風のごとく駆け抜けて
「藍子? おーい、山崎藍子様」
半分冗談、半分本気で藍子を様付けで呼んでみた。
そのおかげだろうか、藍子は真っ直ぐに私のところへやって来た。
どうも彼女もジョグをしていたようだ。
永野先生から、今年も城華大付属と旅館が一緒だと聞いていて助かった。
「いったいなんの冗談かしら。澤野聖香。だいたいあなたこんな所でなにをしているの?」
「いや、競技場から走って帰ろうと。そう言う藍子は?」
「それは分かってるわよ。車で旅館へ行く時に、あなたが走っているのを見たもの。ちなみに私はダウンのジョグ。私が聞きたいのは、競技場と旅館の経路からまったく外れたこの場所でなにをしているのかと言うことよ」
さすがに迷子とは言いづらかった。
ましてや藍子に言った日には、なにを言われるか分からない。
「まさか、迷子になったとかなの?」
「違うわよ! 少しでも多く走ろうと遠回りしてるだけ」
とっさにバレバレの嘘をつくが、意外にも藍子は真に受けてしまったようだ。
「本当にあなたイラつくわね。なに? 1500mは楽勝だから調整はいらないって言いたのかしら? だいたい私との勝負を逃げてまで他の種目で勝ちたいわけ?」
「だから表彰式の時に言ったでしょ。うちの高校は顧問が種目を決めるから私達に決定権はないのよ」
それを聞いて、藍子の顔が急に穏やかになる。
「あら、そうなの。まぁ、あの永野綾子さんが決めるのだから、私がどうこうは言えないわね。でもさすがね。あなたが私に負けてショックを受けないように、私達を同じ種目にしないなんて」
どう考えても藍子の思い違いだが、話がややこしくなりそうなので黙っておいた。
「ところで藍子はダウン中? せっかくだから話ながら旅館に行かない」
あくまで自然に藍子と旅館へ行くことを提案すると、藍子ものってくれる。
かった。これで無事に旅館へたどり着けそうだ。
2人で話をしながら旅館へと向かう。
いや、道が分からない私にとっては向かっていると信じたい。
「それにしても、今年の1年生って元気良すぎよね」
私の一言に藍子が不機嫌そうな顔になる
。
「元気が良すぎとかのレベルじゃないわよ。雨宮桂が入部してから練習が地獄なのよ。質も量も昨年より二段階くらい上がってるわ……。先月も走り終わって何度吐いたことか。それに工藤知恵。あの子もとんでもないわよ。あなた、もちろん私のレースを見てるわよね?」
私が頷くと「まぁ、当然のことよね」とぼそっと言った後で、藍子が話を再開する。
どこの女王様かと突っ込みたかった。
「あの子、練習でも私にぴったりとくっ付いて来るのよ。中学の時はソフトテニス部だった1年生が私によ? まったく世の中の理を完全に無視してるわ。2人とも走って無い時は小学生と間違えそうなくらいに幼いのに」
さすがに小学生はどうかと思ったが、3000mの表彰式で見た雨宮桂は確かに小柄で、とても高校生には見えなかった。
ましてや、すごいランナーだとは想像もつかない。
旅館に着いて驚いたのは、車で出たはずの他のメンバーがまだ到着していなかったことだ。
迷った私より遅いとはどう言うことなのだろうか。
藍子が先に入った後で、玄関先で待つこと10分。
見覚えのある車がやって来る。
「ごめんね澤野さん。途中、工事で全面通行止めになってたから迂回したら迷っちゃって。しかも一方通行が多くてね」
由香里さんは、みんなが荷物を降ろしている間、車のドア越しに何度も謝っていた。
永野先生からも、体が冷えていないか心配され、私は結局自分も迷子になったことを言い出せなかった。
大会2日目の朝。何かの物音で私は目を覚ます。
「ごめん。起こしちゃったぁ?」
隣に寝ていた紗耶が小声で謝りながら着替えていた。
時刻は6時。周りを見ても、まだみんな熟睡中だ。
ちなみに今回も全員でひとつの部屋となっていた。
「わたし散歩に行ってくるんだよぉ」
「少し待って。私も行く」
みんなを起こさないように私も小声で答え、急いで着替える。
「わあー、空気が澄んでて気持ちいい」
旅館の玄関を出て深呼吸をすると、冷たい空気が体の奥深くまで入って来る。
「本当に気持ちいいよねぇ。もうすぐ6月とは思えないんだよぉ」
紗耶も私を真似て深呼吸してから、ゆっくりと歩き出す。
「いやぁ、わたしが800mで決勝に残れるとは予想外だったよぉ。しかも準決は本当に僅差だったし」
「まぁ、でも勝ちは勝ちだよ。紗耶、頑張ってたもん」
私が言うと紗耶は照れ笑いをし、それをごまかすように別の話を始める。
「800mは何が良いかって、8人で決勝を行うから、最下位でも8位入賞ってところだよぉ。1500mだと15人くらいが決勝に残っているから、決勝進出イコール8位入賞ってわけじゃないんだよねぇ」
「まぁ、それは確かにあるかも。でも、せっかくだから、ひとつでも上の順位を目指して頑張りなよ」
「あれ? せいちゃんは知らないんだぁ。わたし、予選は流して準決も本当に僅差で決勝に残ったでしょ? はるちゃんが言うには決勝に残った8人の中で、わたしが一番タイムが遅いんだって。つまり、普通に走っても8位の可能性大だよぉ。そもそも800mで決勝に残ったのって人生初だし。正直、8位で当然だよぉ」
今度は照れ笑いなどではなく、本気で紗耶は笑っていた。
20分程度2人で散歩をして旅館に戻る。
部屋に入るとみんなまだ寝ていた。
「見てせいちゃん。ひろちゃんの寝顔可愛いよぉ。この寝顔だけを見ると、とてもすごい選手には見えないよねぇ。ちょっと写真撮っておこうかぁ」
「いや……。寝顔を撮るのは反則ですし」
紗耶の声で起きたのだろうか。
紘子が寝ぼけた声を出しながら、ゆっくりと上半身を起こす。
その顔はまだ随分と寝ぼけ顔で、ちょっとだけ可愛かった。
冗談のつもりで「紘子って可愛いね」と言うと、なぜかまた布団にもぐり、顔を隠す紘子。
「はぁ……。聖香は朝から何をやっているのかな」
いつの間に起きたのだろう。
後ろから晴美が声を掛けて来る。
「本当に聖香って、罪作りな女かな」
それだけ言うと晴美は洗顔道具を持って洗面所へと向かって行った。
作品名:風のごとく駆け抜けて 作家名:毛利 耶麻