夢と希望が詰まっているという神秘の器
たらこパスタ食べちゃったじゃないですか。夕飯が麺類だとわかっていたのならば、別のメニューを頼んだのに……ではなくて。
「そのおっぱいと連呼するのをやめろください」
「日本語がおかしくなっているよ。でも、じゃあ、何て?」
「え? 胸、で良いじゃないですか」
「それは実に面白くない」
面白いとか面白くないとかの話でしたでしょうか。
まあ、先生も男ではあるから興味を持つのはわかるし、悪いことじゃないと思いますけど。
「そうだな。胸に対しては異性間に違いがあるな。平らかそうでないか。そして考え方も違う。男にしてみれば異性の魅力的なものであり、女にしてみれば比較対象にされる厄介なものあるいは武器」
「はぁ」
胸と一言でいえば済むものを、何か壮大に考え始めた。
そういえば私の次の授業は何時からだったかな。先生の話を半分に、鞄から手帳を取り出す。今日は、五限の日だった。待ち時間をどうしようか。
目の前でブツブツ言っているが、もうおっぱいと言っていないので無視だ。
あ。しまった。パスタの事を忘れていた。
「決めた。僕はこれでも男だからな。男性の視点から、名付けよう。そう。【神秘の器】だ」
愕然。または絶句。
「我ながら、天晴なネーミングセンス」
悦に入ったようで、機嫌良く完全に停止していた食事を再開させる。
それよりも何だ。神秘の器? 何処からどうなって、どうしてそこに辿り着いたのだろうか。
発想が神秘的すぎる。
「先生。【神秘の器】って?」
「んん? ああ、学食のプリンは最高だな。低価格でそれなりに美味い」
「そんなこと聞いていません」
「男性視点で考えたんだが、お……【神秘の器】にはだな。夢と希望が詰まっているというのだよ。ある人物が」
自分で名前を考えた割に、一瞬だけおっぱいと言いそうになったな。言い直したことは素直に褒めるけど。
「へえ。どんな人物ですか? 私と会ったことあります?」
「どうだったかな。僕たちは人文学部で、奴は科学技術部だと思ったな。会ったか会わないかどうか、僕は奴に聞いた事がない。でも特徴的な見た目をしているから、君も会ったことはあるだろうかもしれない」
科学技術部。通称、科技部。
人文学部の棟とは別の棟で、距離が随分と離れている。なので、滅多に彼らに出会うことがないだろう。この学食にやってこない限り。距離が遠いという理由から、科技部棟には専用の購買が設けられている。人文学部棟にはもちろん無い。その分、学食は二階にあり、一階が購買になっているのだ。
なので、あまり彼らは時間に余裕がない限りは学食に立ち寄らない。噂によると、ビーカーでお湯を沸かしカップ麺を食するのが常であるという。それが全て真実かどうかは知らない。ただ知人は電話で会話した際に、概ね本当だと言っていた。私の知人も科技部棟に籠りっきりで、連絡は専ら携帯電話である。しかし実際に見ていないので断言はできない。
「それは置いておくとして、どうして男性が女性の胸に興味がわくのか理解はできても、そのメカニズムまでは専門家じゃないから不明だ。ひょっとすると専門家にもわからないことかもしれない。不思議。これに尽きる。惹かれる理由は個々様々だとも考えられるだろう?」
「知りません」
「まあ、そうなんだよ。僕が考えるところによると」
「それが、神秘の部分ですね」
「器はそのままだよ。入れ物という考え方より詰まっている物……っていう個人的な意見だけど」
「安直のようで、そうでないような微妙な」
「ひゃくめおにくんって丸めこまれやすいよね。悪い人には気をつけた方が良いぞ」
そんなことないですよ! と口を尖らせて言えば、笑われた。
ムカついて、すっかり冷めたパスタを乱雑にフォークに絡めた。ううむ。それが中々うまくいかない。
「ところで、君は胸の大きさって気にするのか?」
「失礼千万ですね。喧嘩を売ってらっしゃる?」
「いいや。純然たる興味本位だ」
無神経だ。
私の胸がささやかであることを遠まわしに言っているのだろうか。
やっと巻けたパスタは口よりも大きくなってしまった。このまま頬張っても良いけど、口から溢れ出そうだ。
やり直す。
「気にするのか」
確信を持った声。この話は終わりにしたいという私の雰囲気に気付かないのか。気付いていても知らぬふりか。
「だったら?」
「僕は大きさに関して言うと、小さい方が好みだ。貧乳ともいうんだったかな」
「え。幼児趣味?」
「違う。あと言葉的にはどちらと解釈すればいいんだ。少女趣味(ロリータコンプレックス)か、児童性愛(ペドフィリア)か」
「どちらでも別に。私にはどちらも同じ意味に感じられるので」
「言いだしたのは君だろう」
先生の言いたいことは、ほとんど意味がわからない。安易に私の胸を貧乳だと言いたいのか。慰められているのか。言われているこちらにしてみたら、傷を抉ってかるく塩を塗られている感覚だ。
また、パスタがうまく巻けなかった。先生のせいだ。
睨んでやると、今度は苦笑され、肩を竦められた。
そうしたらもう【神秘の器】についての大きさがどうとかいう話は、しなかった。
パスタもうまく巻けるようになってきた。何でこんな練習しているんだ。最初から箸でも良かったということは、どうでもいい。これはもはや意地の域だった。
味はというと。まあ、冷めたパスタだ。パサパサしていて、美味しいとは言えなくなっていた。全て平らげたので、勿体ないということは無くなった。
食事を一段落させて、寡黙といっても過言ではないほど静かになった先生をチラリと伺い見る。
何やら口元に手を当てて、真剣な表情をしていた。
食べていたプリンは確実に欠けて減ってはいるが、会話していたときと、ほとんど変わらない状態のままだった。
「どうしたんですか?」
喋らなければ、イケメンなのに。と感じたそのあとすぐ彼は思い出したように、大きめな声で呟いた。
「――そうだった。僕はおっぱいプリンが食べたい、と思ったのだった」
周囲の視線を強く感じた私だった。
だから、公共の場は止めてほしいのだ。毎回のごとく。
作品名:夢と希望が詰まっているという神秘の器 作家名:楡原ぱんた