和尚さんの法話 『諸法集要経』
それは太陽が出てまた沈むようだと。
仏法によってそれをちゃんと受け取って、理解すれば不滅
の境地に至る。
不滅の所とは例えば、極楽ですね。
死なない世界ということです。
それは信心によっていけるわけですが、信心がなくても、
自分の力で三界を超越することが出来たら、もう三界へ落
ちない。
そして最上の安楽を得る、というのは本当の幸福を得ると
いうことです。
不滅の世界とは、たとえば極楽ですね、無量寿国。
もう死なない世界。
それは三界を出た世界です。
本当の幸福を得た世界ですね。
もう死なない。
それは阿羅漢の境地ですね。
だからそれを求めてすすむのが仏道ですね。
だからこの世だけが世界じゃないんです。
ともすればこの世ばっかりが大事だと言う人がいますが、
これは違いますね。
永久を説くのが本当の仏教ですからね。
「廻向」
話は変わりますけれども、皆さん法事とか葬式にお供養を
しますね。
そのお供養という意味は、一般には遠いところを来て頂い
てお忙しいのにというて、これはささやかな物でございま
すが、というて労いのつもりで出してると思うのですが、
本当はそういう意味ではないんです。
お供養というのは、布施なんです。
その布施というのは、皆さんが施主の家へ香典を持ってい
きますわね、その香典というのは昔は皆、お線香を持って
いったんですよ。
それは、亡くなったら、死んだ人には御香が一番大事なん
ですよ。
特に四十九日の間はね。
だから線香を絶やさないというのがそれなんです。
御香の匂いが向こうでは食事になるんですよ。
本当はあの白木のおでんは要らないんです。
然しながらそれも供えたという気持ちで功徳を積みますか
ら、それはそれでよろしいのですけど、御香が大事なんで
す。
ですけど、皆が御香ばっかり持って行ったって四十九日が
終わっても御香ばっかりたくさん残るというので、お金を
包んで適当に御香が無くなり次第、これで代わりに買って
くださいというのでお金になったわけです。
そして施主の方は、今言うたようにお供養というのは、い
ろいろ心配して頂いて、これを埋め合わせとしてお持ち帰
り下さいというそういう意味ではなくて、お供養というの
は布施なんですよ。
布施というのは、お金持ちの人が貧乏の人にする、そうじ
ゃなくて、自分が犠牲を払って自分以外の人のために出す。
それが布施なんですよ。
このお話も、法の布施なんですよ。
「法施」というんですね。
お話をされた和尚さんがその法施の功徳を受けるわけです。
「財施」というのは、お金も含めて物を出すのを財施とい
うんです。
この布施をすると必ず出した人の功徳になるんです。
だからそういう法事とか亡くなったときの葬式とかに出す
布施は、お労いじゃなくて、どうぞお持ち帰り下さい、功
徳を積ませて頂くんですと、そしてその功徳を自分のため
じゃなくて死んだ人のために布施してるんです。
本当の意味はそうなんです。
功徳を貰って、その功徳を冥福のために廻向を送る。
お経を読むだけが廻向というのではなくて、向こうへ送る
というのが廻向なんですよ。
お経を読んだ功徳をあの世へ送るから廻向というのです。
お経を読むのを廻向というんじゃないんです。読経ですね。
そしてその布施の七分の六の功徳を施主が受けるんです。
冥福のためにと送ったけれども、七分の一は向こうへ届い
たけど、七分の六は施主の功徳になってるというのです。
親戚の方は法事で呼ばれますわね、そのときちょっと包ん
で持っていきますね、あれはしなくてもいいんです。
それをすると、施主さんの功徳が減るわけなんです。
施主が丸ごと功徳を積むところを人から貰うと、施主の犠
牲が減りますから、功徳が減るわけなんです。
ですから施主さんのことを考えたら、しないほうが親切な
んですね。
ところが、お膳もよばれるし手ぶらではなあ、とこうなる
んですね。
これは凡夫の計らいですね。
ですが、仏法の理屈から言うと、してあげないほうがいい
んです。
そして出されたものを頂いてあげたほうが施主の功徳にな
るんです。
そうしてあげたほうが、亡くなった方にも功徳が届くんで
すから、そうしてあげたほうがいいわけです。
了
「
作品名:和尚さんの法話 『諸法集要経』 作家名:みわ