和尚さんの法話 『自信教人信』
に決まってるんです。
後生の為に貯めたお金と。
後生大事に貯めたお金という言葉がありますね。
後生は大事に決まってるんです。
その後生と同じくらいに大事なお金ということです。
それほど昔の人は、後生後生と後生ということを考えてた。
そういうふうに昔の坊さんは説いたんです。
ということは、昔の坊さんは死後の世界を信じてたんです
ね。
今の坊さんはそれを説けないということは、あの世を信じ
ていない。
死後の世界が有るのか無いのか分かっていないんですね。
あの世を信じてたらあの世の用意をしないといけませんよ
ね。
あの世が有るということは、あの世で命があるということ
で、あの世へ行って分別が有るということですよ。記憶が
有るということです。
毎日毎日あくせくと生きていかんならんということは、こ
の命があるからなんですよ。
今日死ぬんと違うでしょ。
明日もあり明後日もあり、一月があり来年があり再来年が
ありと、まだまだ大丈夫と皆思ってるんじゃないですか。
そしたらその用意をせんなりませんね。
一文無しで一年、二年、三年のことを考えてたって何の役
にも立たん。お金があっての話しでしょ。
お金を用意しとかなければ十年に十年と生きていけません
ね。
そのお金のために、あくせくとせんならんのは、それは何
のためのお金かというと、後の自分と家族の生活の為です
ね。
今日死ぬんだったらそんな用意は要りませんよ。
家族の事は別としてね。
自分が今日死ぬんだったら自分のお金は要りませんね。
そういう用意はまだ命があって後のことを考えてあるから
でしょ。自分の将来の為ですよね。
そうなると死後の世界があるとなったらその用意をしてお
かなければ、ということです。
それを言うのです。お経にはそう説いてあります。
それがね、死んだら皆が極楽へ行けるんだったら結構です。
ところがうっかりすると地獄がある。
地獄へ行ったり餓鬼へ行ったりというのもこれも本当なん
です。
それがあるから、そういう所をよけていい所へいい所へ行
かんならんと、それはあの世へ行ってみてこうなってると、
私はここは嫌だ、あそこがいいと、いうわけにはいかんの
です。
それはこの世の行いによって、この世の一生の行いによっ
て、分かり易くいうと向こうでおまえはそこ、おまえはこ
こということになるんです。
そのうちにあの世へ行ったときに、一番強いのは信仰だと
いうことになってくる。
信仰が無かったら、例えば南無阿弥陀仏の信仰が無かった
ら、どんな善いことをしたって極楽へは行けない。
善いことをしてなくっても、本当の極楽往生への信心が決
定してあったら、その人は極楽へ行かせてもらえるんです。
だから信心が大事なんです。
そういうあの世の仕組みが分からんと、後生の用意もする
気にならん。
だからこの世よりあの世の方が大事なんです。
ですからあの世があるということを信じて頂きたい。
そしてあの世へ行くにはどうしたらいいのか。
ただ死ぬのならそのままほっといたら死ぬけれども、死ん
で霊魂(魂)が何処へ行くかという問題が残るから、その
用意の為の仏教だということです。
最初のお話しに、四苦八苦というのがありますが、四苦は
生老病死。
後の四つを加えて八苦ですが。
「怨憎会苦」(おんぞうえく)
憎しみ合いながら離れられないという苦しみです。
憎しみ合った夫婦とか親子で、終いには殺してしまうとい
うような苦しみですね。
憎しみ合って、一緒に住んでいかんならん。憎しみ合った
夫婦、兄弟、親子、嫁姑というような関係。
「愛別離苦」(あいべつりく)
愛し合いながら離れる苦しみ。
「求不得苦」(ぐふとくく)
求めて得られない苦しみ。
欲しい物を求めてるんだけど得られない苦しみですね。
「五陰盛苦」(ごおんじょうく)
五陰というのは、心身のことですね。般若心経にも出てき
ますね。
心身がひとつの器とすれば、そこに盛る苦しみという意味
で、痛みもあるし痒みもあるし、痺れもあるし、いろいろ
ありますね、心も同じように苦しむ。
こんなお話しもございますので。
或るとき、目連が道を歩いていたら、或る人が骨を叩いて
いるんです。
それで、おまえは何をしてるんだと聞くと。
この骨は私の前世の身体だと。
肉体は崩れて無いけれども骨が残ってある。その骨を一所
懸命叩いてるんです。
私はこの身体が有った為に、偉い目に遇うて、えらいとこ
ろへ落ちましたと。
それでこの身体が難いんだと。それで自分の前世の身体を
叩いてるんだと。
それでまた歩いていくと。
上から骨に花をまいて供養をしている善人に遇うんですね。
それで何かと聞いたら、前世の私の身体ですと。
私はこの身体があったおかげで、善い事をさせて頂きまし
たと。
この身体があったおかげで今は天上界へ生まれることが出
来ましたと。
話は分かりますが。
蛇の恩返しのお話しを。
和尚さんの檀家さんですが、冬の寒い日に蛇が庭に出てき
たそうです。
こんな寒いのにどうして今頃蛇が、と思ったそうです。
蛇は寒そうにとぐろを巻いてたそうで、寒いだろうなと思
って、藁を蛇にかぶせてあげたそうです。
それから何年かたって、其の時と全く同じ状態を夢に見た
そうです。
前は本当に藁をかぶせてあげた。今回は夢で藁をかぶせて
いたそうです。
それから間もなく、息子さんがえらい出世をしたそうです。
蛇の恩返しですね。
蛇に限らず生き物を可愛がるということですね。
生き物を大事にしてやる、兎に角命をとらないということ
は大きな功徳になるし、仏の道に添うことになるのです。
そうすると神も仏も其の人を護りますからね。
だから蛇が護ったというよりも、神仏がその人を護ってる
んだと思うのです。
了
作品名:和尚さんの法話 『自信教人信』 作家名:みわ