命、咲く。
ある夏の日の事だ。俺は、薬草を採りに行った森で一人の花族の女と会った。
「に、人間……!」
「……」
花族のそいつは俺を見て酷く驚いて、また恐怖しているようだった。
手に持った花束をぎゅっと握りしめながら、じりじりと後退している。
が、俺自身はまったく興味がなかった。患者の治療に使う薬草はすでに手に入ったし、この森にもすでに用はない。
「え、あ……!? ちょ、どこに行くのよ!」
「帰るんだよ。なんか用か?」
「え、い、いや……」
何かを言いかけたそいつを置いて、俺はその場から立ち去った。
人間は花族を見つけると捕まえて高値で売る。希少な人種であるから、どんなに高くても必ず買う奴はいる。それが今の世界だ。人間にとって花族は貴重な商品だった。
だけど、俺自身ではそんなことはどうでもよかった。どんなに希少でも、高く売れても。結局は同じ生き物だ。俺は商品としては見れなかった。
またある日。患者の治療に使うための薬草を採りに再び訪れた森で、またしてもあの時の花族の女に会った。
以前とは違うところが一つ。女は俺を待っていたかのように、仁王立ちでそこに立っていた。
「……なんだ、お前」
「こ、この前! その……」
「……なんだよ」
「な、なんで私を捕まえなかったの!?」
意外過ぎたその質問に二秒ほど固まった後、俺はため息と共に言った。
「捕まえてほしかったのか?」
「そ、そうじゃない……! けど……」
「同じ生き物捕まえてなんになるんだ? そんなことをしてるより、一人でも多くの患者を助けるほうがよっぽどいい」
その場に沈黙が訪れた。
不思議に思った俺が女を見ると、女は驚いたように目を見開いていた。
そんなに意外な言葉だっただろうかと、俺は首を傾げる。
女は驚いた表情のまま呟いた。
「そ、そんな人間も、いるのね……」
「人間全員を一緒にするな」
そう言うと女は笑った。花が咲いたような可憐な笑みだった。
それからというもの、俺は薬草採りで森に行くたび花族の女と会い、数十分ほどの会話をするようになった。
ほとんどは女からの話題だ。俺が知らない花族の話をたくさん聞いた。
「花族はね、ただ体に花を生やしてるだけじゃないのよ!」
「へぇ? 他には何があるんだ」
「私たちはそれぞれ季節があるの」
春夏秋冬、それぞれの季節が花族には割り当てられているという。ちなみにこの女の季節は春だそうだ。
「ね!綺麗な花ばかりでしょ! 春は一番綺麗な花が咲くのよ!」
「ふーん」
「ふーんって……感動なし? 人間ってこんなに無感動な生き物なの……?」
呆れたように息を吐き遠くの方を見つめた女に、俺は僅かに頬を緩める。それに気づいた女は眉をひそめて小首を傾げた。
「なんでもない」
「なによ……気になるから言って」
「だから、なんでもない」
「なんでもなくても気になるから言ってよー!」
頭にあった桃色の花と同じ色の髪の毛を揺らして、威嚇するようなポーズをとったそいつに、今度はしっかりと笑い声をあげてみせた。
女もいつも通りの笑顔を浮かべて笑い声をあげた。
来る日も来る日も俺はその花族の女と会って、数十分話をした。
それだけの日々が三ヶ月続いた、ある日のこと。俺はいつもの時間、いつもの場所にやってきた。いつもは俺を待ち受けているはずの女の姿は今日はなく、やけに森が静かに感じた。
まだ来ていないのか、と息をつく。
薬草採りでもしていればそのうち来るだろう。そう思って、俺は治療に使う薬草を探し始めた。
数時間後。女はまだ姿を現していない。
さすがに不安になった俺は、いつもは行かない森の奥へと慎重に足を進めた。
陽の光がまともに届かない暗い道。僅かに湿ったような空気と地面。風が吹くたびにざわざわと音を立てて揺れる森の木々たちは、まるで何かを警告するかのようだった。
そうして慎重な足取りで歩くこと数十分、ようやく女を見つけた。
「あれ! あなたは……」
俺の姿を見つけた女は、いつもと何も変わらない様子でこちらを見た。ただ一つ違うと言えば、腕に咲いていた青色の花が力なくしおれている。
「その花……」
「ああ、この子ね。朝からこうなのよ……もしかしたらこのまま枯れちゃうのかもね……」
そっとその花に手を添えた女の目は、今にも泣きそうに揺れていた。
花族はやはり、花も自分たちの家族のようなものに感じるのだろうか。
こいつも今、その花を「この子」と呼んでいた。
草木は人と違ってその命は儚い。短い命の家族を次々と失っていく花族はどんな気持ちだろうか。
俺には到底分からない事だが、きっと正気ではいられない。
俺は顔を俯かせた女の傍に何気なく近寄り、ぽんっ、と頭に手を乗せた。驚いたように顔をあげ俺を見てくる女は、目じりに涙を溜めている。
「こいつも、お前と出会えて嬉しいって思ってるだろうよ」
「そ、そうかな……」
「あぁ」
そんな短い会話の後、二人でそのまま立ち尽くしていた。
女が俺の服の端をぎゅっと握りしめたまま、顔を俯かせ、静かに泣いている。
ふわりと吹いてきた冷たい風が、花の香りと共に通り過ぎる。
俺たちが生きるこの世界に、冬が刻々と近づいてきていた。
それからまた数ヶ月が経ち、雪の降る季節になった。
防寒のコートとマフラーを身に着けた俺は森に行く道をもくもくと歩く。はぁ、と息を吐きだせば白い煙が空に上った。
いつもの場所には女が"いつも通り"の姿でそこにいた。
もう一度言う。雪が降り、息は真っ白になっている季節だ。女は夏と変わらない格好で、俺を待っていた。
「あ、来た! ちょっとだけ遅かったじゃない! ……なに?」
予想外過ぎた女の格好に俺は絶句していた。
いや、お前…なにっていうか、あれ? 今の季節は冬ですよね?
