レゴリス
私はただひたすら掘る。ひたすら、白い砂を掘り、硬い石を掘り続ける。背後に積もる白い山の上へ、ひたすら砂(レゴリス)を盛る。
「発射五秒前、四、三、二、一」
シャトルの中で管制官の声が響き渡り、秒読みが終わると同時に強烈な衝撃が全身に伝わる。下手な航空機パイロットが突然飛び立つなんて非じゃないほど、全身が後方へと押しつぶされる。しかし苦痛は一瞬であり、その一瞬を過ぎれば緩やかに大気圏を突破し月への二日旅が始まる。
窓側の座席に座った私は外をぼんやりと眺める。私が子供の頃、宇宙に行くのなんて夢のまた夢だった。宇宙船かぐやが月をハイビジョンで撮影した映像を見て、月がこんなにも近いものなのかと当時感動したものだったが、今や月は一般人でも特に訓練もなしに行ける。もちろん飛び立てる人は限られているが、私は軌道ステーションとムーンコロニーの橋渡しとなる運搬施設の建設過程を視察する為月へ向かう。
月にはムーンコロニーという、試験的な生活施設がある。そこにはアメリカ、日本、ロシア、ドイツ、イギリス、インドから上限百人を条件に人々が住んでいる。技術者等の民間人が多いが、中にはパイロットや宇宙飛行士等の軍人も多数いた。その六百人に満たない小さなドームの数々ではみんなが顔見知りだった。私たち日本人は特にドイツ人と同じドームで生活している為特に関係が良好だった。
「やあアキヒロ、また会ったね」
大気圏を抜け、月へ向かう途中私は座席を立って用を済ましているところに同僚のシュミットが話しかけてきた。彼は私と同じように施設設計を担当しており、今回ムーンコロニーで建設されている運搬施設を共に設計した仲である。シュミットは大の日本好きのようで、日本語が堪能であったから会話に不自由は無かったものの、私がドイツ語を彼ほど解さないことに少し不甲斐なさを感じていた。
「シュミット、久しぶりだね」私たちは握手を交わした後、用を済ませた直後だということを思い出してお互いに笑った。「月はいつぶりだい?」
「そうだね、二か月ぶりかな。建設が上手くいっているようで嬉しい限りだけど、実物を見ないとなんとも不安だね」
そうだね、と相槌を打ちながらコーヒーラウンジへと向かった。コーヒーラウンジでは坂本龍一の「戦場のメリークリスマス」が流れていた。たまたまではあるだろうけど、シュミットは暖かいコーヒーパックを手に切なそうに笑った。
「一昔前、クラシックと言ったらドイツ人だったんだけどなあ」
「何、気に病むことはないさ、未だにクラシックはドイツ人のほうが評価は高いよ。日本人だって坂本龍一や武満徹くらいだし、なんだったらワーグナーのほうが有名だ」
「やはり日本人は謙遜が上手いなあ」
そんな話をしながら、シュミットもまた窓から宇宙を眺めていた。
Zum Sehen geboren,
Zum Schauen bestellt,
Dem Turme geschworen
Gefällt mir die Welt.
レゴリスを大量に積んだトラックを施設へ運搬しているときにふと真っ暗な空を見上げているとその詩を思い出した。今思うとシュミットは窓から宇宙を眺めているとき、良くその詩を歌っていた。
トラックを施設から突き出る機械の前で停車させる。機械のスイッチを押すとレゴリスが中に流し込まれ、振動を起こす。地球だったらきっと大きな音を立てているところだろうが、空気のない月では何の音もしない。そのまま施設の中へ入り、宇宙服を脱いで、休憩室のソファでくつろぐ。レゴリスは機械によって徐々に分解され、酸素と水素を探し出し、ムーンコロニー内での生命源となる空気とエネルギーを生み出す。多少の隕石落下にも耐えるこのコロニーでそれらが故障することは稀で、故障したとしても私はそれを直せる。私が生きている限り永久機関に近い。機械からくる振動を聞きながら、ゆっくり天井を見上げると、半透明のドームの先で真っ暗な宇宙の中に一つ輝きが輝いている。
第三ドーム「うらしま」には私とシュミットの家族、そして他の同僚が住んでいた。私の家族は月に来たがっていなかったから私は独りで住んでいるが、隣に住むシュミットの部屋へいつも呼ばれ家族ぐるみで付き合いをさせてもらっていた。月での孤独はシュミットと彼の家族のおかげでだいぶ紛らわされていた。彼にはどれほど感謝すればいいか分からない。
月についた日、早速シュミットは大勢の客を招いてパーティーを開いた。私の他に同じ施設を担当している同僚だったり、ドイツ航空宇宙センター(DLR)や宇宙航空研究開発機構(JAXA)に所属している同僚だったり、みんなで集まってワインを飲んで豪華な夕飯も食べて、クラシックをバックにみんなでゆっくりとその日を楽しんだ。
