風のごとく駆け抜けて
いよいよ私の出場する女子3000m障害決勝の日がやって来た。
「それでは女子3000m障害決勝に出場する選手をご紹介いたします。プログラム記載通り、12名全員の出場であります」
最終コールも終わり、スタート地点へ並ぶと選手紹介が始まる。
インコースから順に紹介されて行き、各選手が手を上げてスタンドにアピールをする。
それを撮影するために私達の前にはカメラマンがやって来ている。
さすが日本選手権だ。
「マイナーな種目だからテレビ放送は無いかもしれないが、最近は公式ページでの動画配信もあるしな。一応映るつもりできちんとしとけよ。桂水のユニホームを着ている以上、学校の名前も背負っているんだからな」
昨日の夜に永野先生が言った一言が蘇る。
「続きまして原部さん。ロナウテック。原部さんは昨年まで日本選手権この種目4連覇中。さらには日本記録保持者でもあります」
私の3つ隣にいる原部さんが紹介されると、会場中から拍手が起きる。
私も最終コールで初めて見たばかりだが、やはり一昨日の菱川さんのように威圧感がすごかった。
身長は私と同じくらいなのだが、その威圧感のせいか、もっと高く思えてしまう。
一応持ちタイムで言えば、私より速い人はこの原部さんだけだ。
ただ、10分一桁がベストの選手も3人いる。
その辺りでレースが作られて行くだろうと永野先生は言っていた。
「受け身になるな。つねに積極性を持っていけ」
永野先生は私にそうアドバイスをして来た。
もちろん私もそのつもりでいる。
相手が誰であろうと引く気はない。
と、私の前にカメラマンが移動して来る。
「続きまして澤野さん。桂水高校。澤野さんは現在、この種目におきまして高校記録保持者並びに、昨年度のランキング2位であります。また今回、この種目唯一の高校生でもあります」
紹介が終わると手を上げて一礼をする。
スタンドから原部さんの時と同じくらい拍手が起こる。
なんだろう、高校生だから注目されているのだろうか。
ちなみに12人の内訳は、社会人が7人、大学生が4人、高校生が私1人となっていた。
全員の選手紹介が終わり、「位置について」と係員の声がする。
私達がスタートラインに付くと同時に、大きな国立競技場全体が静寂に包まれる。
何千人と言う観客がいるにもかかわらず、静寂に包まれ時が止まってしまったような不思議な時間が流れる。
そしてそれを打ち破る、「パン」と言う乾いたピストルの音。
一斉に動き出す私達。
日本選手権女子3000m障害決勝のスタートだ。
スタートと同時に12人全員が最初の障害へと向かって走り出す。
私は密集した状態で、さらには人の後ろで障害を飛び越えるのが嫌だったので、わざと2レーン辺りで障害を飛び越える。
まあ、私が一番最初に障害を飛び越えたのだが。
そう、言い代えれば私がいきなり先頭へと出たのだ。
でもこれは最初から予定通り。
「原部の3000m障害を調べてみたら、最近は大体最初の1000mは抑えて来てるな。だから澤野が先頭に立つこともあるだろうが、気にせずに行ってしまえ」
昨日の夜に永野先生が教えてくれたこともあり、私はいきなり先頭に立っても気にすることなく、最初から積極的に行く。
なにより自分のリズムで走った方が、障害を飛び越えやすいと思った。
1台目の障害を飛び越え、2台目に向かう途中で横に誰かやって来る。
ちらっと見ると緑色のユニホームが見えた。
たしか、10分一桁を出している大学生だ。
これも永野先生は予測していた。
「10分一桁の選手が最初、澤野に付いて来るかもしれない。だがそれは気にしなくていいぞ。ついて来ても1000mまでだろうから。まぁ、もしかしたら相手の調子が良くて最後まで付いて来るようなことになるかもしれないが、それは落ちついて対処だな。最後の水濠を超えた辺りからスパートで制しても良いと思うぞ?」
2台目の障害は私とその大学生が並ぶような形になった。
この2台目を飛んではっきりと分かった。
永野先生の知り合いが作ってくれたお手製の障害物。
あれはかなり効果があったようだ。
前回の時に比べ、障害の飛び方が上手くなっているのを自分でも感じる。
おかげで随分と落ち着いてレースに臨むことが出来た。
私と大学生が並ぶような形で走っているが、若干相手の息が上がっているのを感じる。これも余裕を持って障害を飛べるから気付けることだ。
多分前回だったら、次の障害に意識が行きすぎて、考える余裕など無かっただろう。
3台目の障害を飛び越え、最初の水濠へと向かう。
この時点で、大学生は私の横から真後ろへ付くような形となった。
そして迎える最初の水濠。
私は障害に足をかけ、思いっきり前へと飛ぶように心掛ける。
これもあのお手製の障害で練習したことだ。
最初はただ遠くへ飛んでいただけだったが、
「実際に水濠が終わる辺りの場所に線を引いておくと目安になって分かりやすかな」
と晴美がアドバイスをしてくれた。
言われて私は、明彩大で木本さんも同じように線を引いてくれたのを思い出した。
前回のレースと違い、一回目からふくらはぎ辺りが水に浸かるだけで済む。
前回は恐怖心から、腰のあたりまで水に浸かってしまった。
私とほぼ同じくらいのタイミングで大学生が水濠に着地する音が聞こえた。
私が水濠から出る瞬間に別の着地音が聞こえる。
「亜美、落ち着いて行こう。先頭と2秒差」
水濠を出てすぐのスタンド上から、女性の叫ぶ声が聞こえる。
原部さんと同じ実業団の人だろうか。
声の主は分からなかったが、原部さんが3位にいるのは分かった
作品名:風のごとく駆け抜けて 作家名:毛利 耶麻