「ああ、私の格好の事?花族は人間ほど寒さを感じないのよ! まったくってわけじゃないから、多少は寒いわよ?」
「そ、そういう事か……」
「人間ってその辺大変そうよね。それはなんて言う服なの?」
興味津々な様子で俺の格好を見た女が指差したのは、首に巻いていたベージュのマフラーだ。
花族はほとんど一生を同じ服で終えるらしい。人間に関してはまったく知らないのだそうだ。
「これはマフラー」
「まふらー…? 暖かいの?」
「ああ。つけてみるか?」
「うん!」
自分の首に巻いていたマフラーをはずし、女の首に巻いてやる。女は目を見開き、嬉しそうに笑みを零した。
「す、すごい! 暖かい! これ、すごい!」
興奮したように声をあげている女に俺はふっと笑う。
人種が違えど、こうしていれば人間と何も変わらない。体に花が咲いていたり、人間より感覚が鋭いだけで何も変わらないんだ。
「それ、お前にやるよ」
「え? でも……」
「別にいい。他にもあるし、お前寒そうだしな」
「あ、ありがとう!」
そう言って女は満面の笑みを浮かべた。いつも通り、花が咲いたように綺麗だった。
それから俺たちは、また数分だけ話をした。女の名前を知らないままだったことに気が付いた俺が名前を聞くと、女は顔をぽっと赤らめた。
「は、花族は自分の好きな人にしか教えないの!」
「に、人間……!」
「……」
花族のそいつは俺を見て酷く驚いて、また恐怖しているようだった。
手に持った花束をぎゅっと握りしめながら、じりじりと後退している。
が、俺自身はまったく興味がなかった。患者の治療に使う薬草はすでに手に入ったし、この森にもすでに用はない。
「え、あ……!? ちょ、どこに行くのよ!」
「帰るんだよ。なんか用か?」
「え、い、いや……」
何かを言いかけたそいつを置いて、俺はその場から立ち去った。
人間は花族を見つけると捕まえて高値で売る。希少な人種であるから、どんなに高くても必ず買う奴はいる。それが今の世界だ。人間にとって花族は貴重な商品だった。
だけど、俺自身ではそんなことはどうでもよかった。どんなに希少でも、高く売れても。結局は同じ生き物だ。俺は商品としては見れなかった。
またある日。患者の治療に使うための薬草を採りに再び訪れた森で、またしてもあの時の花族の女に会った。
以前とは違うところが一つ。女は俺を待っていたかのように、仁王立ちでそこに立っていた。
「……なんだ、お前」
「こ、この前! その……」
「……なんだよ」
「な、なんで私を捕まえなかったの!?」
意外過ぎたその質問に二秒ほど固まった後、俺はため息と共に言った。
「捕まえてほしかったのか?」
「そ、そうじゃない……! けど……」
「同じ生き物捕まえてなんになるんだ? そんなことをしてるより、一人でも多くの患者を助けるほうがよっぽどいい」
その場に沈黙が訪れた。
不思議に思った俺が女を見ると、女は驚いたように目を見開いていた。
そんなに意外な言葉だっただろうかと、俺は首を傾げる。
女は驚いた表情のまま呟いた。
「そ、そんな人間も、いるのね……」
「人間全員を一緒にするな」
そう言うと女は笑った。花が咲いたような可憐な笑みだった。
それからというもの、俺は薬草採りで森に行くたび花族の女と会い、数十分ほどの会話をするようになった。
ほとんどは女からの話題だ。俺が知らない花族の話をたくさん聞いた。
「花族はね、ただ体に花を生やしてるだけじゃないのよ!」
「へぇ? 他には何があるんだ」
「私たちはそれぞれ季節があるの」
春夏秋冬、それぞれの季節が花族には割り当てられているという。ちなみにこの女の季節は春だそうだ。
「ね!綺麗な花ばかりでしょ! 春は一番綺麗な花が咲くのよ!」
「ふーん」
「ふーんって……感動なし? 人間ってこんなに無感動な生き物なの……?」
呆れたように息を吐き遠くの方を見つめた女に、俺は僅かに頬を緩める。それに気づいた女は眉をひそめて小首を傾げた。
「なんでもない」
「なによ……気になるから言って」
「だから、なんでもない」
「なんでもなくても気になるから言ってよー!」
