが悪い。
男という存在がものすごく気色の悪いものに思えた。
それとは真逆に、ますますBL妄想には拍車がかかったような気がする。
作品名:私が腐女子になったわけ 作家名:亜積史恵