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最終電車 4

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「また寝てるなー?」
 目を開けなくても分かる。この前、初対面の僕の顔をいきなり叩いてきた、ちょっとおかしな子だ。
「……また失礼なこと思わなかった?」
 ため息をついて起き上がった。
「思ってないと思うよ」
 適当に返事をしたら、嘘だなー?、と頬を膨らめていたけど、すぐに笑顔に戻って僕の隣に座った。
 遠野伊沙曰く、今日は「お喋り」をするために来たらしい。わざわざ昼休みに裏庭まで来る、しかも僕のため(と思われる)に。物好きな子だ。
「えーとね。今日は5時間目が数学じゃないから、私もサボっていられるよ!」
「誰も一緒にサボってくれなんて言ってないけどね」
「女の子に対して冷たいことは言っちゃいけないの!」
 また顔をばちんと叩かれる。
「その癖はやめた方がいいと思うんだけど」
「キミにしかしてないから癖じゃない!」
「そう……」
「……そ、そういえば、その傷はどうしたのかな?」
遠野が僕の右のこめかみを指した。昨日の傷口だ。一応、応急処置としてガーゼだけは当てておいた。
「あー……道路で思いっきり転んだ」
 適当に理由をつけた。
「そーかそーか! けっこうドジなところがあるんだねー!」
 と言いながら薄々気付いているかと思ったら、本当に信じているようだった。私よりもドジかなー、と言って、遠野はけらけらと笑っていた。
 その後、少しだけ沈黙が流れて、遠野が口を開いた。
「そうだ! ……あのさ、好きな人とか、いるの?」
「は?」
 驚いて遠野の方を向いた。また顔を赤くしていた。
「会って2回目でそれを聞くか」
 いきなり話題が飛んだね、というツッコミは心の奥にしまっておいた。
「いるかいないかだけ答えてくれればよろしいの!」
「はぁ……好きな人、ねぇ……」
 誰かが気になるだとか、誰かを好きになるだとか、そういうことを今まで意識したことはなかった。スケッチブックが恋人、と言うのも変なのだが、実際そんな感じだ。絵を描くこと以外、あんまり興味がない。
「いないと思うけど」
「なんか曖昧だなー」
「で、遠野は?」
「へっ!? 私っ!?」
 自分がした質問をし返されただけじゃないか、と心の中でツッコんでしまった。
「えーとね、私はね……」
 俯いて無駄にもじもじする遠野。もうその反応で答えなんて分かってしまうのだが。
「い、いるよ……」
 やっぱり。
「でも! 誰だとかは、聞かないでほしいかなー」
「聞くわけないでしょ」
「……」
「聞いてほしいなら聞くけど」
「いい! いい! 聞かなくていい!」
 女子というのはよく分からない。でも、めんどくさくはないと思う。遠野と話すのは苦じゃないし、むしろ楽しい方ではある。……会って2回目なのだが。
 改めて遠野を見る。何というか、やはり80%ではあるのだが、可愛いの分類には入ると思う。
「失礼なことを言われてもそんなに褒められると照れるなー」
 あとエスパー能力も持っていると思う。
 ふと僕は、今まで自分が固定されたものしか描いていないことを思い出した。風景とか、ただのリンゴとか。動くもの……というか、生きているものを描いたことがなかった。
 生きているもの……生きているもの……。
「……ん?」
 やはり今は遠野しか目に留まらない。
「うーん、遠野さ、ちょっと絵のモデルになってくれない?」
「……そ、それは告白ですかっ」
「いやそんなわけないから。落ち着こう」
 描く気になった理由を説明した。
「そーか……つまり私が初めての人のモデルなんだねー」
 ちょっと嬉しいな、と言って遠野は笑った。
 不覚にもどきっとしてしまった。先走るところはあっても、見た目は可愛いのだから。
「あと失礼なことは思わないように!」
「はいはい。じゃあ、今から描いていい?」
 いつもスケッチブックと鉛筆は持ち歩いている。裏庭での昼寝の時でさえそうだ。この2つが傍にないと落ち着かない。
 遠野は、背景ぐらいは選ばせてね、と言って、ちょうど満開である桜の木の下に座った。
「……そこ、毛虫落ちてくるって有名だけど?」
「えぇっ!? じゃあやめたやめた!」
「あ、嘘だから大丈夫」
「……」
「大体、裏庭で背景になるような場所って言ったら、そこくらいしかないし」
 遠野の正面に、5mくらい離れて体育座りをする。膝を下敷き代わりにして、スケッチブックを置いた。前に描いた絵の次のページを開く。
「……あのさぁ、そんな怒ったような顔を描けと?」
「べーつーにー。怒ってもないし。むすっとしてるぐらい」
「怒ってんじゃん」
「キミが冗談言い過ぎるから!」
 遠野がふいと横を向く。
「あーそうですかそれはごめんなさい」
 適当に流す。
 遠野は依然として頬を膨らめている。別に女の子を怒らせるのが好きとか、そういう変な趣味はない。あっちが勝手に怒っているだけだ、と言っても、僕だってなるべくいい絵を描きたい。背景の桜がいくら綺麗でも、当のモデルがこの顔じゃあ……なぁ……。
「はぁ……僕だって、怒ってる君を描きたいんじゃないさ。なるべく可愛く描こうとは思ってるよ」
「はっ!?」
 そっぽを向いていた遠野の顔がこちらを向いた。
「君だってさ、わりと可愛い顔してるんだし。できれば笑顔……いや、頬笑みながらこっち向いててほしい」
「……それ、無意識?」
「は?」
 意味が分からない。僕ただ自分の素直な気持ちを述べただけだ。
「……タチ悪いなぁもう。女殺しって言うかさ!」
 先程とはまた別のことに「むすっと」しているようだ。
「……ごめん、話が見えないんだけど」
「とりあえずキミの性格が鈍感だなぁってこと!」
「ふーん……まぁ何でもいいけどさ、とにかく笑ってくれるわけ?」
 僕がそう聞くと、遠野は斜め下に目をそらし、それからまた正面を向いて
「まぁ、今ので許してあげよう! その代わり、ちゃーんと可愛く描いてねー?」
 ご機嫌が治った。ふふん、と少し鼻を鳴らしている感じもあるから、上機嫌と言ってもいい。ちなみに、小馬鹿にされる心当たりはない。
「はいはい。言われなくてもそのつもり」
 鉛筆を握る。
 所謂、画家と呼ばれる人に、絵を描くことの中で何が好きかと聞くと、絵が完成した時に嬉しい、と答える人が大体だそうだ。それは、まだ画家の卵またはただの絵描きである人に聞いても同じらしい。
 確かに、僕も絵の完成は嬉しいと思う。それが息抜き程度に描いたものであっても、何日何ヶ月かけて描いたものであっても、「完成」は「完成」なのだ。そして、絵を描く人にとっては描いたもの全てが「作品」なのだから、その息抜き程度のものでも「作品」なのである。
 ただ、その感動も、一筆目には劣る。これはあくまでも僕の個人的な考えなのだが。「完成」した「作品」のイメージを頭の中で思い描くあの瞬間。頭の中での「作品」がとても気に入ったものだとして、自分はちゃんとこんな「作品」が描けるだろうか、とどきどきするあの瞬間。もしかしたら本当に「完成」した時には、イメージと違った全く「作品」ができるかもしれない。
作品名:最終電車 4 作家名:悠木陽和