頭にあった桃色の花と同じ色の髪の毛を揺らして、威嚇するようなポーズをとったそいつに、今度はしっかりと笑い声をあげてみせた。
女もいつも通りの笑顔を浮かべて笑い声をあげた。
来る日も来る日も俺はその花族の女と会って、数十分話をした。
それだけの日々が三ヶ月続いた、ある日のこと。俺はいつもの時間、いつもの場所にやってきた。いつもは俺を待ち受けているはずの女の姿は今日はなく、やけに森が静かに感じた。
まだ来ていないのか、と息をつく。
薬草採りでもしていればそのうち来るだろう。そう思って、俺は治療に使う薬草を探し始めた。
数時間後。女はまだ姿を現していない。
さすがに不安になった俺は、いつもは行かない森の奥へと慎重に足を進めた。
陽の光がまともに届かない暗い道。僅かに湿ったような空気と地面。風が吹くたびにざわざわと音を立てて揺れる森の木々たちは、まるで何かを警告するかのようだった。
そうして慎重な足取りで歩くこと数十分、ようやく女を見つけた。
「あれ! あなたは……」
俺の姿を見つけた女は、いつもと何も変わらない様子でこちらを見た。ただ一つ違うと言えば、腕に咲いていた青色の花が力なくしおれている。
「その花……」
「ああ、この子ね。朝からこうなのよ……もしかしたらこのまま枯れちゃうのかもね……」
そっとその花に手を添えた女の目は、今にも泣きそうに揺れていた。
花族はやはり、花も自分たちの家族のようなものに感じるのだろうか。
こいつも今、その花を「この子」と呼んでいた。
草木は人と違ってその命は儚い。短い命の家族を次々と失っていく花族はどんな気持ちだろうか。
俺には到底分からない事だが、きっと正気ではいられない。
俺は顔を俯かせた女の傍に何気なく近寄り、ぽんっ、と頭に手を乗せた。驚いたように顔をあげ俺を見てくる女は、目じりに涙を溜めている。
「こいつも、お前と出会えて嬉しいって思ってるだろうよ」
「そ、そうかな……」
「あぁ」
そんな短い会話の後、二人でそのまま立ち尽くしていた。
女が俺の服の端をぎゅっと握りしめたまま、顔を俯かせ、静かに泣いている。
ふわりと吹いてきた冷たい風が、花の香りと共に通り過ぎる。
俺たちが生きるこの世界に、冬が刻々と近づいてきていた。
それからまた数ヶ月が経ち、雪の降る季節になった。
防寒のコートとマフラーを身に着けた俺は森に行く道をもくもくと歩く。はぁ、と息を吐きだせば白い煙が空に上った。
いつもの場所には女が"いつも通り"の姿でそこにいた。
もう一度言う。雪が降り、息は真っ白になっている季節だ。女は夏と変わらない格好で、俺を待っていた。
「あ、来た! ちょっとだけ遅かったじゃない! ……なに?」
予想外過ぎた女の格好に俺は絶句していた。
いや、お前…なにっていうか、あれ? 今の季節は冬ですよね?
「ああ、私の格好の事?花族は人間ほど寒さを感じないのよ! まったくってわけじゃないから、多少は寒いわよ?」
「そ、そういう事か……」
「人間ってその辺大変そうよね。それはなんて言う服なの?」
興味津々な様子で俺の格好を見た女が指差したのは、首に巻いていたベージュのマフラーだ。
花族はほとんど一生を同じ服で終えるらしい。人間に関してはまったく知らないのだそうだ。
「これはマフラー」
「まふらー…? 暖かいの?」
「ああ。つけてみるか?」
「うん!」
自分の首に巻いていたマフラーをはずし、女の首に巻いてやる。女は目を見開き、嬉しそうに笑みを零した。
「す、すごい! 暖かい! これ、すごい!」
興奮したように声をあげている女に俺はふっと笑う。
人種が違えど、こうしていれば人間と何も変わらない。体に花が咲いていたり、人間より感覚が鋭いだけで何も変わらないんだ。
「それ、お前にやるよ」
「え? でも……」
「別にいい。他にもあるし、お前寒そうだしな」
「あ、ありがとう!」
そう言って女は満面の笑みを浮かべた。いつも通り、花が咲いたように綺麗だった。
それから俺たちは、また数分だけ話をした。女の名前を知らないままだったことに気が付いた俺が名前を聞くと、女は顔をぽっと赤らめた。
「は、花族は自分の好きな人にしか教えないの!」