和尚さんの法話 『 世間と出世間 』
うのはオーバーな数ですが、これは例えですので)あるも
ちょうやに帰りて過ぎ去らん。(幾ら大勢の子供があり孫
があったって、長い間には一人二人と次々と死んでいく。
災難にしろ病気にしろ、どれくらい多くの子供があったっ
て、長い時間の間には必ず死に耐えてしまいますと)
我説き身も亦然り。(子供だけではありません、私と貴方
もそうなんです。貴方が先か私が先か、或いは一緒か何れ
別れる時が来ますと)
自尊及び衆族(自尊というのは子供と孫ですね。衆族とい
うのは、親戚縁者ですね)
そして今は一家の家庭であっても、親戚だといって付き合
ってると、然しながら次また生まれてきても、また家族で
あり親戚かといっても、そうじゃない、あかの他人になる
場合もあると。
一応、家族となり親戚となれば、まあまあ平和に付き合え
ますわね、少なくとも格好だけでも。
今日では家族でも殺されるような時代ですけれどもね。
普通だったら一応家族、その次は親戚と、皆仲良くするも
のですよね。
「三明六通」
ところが生まれ変わり死に変わりしている間に他人になる
こともある。そして互いに仲良くするばかりではない、敵
同士、いがみ合い、傷つけあい殺し合うことさえある。
それを言ってるんですね。
「若し悪を生じると知らば」
これはどういうことはか言いましたら、この場合は、生ま
れたり死んだり生死、つまり輪廻ですね。
生死の世界には生まれたり死んだりだけじゃなくて、そう
いうものが絡んでくる。生老病死、四苦八苦ですね。
そういう苦しみを負うのなら、一人の子供が死んだとて何
も心配することも、嘆く事もございませんと。
格段に境地が違ってきたんですね。
生死そのものの相というのは世の中で生まれたり死んだり、
そういうふうな世界ですね。
生死、つまり輪廻、無常。無常なんですね。
無常ということの道理から、覚って解脱することが出来ま
したと。そういうことに囚われ無くなりましたと。
こういうふうに応えたんですね。
だから、前は嘆き悲しみましたけど、今は嘆きませんと。
これはなんといいますか、見方によっては、なんと人情の
無いと。
世間の目から言いましたら、なんとまあ、子供が死んでも
嘆きもしないということですね。
ところが、それは世間の立場で、出世間の立場から言いま
したら、もうひとつ上の考え方、見方があるわけなんで、
そこを言ってるわけですね。
もう悩んだり苦しんだり致しません仏様の仏教という正し
い教えに入らせて頂きましたからと。主人にそう応えてる
んですね。
これを聞いた主人は、あれだけ悩んでいたものを、忽ちで
すね、一遍説法を聞いて帰って来ただけなのにこれだけの
境地にするというのは、いったいこのお釈迦様というお方
はどんな方だろう、私もいっぺんこの目で見、この身見で
聞いてみなければいかんというので、すぐに馬車に乗って
お釈迦様のところへ訪ねて行ったんですね。
そしてその夫が、その場でお説教を聞くんですね。
即座に仏門に入りて、三明を得。
三明六通という通力が仏教にあるのですが、今風にいうと
超能力というのですが、超能力というのとはちょっと違っ
てきます。
この三明といいましたら、(天眼通・宿命通・漏尽通)
六通といいますと、これに三つ加わるんですね。
(天耳通・神足通・他心通)
「天眼通」といいますのは、どれくらい距離が隔たってい
ようたって見通す。
「宿命通」というのは、前世はどうであったか、未来はど
うなるかということが分かるんですね。
「漏尽通」というのは、これは通に入ってますが、煩悩を
尽してしまうという、煩悩を無くしてしまうということで、
これが一番大切なんですね。
つまり煩悩を無くすと阿羅漢ですからね。
これも通力の中へ入るのですが、煩悩を全部断ち切ってし
まうという。
この三つが三明といいます。
漏尽通というのは阿羅漢ですから、当然この後の三つの通
力、六通も備わってるんですね。
普通、三明六通というのですけども。
「天智通」は、どれくらいの距離が隔たっていようとも聞
きとる。外国で大統領が誰とどんな話をしているとかとい
うのを眼で見るし、耳で聴くし。
「神足通」というのは、これは定に入って、霊魂が肉体か
らすうっと抜けていく。
「他心通」というのは、人の心を、今あの人は何を考えて
いるか、この人は何を考えているか分かる。
この六つを六神通と。
だから三明を得るということは、結局は阿羅漢に成ったと
いうことです。
この人も前世からの深い深い仏縁があった人ですね。
ところが、子供を亡くさんならんというような因縁もある
わけですが、然しその因縁が逆に、再び仏縁が開くという
逆縁になってるんですね。
あえてそういう親に成らせてもらって、仏縁に出逢いたい
という、そういう願いを持って生まれてくるという人はい
くらもありますからね。
今度生まれたら、こういう境涯に生まれて、なるべく早く
仏門に入って帰依したいと願う。
そのためには、あまり恵まれるとそうはいかない。
ところが往々にして逆境に陥ったときが、仏縁に入る縁に
なるわけですね。
お釈迦様のような方は特別で、かえって恵まれすぎてる。
一国の太子と生まれ、何れは国王となる身分を保障されて
いて、それでいて人生はこれでいいのかなと悩んだんです
ね。それが出世間に入る道ですね。
世間から見たらそれほど結構なことはないですよね。
あの世が無くて、この世だけならそれでいいのですよ、そ
れほど結構なことは無いのだから。
ところが出世間というのは、この世だけではなくてあの世、
永遠というものを目標にしているわけですから、世間とい
うのはこの世のことだけでそろばんを弾いているわけです。
出世間は永遠のそろばんをはじいているわけです。
だから世間の損得の流れは右から流れているとしますと、
出世間の流れは逆向きなんですね。
「三明を得終りて仏即ちバラモンに告げ給わく」
お釈迦様が、そのバラモンにこう言いました。
お前は、もう家へ帰ることは要らんのだから、お前が乗っ
て来た馬車を御者に言うて、家へ帰らせなさいと。
そしてその御者に、お前の妻に伝言をしなさいと。
「バラモンは、行きて世尊を見、浄心を得て無事」
貴方の御主人は、お釈迦様に会って、忽ち信心を得て仏門
に帰依なさった。
お釈迦様は、貴方の御主人の為に法を説かれたと。
そして忽ち法眼を開く。
世間の人は心眼と言いますね。
心眼には違いがないのですけれども、法眼といいます。
覚りの眼を開いたという意味ですね。
「既に法を知り終りて即ち出家を求」
もうすっかり仏法というものを得とくして出家すると心に
決めたんですね。
お釈迦さんが初めて説法したときに、お前は三日目に三明
を得る。
三晩目に阿羅漢に成るということを先に聞いたんですね。
そして三日間、お説法を聞いて、お釈迦様がおっしゃった
とおり、三晩目に阿羅漢に成った。
そういうふうに奥さんに告げさせよと、その御者に、バラ
モンにそう言ったんですね。
そしてその御者が家へ帰って来るのですが、その馬車には
主人が乗っていないんですね。
作品名:和尚さんの法話 『 世間と出世間 』 作家名:みわ