入道雲と白い月2
女性はぐしゃぐしゃと頭を掻きまわす。元々、そっけなく垂れた髪の横に垂れる部分を後ろにまとめていただけなので、そう乱れはない。だが雛はひやりとした。それは、怒りだす前の母がよく見せる仕草だったためである。
その矛先が向いているであろう男性は、しかしむっつりとしたまま表情を変えない。ほどなく女性は、あきらめたようにため息をついた。
「・・・・・・おっしゃることは解りますよ。でもね、いつでもどこでも正しいことがよい、とは限らないんです。嘘をつくべき時というのもあるんですよ。相手の気持ちを考えてね」
「ふん。気に入らん奴の気持ちなど、汲みたくもない。どうせ考えたところでわかるはずはないのだ。やるだけ無駄だろう」
「無駄って・・・・・・そういう問題じゃないんですがねえ」
はぁぁ、と先ほどより大きくため息をつく女性を眺めていた男性が、ふと、少しだけ表情を和らげた。
「まあ、だが、お前の気持ちはなるべくわかりたいと思っているから、安心しろ」
男性は言う。すると、女性は少しの間黙ると、片腕を上げて後ろに回し、頭を掻いた。
「それでごまかそうってつもりは・・・・・・ないんですよね。あなたは、そういうお人だ。・・・・・・解りましたよ、こちらの負けですっ。もういいから帰りましょう」
「なに? 負けとは何だ。俺たちは別に勝負をしていたわけではないのだぞ」
「――殿のそういうとこ、好きですよ」
言いながら振り返った女性は、困ったような笑みを浮かべていた。そのまま雛の方へと向かってくる。むっと表情を歪めた男性も、それに続いた。
二人は再び雛をすり抜けた。覚悟をしていたので、先ほどより驚きはないが、それでも妙な緊張感はある。
振り向くと、二人の姿はすでに消えていた。祭りの灯りも戻っている。
「・・・・・・びっくりした・・・・・・」
胸に手を当てながら呟いた。
幻を見たのだと、ようやく今になって思い至る。考えてみれば、二人は先日も見た、左近に似た女性とその連れの人だった。
仲のよさそうな二人だったな、とぼんやりと思いながら、祭り会場に戻ろうと足を踏み出す。けれど緊張の余波からか足がもつれ、躓きそうになった。慌てて近くの木に手をつく。
「おい、大丈夫か」
声がかかったのはその時だった。顔を上げると、祭りの灯りの中から、ひとりの女の人が近づいてきてた。紺の布地に白い糸で刺繍をした渋い浴衣を着ていたが、顔つきは若い。雛でも「お姉さん」と問題なく呼べるほどの年代だった。
「どうした? 気分でも悪いか?」
女の人はそう言って手を貸そうとしたので、雛は慌てて木から手を離すと、しゃんと背筋を伸ばす。
「いえ、大丈夫です。ちょっと躓いちゃっただけで」
「そうか・・・・・・。この辺りは暗いから、用もないのに入ったらだめだぞ」
「はーい」
返事をすると、祭りの灯りの中から誰かが呼ぶ声がした。どうやら、女の人の連れのようだ。洋服を着た雛くらいの男の子を振り返り、女の人は応える。
「はいはい、もう戻りますよ。じゃあお譲ちゃん、気をつけて」
「はい。ありがとうございます」
頭を下げると、雛は男の子のいる方向へと歩き出す。女の人もあとについてきた。
「お待たせしました」
「そう思うなら、おせっかいも大概にしろ」
そんな男の子と女の人のやり取りを背に、雛は神楽の音源を目指し歩き出した。
続く