グリニッジ標準の時間によってドーム内の明るさが決められ、夜になるに連れて徐々に天井から光が失われていき、最終的には夜になる。ドームの中には月の光は漏れてこない。見えるのはただただ真っ暗な天井。私は自分の部屋に入り、電気をつけ、設計図を見直す。私はそれを眺めながら、これが実際に建築されている風景を思い浮かべた。シャトルから見えた建設現場は地球のそれと大差無かったが、やはり大きな鉄球などが軽々しく浮かぶ光景を目の当たりにすると変な気持になる。地球が、例え二日離れているだけであったとしても、とても懐かしく思えた。私はそのまま電気を消して寝室へ向かい、明くる日に備えた。
私はソファから立ち上がり、食糧施設へ向かった。いくつものドームを通り、閉鎖されているドームを避けながら食糧へありついた。蚕はもちろん、試験的に作られていた野菜がちゃんと育っている。殺菌ルームを通り専用のスーツを着て中へ入る。自分で植えなおす必要はあるが、多少耕すだけでちゃんと豆やキュウリやトマトが育つ環境がこの施設の中には整っていた。栄養分に問題もなく、調理室の機械に入れればバランスのいい食事がプラスチックのパックの中へ自動的に生成される。
生かされている、という気分が一層募るこの施設だが、便利であることには変わりない。私とほかの従業員はこのご飯をまずいとも思わなかったし、見た目は味気ないにしろむしろちょっと美味しかったりする。チューブから人参と豆のスープをすすりながら施設をぶらぶらと歩く。
行くところどころで足を止め、装置に不備がないかを確認する。今のところ閉鎖されたドーム以外のドームと通路は特に問題なく動いており、大した隕石も落ちてきていない。一回結構大きい隕石が落ちてきたこともあったが、それは宇宙ゴミ(デブリ)排除装置によって破壊されていた。途中でかっちりとしまったシャッターがあり、立ち止まる。そのシャッターを右手で触れ、ぼーっと眺めながら、タバコが吸いたいなあ、なんて思っていた。
建設現場へ向かう途中、施設が大きく揺れた。何事かと思うと、ドーム内放送で事故が起こったと警報が鳴った。少し走ってみたが建設現場へと向かうべき通路は閉鎖されていた。シャッターの向こうから扉をたたく音が聞こえたが少ししたら途絶えた。シャッターがあくまで私はそこで待つことにした。
「発射五秒前、四、三、二、一」
シャトルの中で管制官の声が響き渡り、秒読みが終わると同時に強烈な衝撃が全身に伝わる。下手な航空機パイロットが突然飛び立つなんて非じゃないほど、全身が後方へと押しつぶされる。しかし苦痛は一瞬であり、その一瞬を過ぎれば緩やかに大気圏を突破し月への二日旅が始まる。
窓側の座席に座った私は外をぼんやりと眺める。私が子供の頃、宇宙に行くのなんて夢のまた夢だった。宇宙船かぐやが月をハイビジョンで撮影した映像を見て、月がこんなにも近いものなのかと当時感動したものだったが、今や月は一般人でも特に訓練もなしに行ける。もちろん飛び立てる人は限られているが、私は軌道ステーションとムーンコロニーの橋渡しとなる運搬施設の建設過程を視察する為月へ向かう。
月にはムーンコロニーという、試験的な生活施設がある。そこにはアメリカ、日本、ロシア、ドイツ、イギリス、インドから上限百人を条件に人々が住んでいる。技術者等の民間人が多いが、中にはパイロットや宇宙飛行士等の軍人も多数いた。その六百人に満たない小さなドームの数々ではみんなが顔見知りだった。私たち日本人は特にドイツ人と同じドームで生活している為特に関係が良好だった。
「やあアキヒロ、また会ったね」
大気圏を抜け、月へ向かう途中私は座席を立って用を済ましているところに同僚のシュミットが話しかけてきた。彼は私と同じように施設設計を担当しており、今回ムーンコロニーで建設されている運搬施設を共に設計した仲である。シュミットは大の日本好きのようで、日本語が堪能であったから会話に不自由は無かったものの、私がドイツ語を彼ほど解さないことに少し不甲斐なさを感じていた。
「シュミット、久しぶりだね」私たちは握手を交わした後、用を済ませた直後だということを思い出してお互いに笑った。「月はいつぶりだい?」
「そうだね、二か月ぶりかな。建設が上手くいっているようで嬉しい限りだけど、実物を見ないとなんとも不安だね」
そうだね、と相槌を打ちながらコーヒーラウンジへと向かった。コーヒーラウンジでは坂本龍一の「戦場のメリークリスマス」が流れていた。たまたまではあるだろうけど、シュミットは暖かいコーヒーパックを手に切なそうに笑った。
「一昔前、クラシックと言ったらドイツ人だったんだけどなあ」
「何、気に病むことはないさ、未だにクラシックはドイツ人のほうが評価は高いよ。日本人だって坂本龍一や武満徹くらいだし、なんだったらワーグナーのほうが有名だ」
「やはり日本人は謙遜が上手いなあ」
そんな話をしながら、シュミットもまた窓から宇宙を眺めていた。
Zum Sehen geboren,
Zum Schauen bestellt,
Dem Turme geschworen
Gefällt mir die Welt.
