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真朱@博士の角砂糖
真朱@博士の角砂糖
novelistID. 47038
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彼が居る庭

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私は雨が降ったら彼を祖父の屋敷へ招待する良い口実になると思いました。
芝生を突っ切り、私たちはとうとうレンガの小路の目の前に来ました。
「この先よ。きっとまっすぐ歩いていたらたどり着くわ」
彼は黙ったまま小路の一歩前で立ち止まりました。
「大丈夫。ママもおじいさんもとても優しいのよ」
私は小路に一歩踏み出しました。そして振り返って彼の腕を引っ張りました。彼は足を動かしませんでした。彼の腕だけが、迷路の中に入りました。
私はその時に見たものを今でも忘れることができません。
「…僕はここに居なくてはならない」
そうつぶやいた彼の腕は、肘から先がありませんでした。いいえ、見えなかったのです。彼の手首を掴んでいる感覚はそのときも確かにあったのですから。私は言葉を忘れたように立ちすくみました。
「娘を怖がらせないでくれる?」
突然頭上から降って来た声に私は驚いて後ろを振り向きました。母が立っていました。
「ママ」
私はやっとの思いでその一言を声に出しました。
「久しぶりね」
母は私の肩を抱き寄せながら少年に言いました。
「そうだね、また会えるなんて思ってなかったよ」
少年は母に返しました。彼の声はなんだか大人っぽく聞こえました。私は彼を見ました。不思議なことに、彼は5つも6つも年上のような姿になっていました。
「偶然よ」
母はそう言い、ジーンズのポケットに手を突っ込みました。
「…そう、偶然だね。しかし、本当にそっくりだ」
彼の声は、もう完全に大人のそれでした。彼は自分の手首から私の手をはずし、そのまま私の手を包み込みました。もちろん、そうされている感覚だけで、実際には見えませんでした。
「なつかしかったよ」
「それはよかったわね。…さ、帰りましょう。もう夕飯の時間をとっくに回ってるのよ」
母は私に言いました。
「僕をお屋敷に呼んでくれたんだよ」
彼の言葉に母は静かに微笑み、私の髪を撫でました。
「行きましょう」
母が私の背中を押し、彼はゆっくり私の手を離しました。私は何も言えないまま小路を一歩、また一歩と進みました。
「いる?」
母の声に振り返ると、母が彼に煙草の箱を差し出していました。
「うん、もらうよ」
箱から一本の煙草が宙に浮き、そして気付いたときには彼の口にくわえられていました。
母の後ろ姿とその向こうの背の高い大人の彼の姿はとても美しくて、私は映画のようだなとぼんやり考えました。
母は彼の煙草に火をつけてあげたようでした。
母は私の前では煙草を吸いませんが、私は煙草を吸う母の姿が格好良くて大好きでした。
「それじゃ」
「さよなら」
私は見えなくなるまで彼のほうを何度も振り返りました。彼はずっと手を振ってくれていました。彼の姿は大人になったり子供になったり青年になったりしました。
母はこの迷路のことをとてもよく知っているようでした。迷うことなく私の手を引いて進んでいきます。やがて周囲が見覚えのある風景になりはじめ、私は心からほっとしました。あの場所はあんなに明るかったのに、あたりはもう薄暗く、ゆく先に見える祖父のお屋敷にはもうあたたかな明かりが灯っていました。

私は翌日もその翌日も、あの場所へ行こうと試みましたが、あの場所どころか手入れのされていないあの小路にすら出ることができませんでした。もちろん彼に出会うことも二度とありませんでした。
それから何年か経って、私は母に彼のことについてたずねたことがあります。母は彼とのことについて詳しく話して聞かせてくれました。
それは、今まで読み聞かせてもらったどんな本よりも、わくわくする物語でした。



作品名:彼が居る庭 作家名:真朱@博士の角砂糖