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真朱@博士の角砂糖
真朱@博士の角砂糖
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彼が居る庭

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これは、私がまだとても小さかったころのお話です。
小学校の夏休み、私は母と二人で母の実家へ遊びに来ていました。
祖母は私が生まれてすぐに亡くなったので、私は祖父の顔しか知りませんでした。
私の母はいわゆる良家のお嬢さんで、祖父はとてもお金持ちでした。私は毎年夏に大好きな母と一緒に祖父の大きなお屋敷に遊びに行くのをなにより楽しみにしていました。
祖父のお屋敷の広い庭にはたくさんの花が咲き乱れ、まだ背の小さかった私には草木は壁のようでしたし、レンガでつくられた小路を歩けばまるで迷路の中にいるようで、私は毎日のようにその庭を冒険して遊んでいました。
このお話も、そんな冒険の最中に起こった出来事です。

その日、私は今までに通ったことのないレンガの小路を歩いていました。いつも歩く小路は綺麗に手入れがされていましたが、ここはレンガとレンガの間から草が覗いていて、レンガの色も褪せ、ところどころ角が少し欠けたりしていました。おまけに左右の草木の壁もずっと手入れがされていないようで飛び出した葉っぱが足に当たったり腕に蜘蛛の巣が引っかかったりしました。
「これぞ、冒険だわ」
私はそうつぶやいて自分を勇気づけました。私はこの頃、冒険の物語が大好きでした。様々な本を母に読み聞かせてもらっては心躍る冒険に夢を馳せました。いつか私もちょっぴり危険で不思議で面白い冒険がしてみたい。ずっとそう思っていたのでした。
自分は迷子なのではないかという考えは、頭の片隅にはありましたが必死で考えないようにしていました。もし涙が出て来てしまったらそこから一歩も動けなくなってしまうことが分かっていたのです。
その時でした。背後から私の頬をかすめて白い蝶々が現れました。びっくりして立ち止まると蝶々は私の目の前でふわふわと舞い、それからゆっくり前方へ飛び始めました。少し進んで、少し戻ってきて、また進んで、また戻って来て…。こっちにおいでと言っているように思いました。
「まって、いま行くわ」
私は蝶々のあとを追いました。蝶々は奥へ奥へと進んでいるようでした。進めば進むほどレンガの小路はさらに荒れ、伸び放題の草木が太陽の光を遮り、ひんやりとした風が私の首や肩を撫でました。 しかし私はそのときにはもうちっとも不安ではありませんでした。突然現れた冒険の仲間に胸がドキドキして、いよいよ始まった冒険にわくわくしていたのです。
どのくらい歩いたでしょう。幼い私にはとても長い時間に思えました。ちょっと休憩しましょうと蝶々に話しかけようかしらと思い始めた頃、突然視界がひらけました。草木の壁とレンガの小路はそこで途切れ、そこから先にはまるで朝とても早く起きたときのような澄んだ色の太陽の光が降り注いでいました。
私は光の中に一歩足を踏み入れ、あたりを見渡しました。まぶしくてうんと目を細めなくてはなりませんでした。足元は綺麗に手入れされた芝生で、固いレンガの上を歩き疲れた足を優しく包み込んでくれました。小鳥が歌う声が聞こえ、祖父の庭と同じ、あらゆる花の甘いにおいがしました。目が慣れて来た私は芝生の中央に屋根のついた小さなあずまやがあることに気付きました。中にはテーブルとベンチがあり、そしてそのベンチに、誰かが座っていることにも気付きました。どうやら大人の男性のようでした。蝶々はまっすぐに彼のもとへ飛んでいき、その肩で羽根を休めました。彼は私のほうを見たようでした。顔はよく見えませんでしたが、彼は私に向かって手招きをしました。
私はゆっくり一歩ずつ彼に向かって歩きました。半分ほどまで来たとき、彼はゆっくり立ち上がりました。やはり背の高い男性のようでした。私は一歩、また一歩と進み、そのうちにとても不思議なことが起こっていることに気付きました。背の高い大人の男性だと思われた彼は、私が近づくごとに、背が縮み、肩幅も細くなり、どんどん幼い少年に変わっていっていたのでした。ついに彼の目の前に立ったとき、彼は私と同じ年頃の男の子の姿になっていました。
「こんにちは」
私は彼に声をかけました。
「こんにちは」
彼はにこりと微笑んでそう返してくれました。
「あなたは誰?私、おじいさんのお庭にいたはずなの。ここはどこ?」
私が聞くと彼は笑った。
「ここも君のおじいさんの庭だよ。庭の最果て。ここで行き止まりなんだ」
私は「さいはて」の意味が分からなかったけれど、ここが祖父の庭だということが分かってとても安心しました。
「ここで何をしていたの?」
「今日は、君が来るってこいつが教えてくれたからずっと待ってた」
彼は自分の左肩にとまった蝶々を指差して言った。
「とってもお利口な蝶々なのね」
「まあね」
私は蝶々を見る彼の横顔をまじまじと見つめました。まるで外国の男の子のような顔立ちでした。髪の毛も光で透けてキラキラしていました。私は思わず見とれてしまいましたが、彼が私に視線を戻すと同時に我に返り、慌ててどう話を続けようかと考えました。
「そうだ、ママが持たせてくれたクッキーがあるの。一緒に食べましょう」
私は肩から掛けた小さな鞄から綺麗に紙で包まれたクッキーを取り出した。彼は嬉しそうにうなずいた。
「大好きなんだ、それ」
「クッキーのこと?」
「そう」
私と彼はあずまやのベンチに隣同士で座り、テーブルにクッキーを広げました。彼は細く白い指でクッキーをつまみ、上品に口に運びました。
「おいしい」
彼の言葉に私は満足しました。
「ママの手作りなの。ママはお菓子作りが得意なのよ」
たくさんの小鳥が集まって来て、私が割って地面に撒いたクッキーのかけらをつつきました。太陽の光はあいかわらず朝のようなまぶしさで、風はやさしく、なんだか夢を見ているような心地でした。
私たちは様々なことを話しました。好きな物語や好きなお花のこと。祖父のこと。母のこと。会ったことのない祖母と父のこと。大好きな母と祖父がいるから寂しくないこと。夏が一番好きだということ。
私は熱心に私の話を聞いてくれる彼をとても気に入っていました。
「ねぇ、ここはとてもすてきな場所だけど、よかったらおじいさんのお屋敷まで一緒に来ない?」
私はずっと彼とおしゃべりをしていたかったのです。母と祖父に彼を紹介し、四人で晩ご飯のテーブルを囲みたいと思いました。それはとても幸せな想像でした。けれど彼は私の提案に悲しげな顔で首を振りました。
「それはできない」
「どうして?」
「どうしても」
私は納得ができなくて思わず彼の手首を掴みました。
「あなたをママとおじいさんに紹介したいの。せっかくお友達ができたんですもの。ママもおじいさんもきっととっても喜んでくれるわ」
けれど彼は首を振るだけでした。私はそれでも諦めがつかず、彼の手首を掴んだまま立ち上がりました。
「ね、行きましょう」
私が少しひっぱると彼は困った顔をしながらもベンチから立ち上がりました。
私は彼の手を引いてあずまやから出て芝生を横切りました。半分ほど来たとき白い蝶々が彼の肩から離れ、その場にふわふわ舞いました。どこかおろおろしているようでした。いつのまにか小鳥たちの鳴き声もやんでいました。日が翳り、風が冷たく感じました。
「雨が降るのかしら」

作品名:彼が居る庭 作家名:真朱@博士の角砂糖