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風のごとく駆け抜けて

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「はいどうぞ」
レストランで食事を取ったあと、参加賞のTシャツに水上さんがサインを書いてくれる。

とある一名を除き、みんなサインを貰ってうれしそうにしている。

「まったく……。なんで舞衣子のサインがそんなに人気なんだ。舞衣子ので良いなら私のだって相当値打が出るぞ?」
「さっきと同じこと言ってる。しょうがないじゃない綾子。水上さんは世界選手権に出てるんだから」
由香里さんの一言に、永野先生はますます不機嫌そうな顔をする。

「綾子先生、大人気ないですよ」
あきれてため息をつく葵先輩。
手にはしっかりとサイン入りのTシャツがあった。

「まぁ、自分で言うのもなんだけどさ。自分の方が綾子より有名になるって、あの頃は想像もつかなかった。少しは綾子の気持ちも分かる気がする」
水上さんは少しだけ苦笑いしながら永野先生を見る。

あの頃と言うのが、具体的にいつのことか分からず、私は首を傾げる。
みんなも首を傾げている辺り、どうやら同じ気持ちのようだ。

「私達が高校3年生の時なんだけどね……」
「あ、高校駅伝ですかぁ」
紗耶が言うと水上さんは笑って見せた。

「知ってるのね。じゃぁ、話が早いわね。駅伝が終わった時の綾子はものすごい人気でね。日本陸上界で知らない人はいないのでは? って思うくらい有名になって。インターハイで優勝した私なんか、綾子にその年の話題を全部持って行かれたからね」
水上さんは懐かしいそうに、どこか遠い目をしていた。

水上さんが話終わると、私達の周りは静寂に包まれる。
その静寂の中でふと永野先生を見ると、不機嫌そうだった顔もいつの間にか元に戻り、なにか考え込んでいる感じだった。

「現役で頑張っている舞衣子の方が有名なのは当然よね。私は過去の人だし。久々に舞衣子に会ったら昔のことを思い出して、ちょっとだけ悔しかったのかな。今の私には何もないし……」

「ねぇ、そんな綾子にひとつお願いがあるの。これはまだ内緒だけど、実は私、今年度いっぱいでもみじ化学を辞めるのよ。正直、もう世界で戦う気持ちも体力も無くなってるってこの前の世界選手権でハッキリと感じてしまったから」

水上さんは、「今日の晩御飯はカレーね」と言うのと同じくらい軽いノリで、ものすごい事実を言ってのけた。

この話を他の陸上関係者が知ったらどう思うのだろうか。

「それでね、熊本にある実業団から誘いが来てるのよ。綾子覚えてる? 私達がもみじ化学に入った時にコーチをやっていた佐藤さん。あの人が監督をやっているの。私にコーチとして来ないかって。コーチと言っても数年後には監督をやってくれって言われてるけど。もみじ化学は実業団駅伝で優勝を狙うために走ってたけど、そのチームはどうやって実業団駅伝に出るかと言うのが当面の目標なんだけどね」

「で? 何が言いたいの? 舞衣子の言いたいことが見えてこないんだど」
「綾子、あなたも一緒にそのチームに来ない? もちろんコーチとして。あなたの経験を生かして、そのチームを強くするのを手伝って欲しいの。あなたの力がどうしても必要なのよ。別に同期のよしみで言ってるんじゃなくて、ランナー水上舞衣子として元ランナー永野綾子を冷静に見た結果として言ってるの!」

水上さんはそれ以上何も言わず、じっと永野先生を見つめる。

「そうね。それも良いかも。てか、舞衣子にそこまで言われたら、行くしかないわよね。いいわよ」
永野先生の一言に、駅伝部メンバー全員が驚きの顔で永野先生を見る。

先ほどとは違う、緊迫した静寂が辺りを包む。

今、永野先生が言った一言はいったいどういう意味なのか。
誰もが、何も言えないでいた。