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和尚さんの法話 『 来世の法話 』

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現当両益(げんとうりょうやく)

現当両益(げんとうりょうやく)現というのは、この
世のことで、当というのは当来世ということで来世の
ことですね。

この両方の御利益を説いてるわけです。

現世の利益というのは、病気を治して下さいとか、お
金を儲けさせて下さいとか、いろいろこの世の願いの
ことですね。

来世といえば、浄土門ですと極楽往生を頼みますとい
うふうな御利益ですね。
或は、地獄に落ちないようにとか。

受戒しますわね、皆さんもお受けになった人もあると
思うのですが、一週間くらい毎日お寺へ通う。朝の9
時から夕方の5時頃までいろんな儀式がありますね。

そしてお説教が必ず朝に一席、午後に一席あると思う
のです。
そのお説教というものが非常に大事なんですね。
これは本山から義務付けられているようです。

和尚さんのように勉強会を作ってお話しをするとか。

或は、お寺で彼岸とかの勤め事がありますね、する
と各お寺から専門の布教師というのがあってお説教
をする人があるんですね。

そういう人を呼んできて、そしてお話しを聞くとい
うふうになってるんですね。

然しながら、そういう説教師さんじゃなくても、機
会をとらえてお説教をしなさいと、お勤めだけでは
いけませんと。
短い時間を割いてでも、お勤めのあとにお話しをし
なさいと、本山から指令があるそうです。

お話しは聴かなきゃ分かりませんからね。
自分で想像してたって、それが正しいのか間違って
いるのか分かりませんからね。

現当両益といいまして、現世の利益も説きますが、
来世の利益。これが仏教の本命なんですね。

ところが現在の仏教も含めて新興宗教は、ほとんど
が現世利益一辺倒ですね。
それがいかんというのじゃない、迷信では決してな
いのです。
現世の利益は迷信だと思っている人もいるわけです。

面白いことに、坊さんとか仏教学者とかいうには、
仏教は現世利益とか病気が治るとかそういうのは皆
迷信なんだと。そんなことはお釈迦さんは説いて無
いんだと。いうことを言う。

それは浅はかな考えであって、そうじゃないんです。

お経の中には、ちゃんと現世利益が説いてあります。

例えば、観音経というお経がありますね。
観音菩薩は三十三に姿を現して、そしてこの人にはこうい
う姿で出てきたら効果があるだろう。

この人にはこういう姿で現わして法を説いたら効果がある
だろうと。
三十三くらいなものじゃないです、いろんな姿を現して、
変化してる。

観音様だけじゃない、お地蔵様もお不動様も皆そうなんで
すよ。そしてその現世利益を説いています。

観音経、地蔵経、不動経、薬師経、そういうお経は皆、現
世の利益を説いています。
だから仏教にも現世利益は説いてあるのです。

あるのですが、例えば病気の人が、お稲荷さんでもお地蔵
さんでも観音さんでも祈って治ったと。

すると永久に死なないのかというと、必ず死ぬんです。
一時は病気が治っても、死ぬんですよ。
だからちょっと延びたというだけのことですよね。
だから現世の利益というのは、限りがあるんです。

一時だけのことで、喉が渇いて水を飲んでやれやれと。
するとまた喉が渇くんですよ。それと同じことなんです。

それでもやっぱり我々は苦しいよりも、楽なほうがいいん
だから楽を求める。
それで求める者は現世の利益を授けてやろうというわけで、
お経にはそれぞれ説いてますけれども、それは一時しのぎ
のものなんです。それは仏教の本来の使命じゃないんです。

腹痛が起こって薬を飲んで治る。
その程度のものなんですよ、現世利益というものは。
何れ死ぬんですから。

貧乏であって、どうぞお金を授けて欲しいと。
宝くじが当たって儲けたと、仮にしましても死ぬんですよ。
そのお金を持ってあの世へ持っていけるわけでもない。

然しながら、我々は凡夫で何時も煩悩にとりつかれてなか
なか広遠な思想を持つことは出来ない。
だけどもだめだと思ってつき離してしまったら、もうそこ
で仏縁が切れてしまうから、それなら求めてきなさいと、
授けてやろうという方便なんですよ、現世利益は。

で、十人なら十人、頼んで叶えて頂いたら、そのうちの二
人くらいはなるほど有り難いなということで、それが縁と
して付いてくる人がある。

ところが八人はそこで叶えてもらえば後は知らん顔ですね。
それでも一人でも二人でも救うていこうと、それを縁とし
て本当の救いに導いていこうと。
本当の救いは後生の救いなんですよ。
当来の救いなんですね。

だからこれを考えないと、現世の利益ばっかり求めていた
ら、あの世へ行ったら後悔するでしょうね。


「冥福」

皆さんは、弔電をもらうことがあると思いますが、そのと
き冥福を祈るという電文があると思うのです。
謹んで冥福をお祈り致します。と、こういう電文があると
思うのです。
この「冥福」というのは、冥途の幸福ですね。
それを煎じつめて、冥福と言ってるんですね。

三回忌とか、七回忌をしますね、それはその亡くなった方
の冥福を祈ってるわけです。
これは電文じゃなくて儀式ですねこれは。

冥福という言葉があり、冥福の儀式。
それはやはりあの世があるからこそそういう言葉があり、
そういう儀式をするわけであって、あの世がなかったらそ
れはもう単なる絵空事です。気休めですね。

先祖からやってるから伝統的にやるか、それともたまに法
事でもしないと親戚が集まらんと。
付き合いもせんならんから、そういう付きあい上の意味で
法事をするとか、それくらいの意味しかないのではないか
と思います。

そうじゃなくて、あくまでも亡くなったその人のあの世で
の幸せを祈る気持ちであり、儀式なんですね、仏事という
ものは。
だから、あの世というものは無かったら、もう法事ごとは
要らんのです。
葬式もいい加減にしたって構わないわけですよ。

ところがやっぱりお葬式は、するとしないでは大違いなん
です。
自分が死んだら葬式なんかしなくていい、死んだらゴミに
なるんだから飛行機からまいてくれと言う人がありますが、
それは罰あたりですよ。

そういう人が死んであの世へ行ったら、それはひどいこと
になる。
あの世を否定して、そんなものはあるものかと胡坐をかい
ている人。
だからそういうことが言えるんですね。

だから仏教の教えというものは、今言うように現世のこと
も説いてますけれども、主なところでは皆、あの世のこと
を説いてる。
あの世の用意をこうしなさい、ああしなさいということを
説いてるわけです。


例えば、どの宗派にも和讃というのがありますね。
各宗派のご開山なり、代々のお上人方が、仏教の真理、仏
教の精神、仏教の道理、そういうものを詩に作って自分の
戒めとするわけですね。

或は、自分はこういうものを作ったからお前たちも読んで
くれと言うて人にも披露する。
そしてやがてその詩に節を付けるようになる。
そして儀式の中にそれをおり込んでお勤めをするんです。


「三界火宅 - 無常」

「生死の里に生し来て 生死を悟る人はなく