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暴走ポテトの秘密

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 一歩、二歩、三歩と心なしか焦りが生まれて、いつしか競歩のような歩調に変化していたが、しばらくすると息が荒くなり、吐息はいつの間にか白く熱を帯びていた。そうして体全体が熱く火照ってくると、髪の毛の少ない広い額から汗がにじみ出て、打ちつける鼓動が急ごうとする気持ちに拍車を掛ける。
 私は疲労し、少しのあいだ街灯下で休むことにした。
 握り締めていた皺だらけの手をあけようとするが、動かせない。拳はそのままの形を維持しつつ、痺れてしまったようだ。
 先ほど小さな店を通り過ぎたとき、店内には時計が壁に掛けてあった。それを覗き見てみると、探し始めてから三〇分ほど経ったことが分かった。よくよく辺りを見渡してみると、信号機の色合いも目立つようになっている。そろそろ交通量の多い通りだろうか。
 寒々とした薄暗い街灯の下を健太が歩いたのなら、きっと寂しさを覚えて泣いてしまっているだろう。こうしてはいられない、そう思い立ち、また歩き始めた。
 すると、前方にほのかな橙色の明かりが見える。間違いなく周りの建物とは別物の光である。その場所ならなにか分かるかもしれないと思い、近付いてよく見てみると、空き地に屋台らしき車が停まっていた。しかし、おでん屋ではない。焼鳥屋でもないとすると――などと考えていると、屋台の前にひとつだけぽつんと簡素なパイプ椅子が置かれていた。そうしてそこに座っているのは健太ではないか。後ろ姿でも分かる。思い掛けぬ光景に自分はハッとした。
「健太」と思わず私は叫んだ。すると、振り返った健太がこちらを向いて走ってきた。言葉を交わす前に私に抱きついてきたこの小さな身体の主は、鼻水を垂らしながら涙も流している。よほど夜の道は怖かったのだろうなと想像できた。
「よしよし」と私は小さな健太の頭を撫でる。
 ハンカチで顔を拭いてあげて、自分も健太に負けないくらいに抱きしめる。ああ、健太の匂いがする。一度だって忘れたことのない、健太の匂い。ああ、それは焼き芋の匂いだ。
「あれ……まさか」
 私自身もやっと落ち着いてきたのか、いまだ私に抱きついている健太に上着を被せ、屋台を見る。それは紛れもなく、あの焼き芋屋だった。
「ど、どうして焼き芋屋がこんなところに」
「いや――、おたくの息子さん、よく食べるね――こっちも作り甲斐があったってもんだよ、うん」
 頭にタオルを巻いた女性が、両手を腰に当てて笑っている。この光景はまさに、いままで望んでいた暴走ポテトの真実ではないか。しかし、いまはあまり積極的に詮索しようと思わない。というのも、健太が無事だったのは、この焼き芋屋のおかげということもあって、その問題に対しては保留という風に頭が判断したのだ。もちろん、元を正せば、と言いたくもなるが、いまはいい。とにかく、無事でよかった。
「健太は、焼き芋が大好きなんですよ」
 自分の口から自然と出た言葉はそれだった。昔から健太は焼き芋が大好きで、そのために今回、焼き芋屋さんを停めようと思っていたのだ。
「その子さ――、この焼き芋屋を探して歩いてきたんだってさ。向こう見ずって言うのか、なんと言うのか。だって、今日、ここに停めたのも自動販売機でジュース買おうとして停めただけなんだから」
 気さくなこの女性は呆れながらも終始快活な調子でしゃべった。年は若くもありそうだが、かれた声の質はどこか中年層を想像しなくもない。女は付け加えるように「ただ、アタシはそういうヤツは好きだけどね」と笑った。
「よくやったな、健太。偉いぞう」と私は褒めた。
 健太はそれを聴いて「えへへ。見つけたよ、おじいちゃん」と顔を上げて、部屋で笑ったときのような満面の笑顔を、いままさに私に見せてくれた。
「うん、ありがとうな、ありがとう」と私はいままで以上に頭を撫でた。それに健太は喜び、空き地に笑いがあふれた。
 女性の態度が予想していたよりも軽快だったので、ここはやはり、どうしても私にはこの人に訊いておく必要があると思えてならなかった。なので、軽い気持ちで尋ねてみた。
「どうして焼き芋を買わせてもらえないんですか。私どもの近所では皆さん、とても困っていますよ」
 そう私が言うと、女性は急に余所を向いて「いや――、その――」と口を濁しながら「事情がありまして――」と言った。
「どんな事情なんですか。それだけ訊いたら、私どもは帰ります。他言は致しません。ある意味、孫を助けてくれた恩もありますし」
「……分かった」
 女性はしばらく言おうか悩んでいたが、吹っ切れたのか、開き直ったのかは判然としないが、堰を切ったようにしゃべり始めた。
「実はさ、おたくの子と同じくらいの年の息子が、トラックと事故っちゃって、医者が全治三ヶ月って言うから毎日病院に通っていたんだけど……アタシ、車を持ってなくてさ。最初は徒歩とかバスでなんとか通えたんだけど、自宅から病院まではけっこう距離も離れているから、そのうち身体は疲れるわ、金はなくなっていくわで、困っていたんだよね。乗せてくれるような知り合いはいないし、入院代だってただじゃない」
 女は焼き芋屋の車に視線を向けた。
「何度か病院にはこの車を使わせてもらったかな。もちろん、商売しないのは悪いとか思ったけれど、それは朝だけさ。こうやって、ときどき通った人に売りつければ、一応は仕事になるのよ」
「でも、それなら、最初の入院だけ急げばいい話ですよね」
 女は痛い所を突かれたと思ったのか、顔色が一瞬だけこわばった。
「それは……朝は直ぐに会いに行くって約束していたからさ。商売なんかしていたら、時間が遅れちまうだろ、だから」
 女はしゃべりながら、焼き芋屋の照明を消していた。
「だとしても、住宅街を猛スピードで走り去るのは危ないですよ」
 と私は言いつつ、健太を見て「小さな子供もいるのですから」と付け加えた。
「……確かにね。言われてみれば当然のことだったのかもしれない。それは謝るよ。ごめんなさいね」
 彼女は片付ける手を休めて、健太を見つめながら言った。それを見ていた私はなにか彼女にとって大切なことを言ったのかもしれないと思った。
「でも――」と彼女はうつむきながら静かに呟いた。
「でもね、容体が急変して具合が悪くなっているって医者の人が言っていたのに、あの子、アタシが一緒にいるときは元気に笑うんだもの……そんな子を見ているとね、一分でも一秒でも、一緒にいたいって思ったの」
 最初は快活な彼女には不似合いなほど小さな声だったが、だいぶ後半になってくると声は大きくなっていった。
「そうでしたか。そのような事情があったとは知らずに、こちらも失礼しました」と私は頭を下げた。
「いや、アタシも自分のことしか見えてなくて、迷惑を掛けたようだから申し訳ない」と彼女も軽く頭を下げた。
 邪険に扱えない話だけに、こちらは少し戸惑ってしまったが、同じく子供を持つ身としては共感してしまう。そんな彼女には母親としての愛情を感じた。
「早く退院できるといいですね」
「実はさ、そろそろ退院できるんだよ」と彼女は笑顔で言った。
 それから彼女は子供と二人暮らしをしているということやいろいろな仕事をして養育費を賄っていることを話した。
作品名:暴走ポテトの秘密 作家名:葵夏葉