レゴリスを大量に積んだトラックを施設へ運搬しているときにふと真っ暗な空を見上げているとその詩を思い出した。今思うとシュミットは窓から宇宙を眺めているとき、良くその詩を歌っていた。
トラックを施設から突き出る機械の前で停車させる。機械のスイッチを押すとレゴリスが中に流し込まれ、振動を起こす。地球だったらきっと大きな音を立てているところだろうが、空気のない月では何の音もしない。そのまま施設の中へ入り、宇宙服を脱いで、休憩室のソファでくつろぐ。レゴリスは機械によって徐々に分解され、酸素と水素を探し出し、ムーンコロニー内での生命源となる空気とエネルギーを生み出す。多少の隕石落下にも耐えるこのコロニーでそれらが故障することは稀で、故障したとしても私はそれを直せる。私が生きている限り永久機関に近い。機械からくる振動を聞きながら、ゆっくり天井を見上げると、半透明のドームの先で真っ暗な宇宙の中に一つ輝きが輝いている。
第三ドーム「うらしま」には私とシュミットの家族、そして他の同僚が住んでいた。私の家族は月に来たがっていなかったから私は独りで住んでいるが、隣に住むシュミットの部屋へいつも呼ばれ家族ぐるみで付き合いをさせてもらっていた。月での孤独はシュミットと彼の家族のおかげでだいぶ紛らわされていた。彼にはどれほど感謝すればいいか分からない。
月についた日、早速シュミットは大勢の客を招いてパーティーを開いた。私の他に同じ施設を担当している同僚だったり、ドイツ航空宇宙センター(DLR)や宇宙航空研究開発機構(JAXA)に所属している同僚だったり、みんなで集まってワインを飲んで豪華な夕飯も食べて、クラシックをバックにみんなでゆっくりとその日を楽しんだ。
グリニッジ標準の時間によってドーム内の明るさが決められ、夜になるに連れて徐々に天井から光が失われていき、最終的には夜になる。ドームの中には月の光は漏れてこない。見えるのはただただ真っ暗な天井。私は自分の部屋に入り、電気をつけ、設計図を見直す。私はそれを眺めながら、これが実際に建築されている風景を思い浮かべた。シャトルから見えた建設現場は地球のそれと大差無かったが、やはり大きな鉄球などが軽々しく浮かぶ光景を目の当たりにすると変な気持になる。地球が、例え二日離れているだけであったとしても、とても懐かしく思えた。私はそのまま電気を消して寝室へ向かい、明くる日に備えた。
私はソファから立ち上がり、食糧施設へ向かった。いくつものドームを通り、閉鎖されているドームを避けながら食糧へありついた。蚕はもちろん、試験的に作られていた野菜がちゃんと育っている。殺菌ルームを通り専用のスーツを着て中へ入る。自分で植えなおす必要はあるが、多少耕すだけでちゃんと豆やキュウリやトマトが育つ環境がこの施設の中には整っていた。栄養分に問題もなく、調理室の機械に入れればバランスのいい食事がプラスチックのパックの中へ自動的に生成される。
生かされている、という気分が一層募るこの施設だが、便利であることには変わりない。私とほかの従業員はこのご飯をまずいとも思わなかったし、見た目は味気ないにしろむしろちょっと美味しかったりする。チューブから人参と豆のスープをすすりながら施設をぶらぶらと歩く。
行くところどころで足を止め、装置に不備がないかを確認する。今のところ閉鎖されたドーム以外のドームと通路は特に問題なく動いており、大した隕石も落ちてきていない。一回結構大きい隕石が落ちてきたこともあったが、それは宇宙ゴミ(デブリ)排除装置によって破壊されていた。途中でかっちりとしまったシャッターがあり、立ち止まる。そのシャッターを右手で触れ、ぼーっと眺めながら、タバコが吸いたいなあ、なんて思っていた。
建設現場へ向かう途中、施設が大きく揺れた。何事かと思うと、ドーム内放送で事故が起こったと警報が鳴った。少し走ってみたが建設現場へと向かうべき通路は閉鎖されていた。シャッターの向こうから扉をたたく音が聞こえたが少ししたら途絶えた。シャッターがあくまで私はそこで待つことにした。