和尚さんの法話 『 廻向 』
だから我々も、いろんな事件や災害がありますけども、それは偶然じゃなくて、前世の不徳なんですよ。不幸になるのは前世の不徳なんです。
「過去の因を知らんと欲せば現在の果を見よ」ということでね。
だから困ったときは余計にせんなりませんということですね。
兎に角仏教では、融通という言葉ありまして、融通が利くんです。
有り難いことがあるんですよ。
兎に角出たら出っぱなしということはないしね。
物を盗られたとか、落としたとかというのだったらつまらん話ですが、何かの為にそれを生かしたら、必ず功徳になって戻ってくるんです。
その功徳は、この世で出るか、次の世で出るか、その次の世で出るか、それは分かりません。
順現業、順後業、とあるのですから、分からんけれども、必ずそれは戻ってくる。こういう教えです。
雑誌や本の中に、著名な人が自分が死んだら葬式なんか要らんから葬式をせんといてくれというような人がありますね。
あれは冒涜ですね。
死んであの世へ行ったら叱られると思いますね。
おまえは何様だと思ってるんだと。
あの世が無いと思ってるんだから、何様もないと思いますけど、まずはあの世があるということを知らないといけませんね。
知らんということは、本当にご縁が無いんですね。
死んであの世が無いというのなら、石や木と一緒ですね。
動いてるというだけのことで。
肉体は死んでも、霊魂は死なないんですよ。永久の、不滅なんだから。
業によってあっちに生まれ、こっちに生まれ、或いは幸福になり、不幸になると。
永遠の過去から永遠の未来にかけてそういう旅を続けているわけですね、解脱しない場合は。
いいときばかりなら、そういう旅も続けていたらいいけれども、大変なことにもぶつかるのですから。
例えば、今までの日本の歴史を見ましても、位の高い人が、位が高いとか、高いところへ就いたということは、それはそれだけの得があるのです。
ところがそういう人がいいことばっかりして死んだ人もあるでしょうけど、往々にして驕りを極めて自分はもう何をやってもいいんだと言って、それも時代によって解釈も違うかもしれませんが、足利尊氏とか平清盛とかいうのは悪いほうに廻りましたね、いろんな悪いことをしてますわね。
あれだけの勢力を持ってる位に就いたというのはそれはその得があったんです。
ところがそれが痣をして、自分はなにをやってもいんだというような気になってきて、寺を焼いたり坊さんを焼いたりね、そして地獄落ちたんと違いますかね。
清盛が死ぬとき、火の車が迎えに来たというのですから。
高い位に就いて益々行いを正していけば、それは結構ですが。
ところがそういう驕りを極める。
だから高い位に就いたが為に罪を犯すと、そういうことがあるんですね。
天皇陛下や皇后陛下になったというのは、それは皆前世の得なんですよ。
ですが、昔からの天皇さんをみましたら、幸福な天皇さんもあれば、不幸な天皇さんもありますね。流されたような天皇さんもあるわけです。
天皇さんばかりじゃありませんね、上の地位に就くと胡坐をかいてしまってね、悪いこともしないけど良いこともしない、何もしないと。
あの人はいい人だけど別に悪いこともしない、然し良いことも何もしないと。
良いことをしないというのは、これは不徳になるんです。
それである程度恵まれてると、得だけが減っていきますね。
貯金しないから。貯金はお金じゃなくて得を貯めるということです。
そうすると、天皇陛下でも、寄附をする天皇陛下もありますわね、自分の私財でね。
何もかもやってくれるから、位に胡坐をかいて安閑としてね、生活にちっとも困らない。そして安閑として一生を送ってしまったら、この世で得を随分減らしてしまいます。
そして今度この世へ生まれてきたら、得がまだ残ってれば宜しいけれども、空っぽになってるおそれもあるわけです。
この因果の道理というのは、天皇陛下だから遠慮する、大名だから遠慮すると、そういうものじゃないんです。公平なんです。
乞食であろうが天皇陛下であろうが、善い行いは良い。悪い行いは悪い。
と、そういうことで公平なんですよ。
ですから、おそらく地獄へ落ちた天皇陛下もあるかもわからないですしね。
大名の中にも、清盛もそうですが地獄へ落ちた大名もあるでしょうし、死んでもいい所へ行った大名もあるでしょうし、様々ですね。
それはもうあの世ではかられることですから。
そういうことをおとぎ話だと思わないで本当だと思って下さい。
例えば、助け合い運動で寄附があると、少しでもしますね。
少しの金額でも人によっては金額に差が出てきますね。
大会社の社長と比べると金額に差が出ますね。
そこが融通なんですよ。家は火の車ですから、もっと楽になったらしますと言う人もいますが、火の車だから出し易いと思うのです、ちょっと出したら済むのだから。
楽になったら出し難くなるのと違いますか。
困ってれば困ってるように功徳があるんです。
乞食が一万円したのと、大会社の社長が百万円したのとでは、その乞食の一万円の方が遥かに功徳が大きいのです。
相手が、こっちを騙しにかかってる場合でもいいんですよ。
知らんと出して、後になって詐欺だと分かって騙されたなと思うけれども、向こうは罪を積んだけど、こっちは出したということは無にはならんのです。
寺のことでもそうですね。
和尚が気にいらんと言うてお金を出さないというのではなく、和尚にお金をあげるんじゃなくて、阿弥陀様にするんだと思えばいいわけです。
了
作品名:和尚さんの法話 『 廻向 』 作家名:みわ