和尚さんの法話 『 来世の法話 』
あ、それはございますと。
これも過去帳を出してきて、この人ですと。
その話しが、その家には昔、村正という刀があったそうな
んです。
村正は妖刀の伝説のある刀ですね。
こんな刀を置いてたらいかん、魅入られて何事が起こって
くるかわからないというような云われのある刀ですね。
その村正という刀が家宝として伝えられてきたんですね。
やっぱりその刀は無暗に抜いたり見たりしてはいかんとい
うことを戒めて、家の者に言うていたそうです。
ところが、見るなといわれると見たくなるもので、その息
子の武士が、蔵の中で腹を切って死んでいたというのです。
ところが死ぬというような理由が無いというのです。
だからこれは想像らしいのですが、見るなというものを見
たがって、蔵の中で刀を見ているうちに魅入られて、死に
たくなって腹を切ったのと違うだろうかと、これはもう想
像らしいのですが。
これはやっぱりこの刀を置いてたらいかんということで、
お寺とか神社へ奉納したらしいのです。
そういう話しを過去帳に書いてあったんですね。
これも証明があったわけです。
それから水子ですが、まだ若い時分に奥さんが、その時分
はまだ電車が走っていた頃ですね、その頃、産み月にその
電車から落ちたそうです。
乗ろうとして転がり落ちたショックで、死産したんですね。
水子をお地蔵さんが抱いてたというのは、いつも夜散歩す
るそうで、必ず和尚さんの寺へ参りに来たそうです。
だからお地蔵さんが、その子供を救ってるわけですね。
若侍の話しも合ってるし、死産の子供のことも合ってるし、
どちらも霊魂でしょ。
要するに霊魂はなきゃならんわけです。
あの世があるということは間違いないのです。
「極楽」
話は違いますが、地獄もあるんですから。血の池地獄もあ
れば、お経に説いてあるのは皆本当です。
以前に和尚さんが見た話で、鬼に囲まれたという霊の話し
もありましたしね。
だから、あの世というところは決して平等ではない。
やはり罪のある者は、罪のある者で、向こうで責任を果た
させられるわけです。
それをよく肝に銘じておきませんと、あの世の用意は出来
ないと思うのです。
明日は明日の風が吹くという人は、あの世を甘く考えてい
るわけです。
だから真剣にあの世の用意が出来ない。
仏教の本来の使命は、あの世の用意をさせるだけじゃなく
て、あの世の用意はどうしたらいいのですかと聞かにゃな
らんようになって来なければならんわけです。
そしたら、ああです、こうですと説かんならんわけですか
ら。
極楽往生というのは、その上に乗っかった教えなんです。
地獄や餓鬼や畜生、そんな処へ行ったらいかんよと。
天上界はいい所だというけど、また生まれ変わって来なけ
ればならん。
生まれ変わってきたら、また罪を犯すか分からんぞと、だ
から永久に逃れることは出来ないと、こうなってくるわけ
です。
そういう世界を早く逃れないといかん、というのが仏教な
んです。
苦悩の世界だということを認識して、本当の楽土を求める。
極楽というのは極楽な世界。
遊び回って楽という意味ではないのです。
悩みが無いという意味なんです。
楽というと、快楽的な感じになってきますが、そんな意味
じゃない。
救われたらやっぱり楽じゃないといけませんよね。
救われた世界が苦しみじゃ具合が悪い。
仏教の楽という意味は、快楽とか気楽とかいう意味じゃな
くて、本当に何の悩みも無いということで、何も悩みが無
いから、苦しみも無いのです。
つまり煩悩が無くなるというのはこういうことですね。
了
作品名:和尚さんの法話 『 来世の法話 』 作家名:みわ