入道雲と白い月
「・・・・・・ここで会えた時は人の姿をしていたし、話もできた。それはきっと、あの人の神としての力が強かったからだと思う。けど、このところ力が弱まっているのか、人の姿をとらなくなった。そして、姿自体見せることが少なくなった。しゃべれるかどうかもわからない。でも、こっちの言ってることはわかる・・・・・・はずなんだが」
左近は悲しそうに眼を伏せた。しかし口元にはやわらかな笑みを浮かべたままだ。そんな女の人を目の当たりにすると、雛の胸はどうしようもなく痛くなった。
それはよく似た顔を見たことがあるためだった。その表情を浮かべた人も女性で、けれど左近よりもずっと年上で、雛にとっては最も身近な人――母親だ。
母は元気で明るい人で、めったに弱みなど見せなかったけれど、家族が苦しむことにはひどく弱かった。雛の父――母の夫で、祖父母の息子である人――は体が弱い。しかし頭はよかったので、人によく頼られた。頼られればそうそう無下にはできない父は、めんどくさいとぼやきながらも、時折必要以上に働いてしまい、病院の世話になっていた。
雛にとって、父のそんな姿は慣れたもので、入院したと聞かされてもまたか、という感想しかもたなかった。いくら入院しようと、常に父は元気に帰ってきていたのだから。
けれど兄や母にとってはよくあること、で済ませられることではなかったらしい。最近になってそれがわかってきていた。父の症状は主に過労だったが、ただでさえ体の弱い父がさらに弱るということは、病気にかかりやすくなり、重くもなりやすいのだ、と気がついたのである。
その時になってようやく、雛は母がしている苦しそうな表情の意味がわかった。母は父の死を恐れ、また案ずることしか出来ないことに苦しんでいたのだ、と。
だからきっと、今の左近も母と同じように苦しんでいる、と思った。
何とかしてあげたいと、望んだ。
「その人に会いたい?」
「え?」
左近は驚いたように雛を見る。
「会って話したい? なら、次に見たら連れてこようか? 出来るかどうかは解らないけど・・・・・・」
語尾を濁らせながら言うと、左近はぱちぱちと瞬いていた。そして疑わしそうに口を開く。
「雛は、あの方を捕まえるつもりなのか?」
「うん。でも狐を捕まえるなんて、罠でも仕掛けない限り無理だよねえ」
「とんでもない!」
左近は目を剝き声を荒げる。怒鳴られたような感じだが、怒られたというより焦っているようだったので、驚きはしたが怖くはなかった。
「あの人を捕まえるなんて、そんなことしてごらん! たちまち不機嫌になって余計に出てこなくなっちまう」
「そうなの? まあそっか、神様だもんね。罰あたりだね」
と一応納得した雛だったが、ふと思いついたことがあり、訊いてみる。
「ねえ、今『余計に出てこなくなる』って言ったよね。じゃあ今の狐・・・・・・さんって、怒って隠れてるってことなの?」
「あ・・・・・・いや怒っているというか・・・・・・・人の姿に為れないことを恥じているんだと思う。きっと」
答えを受けて、雛は少し考えた。そういう行動をとる人を表す言葉が、何かあった気がする。
「あっ。引きこもりかあ。しかも狐さんって神様のお仕事ってしてるのかな。それもしてないんだったら、ニートだね」
左近は惚けたような表情を雛に向けた。
あれ、と少女が戸惑っていると、ふいに床下からカサコソと何かが動く音がしてくる。その音は部屋の真下からまっすぐに動き、境内へ向けて突っ切ると、ものすごい速さで山の中へ消えていった。
「あ、あぁー・・・・・・」
情けない声を上げた左近を、雛は見上げる。彼女は立ち上がって音が消えた方の障子を開け、外を見た。
「どうしたの?」
問いかけると、振り返って肩をすくめた。
「どうやら、くだんの狐さんが聞いていたようだ。もう行っちまったがね」
左近が指差す先の茂みが、風もないのに揺れていた。
続く