猫が導く恋
「君はまだ、猫のように謎に満ちている。仕事は何なのか分からないし、こんなに広い部屋を清潔に保っているのに、タバコを吸う俺と一緒に暮らしたいと言う」
「空気清浄機でも買いますよ」
弘はまた微笑んだ。矢田部はその頬をなでて、呟いた。
「君のその笑顔が見ていられるなら、一緒に暮らすのも悪くはないかもしれない」
「こんな顔でよかったら、いくらでも見て下さい。ダサい眼鏡にぼさぼさ頭ですけど」
「君は可愛いよ。眼鏡を変えて髪型を整えたら、もっと可愛くなる」
矢田部は、もう一度優しい口づけを贈ってくれた。
「一週間、時間をくれるかい? その間によく考えてみる」
「はい」
矢田部は吸い終えたタバコを携帯灰皿に入れて、アイスコーヒーを飲み干すと、立ち上がった。
「もう、帰っちゃうんですか?」
「俺の理性が限界なんでね。君とは時間をかけてつきあいたいんだ。急ぎたくない」
「ありがとうございます」
玄関先でもう一度唇を重ねると、矢田部は優しく囁いた。
「おやすみ、弘くん」
「おやすみなさい、矢田部さん」
矢田部を見送って、グラスを洗った弘は、カレーを小分けにして冷凍庫にしまった。
そのまま仕事場へ行き、PCを起ち上げてメールを確認し、まだ阪元からの連絡がないことを不思議に思いながら、ブラウザを開いた。
ブログに寄せられたコメントを読みながら、第二稿を脱稿したことを伝える記事を書き、コメントに答える文章を付け加える。twitterにログインすると、矢田部が呟きを残していた。
【この歳になって初めて、高校生のような恋愛が始まりそうです。悩みは色々尽きませんが、ともかく一歩踏み出してみるべきか、考えることにします】
弘は微笑んで、ブラウザを閉じた。
(いくらでも考えてください。僕の答えはもう差し出しました)
明日の晩も、矢田部とは広場で会うだろう。矢田部はキジ猫が好きだと言っていたが、黒猫は、弘が描いた小説の中でも、主人公を導いて、幸せな結末へと運んでくれた。きっと、矢田部と弘の恋も、導いてくれるに違いない。
PCを閉じた弘は、リビングに戻った。今日こそ、ダンジョンを抜けて新しい冒険に出かけられそうな予感がしていた。夜が明けるまで六時間近くある。攻略本などなくても、きっと先へ進めると信じて、弘はコントローラーを手にした。
今頃外では満腹した猫たちが、思い思いの場所で丸くなり、端正なアーモンド形の瞳を閉じて、夜の闇を満喫していることだろう。
弘はふと、矢田部の名前を思い出した。矢田部雅彦。彼の名前にも「矢」と「雅」が入っている。それならペンネームを変える必要はない。いつか、彼に自分が【矢崎雅弘】だと伝えよう。その時彼はどんな反応をくれるだろうか。
近い未来に、きっと彼との幸せな日々が待っていることを信じて疑わない弘は、ようやく矢島との苦しい恋から解放された気持ちで、ずっと微笑んでいたのだった。