風のごとく駆け抜けて
女子800m予選5組目、紗耶の登場だ。
やはり今年も一組15名程度おり、予選はオープンスタートとなっていた。
今年で二度目だがやはり違和感がある。
紗耶はインから2番目の場所からスタート。
100m走りバックストレートに出ると、紗耶を含め3人が先頭集団を形成。
トラックを1周する頃には、その3人と後ろの差は大きく開き、独走状態となっていた。
「よっぽどのアクシデントが無い限り、藤木の準決勝進出は確実だな」
スタート前は緊張感を漂わせていた永野先生も、安心したのだろうか姿勢を崩し、レースを見始めた。
ラスト150mのところで紗耶が一度後ろを振り返る。
それと同時に3位を走っていた紗耶と2位の選手の差が広がり始める。
「ちょっと、紗耶! あと少しでしょ、頑張りなさいよ。てか、紗耶ったら後ろを振り返って、余裕無いじゃん」
麻子の叫びに私と永野先生は首を傾げる。
「いや、先生が駅伝前に教えてくれたんですよ。後ろを振り返る奴は余裕が無いって」
麻子が必死に説明すると永野先生は苦笑いしていた。
「ああ、そう言えば確かにそんなこと言ったな。だが湯川、時と場合によるぞ。今の藤木はあきらかに手を抜くために振り返ったんだ」
永野先生の言う通り、紗耶は後ろを見たあと、誰が見ても分かるくらいにペースを落としていた。
それでも4位との差は50m近くあった。
「そう言えば、麻子って昨年1500mに出た時は出だしで扱けて、必死に前を追っていたもんね。予選、決勝とある場合は、ラストで体力を温存するのも作戦のひとつよ」
私が教えると麻子は「でも手を抜くみたいで嫌だな」と言いつつも、一応理解はしたようだ。
紗耶は最後60mを完全に流して、組3位で準決勝へと駒を進めた。
流しただけあって、ゴール後も随分と余裕そうだった。
「いやぁ、無事に準決勝に進めて良かったよぉ」
「何よ。ラスト150mから後ろを確認して流していたくせに」
紗耶が私達の所に帰って来ると、朋恵に知識を披露できなかった腹いせか、麻子はさっき覚えたばかりの知識で突っ込んでいた。
「何はともあれ準決進出おめでとう。昨年の久美子みたいに予選で力を使い果たしていないようだから、準決も期待出来そうね。よし、うちらも頑張るわよ」
「ですね」
「はい」
葵先輩に続き、麻子、紘子と3000m出場メンバーが立ち上がり、アップの準備を始める。それに付き添って朋恵が一緒に出掛けて行った。
みんな忙しそうだ。
2日後にレースと言うのは予想外に暇だと、この時初めて気が付いた。
定刻通りに始まった3000mタイム決勝3組目。始まると同時に競技場全体が異常な盛り上がりを見せる。
その要因は先頭を走る2人だ。
「城華大付属高校、雨宮さん。桂水高校、若宮さんを先頭に、まもなく1000m。1000mの通過は2分台。2分58秒。2分58秒であります」
まさに圧倒的な速さだった。
スタートと同時に2人は飛び出した。
雨宮桂の後ろにぴったりと紘子が付いて行く。
お互い、ペースを緩める気はまったくないらしい。
3位を走る藍子ですら、すでに30m近く離されていた。
その藍子の後ろにぴったりと付いているのは、先ほど話に上がった工藤知恵だった。
1年生ながら藍子に付いて行くその姿には、敵ながら感心してしまう。
2人から3m後ろを麻子と葵先輩が追っている形だ。
タイムだけをみるなら葵先輩の1000m通過は昨年よりも5秒早い。
この一年間で葵先輩も確実に強くなっているのが分かる。
「雨宮はまぁ計算内だが、工藤は完全に計算外だな」
永野先生は少しだけ不機嫌そうにしていた。
確かに藍子レベルで走れる人間がもう1人いると言うのは、桂水高校から見れば、マイナス以外の何物でもない。
「でも、人数的に考えたらわたし達の方が有利ですよねぇ」
「どう言うことだ? 藤木?」
「いえ、雨宮さんとひろちゃんでしょ。山崎さんとあさちゃん、あおちゃん先輩と工藤さん。今、3000mに出てるメンバー同士でここまでは対等ですよねぇ。でもうちはまだせいちゃんが残ってますよぉ?」
紗耶の説明が終わると同時に、永野先生がパッと私を見る。
「あぁ……」
「綾子? あなた今、完全に澤野さんの存在を忘れてたでしょ?」
「いや、決してそんなことはないわよ。ただ、3000mを見てたら、そのメンバーだけで考えていてね……」
永野先生にしては珍しくおどおどしていた。
「聖香、間違いなく忘れられていたかな」
晴美が私を見て笑う。
私もこの状況に笑うしかなかった。
そんなやり取りをしているうちに、レースが若干動く。
工藤知恵が藍子から徐々に遅れ始め、麻子がそれを捕らえ前へと出た。
これで麻子は4位へ上がり、工藤知恵は5位となる。
麻子と前を走る藍子の差が3秒程度。
しかしよくよく考えてみると、麻子もとんでも無い才能を持っている。
高校から本格的に走り初め、わずか1年で藍子と同等のタイムで走っているのだ。
私が駅伝で負けた理由も大いに分かる。
もし麻子が中学生の時から走っていたら、私は県チャンピョンになれていなかったかもしれない。レースを見ながらそんなことを真剣に考えていた。
先頭争いに決着がついたのはラスト80m。
ラスト200mから雨宮桂と紘子はラストスパートに入り、ラスト100mで横に並ぶ。
でもそれも20mだけだった。
雨宮桂はさらにもう一段スピードを切り替え、紘子を突き放すと9分11秒54で優勝。このタイムは大会新記録だった。
紘子が9分12秒99で2位。
その後3位から6位までは次々と選手が入る。
3位が藍子で9分24秒87、4位が麻子で9分29秒73、5位に工藤知恵。
6位は葵先輩で9分34秒26だった。
「大和先輩も麻子も自己新かな」
オーロラビジョンに映し出される記録をプログラムへ記入しながら、晴美は自分のことにように嬉しそうにしていた。
「若宮に雨宮、工藤。今年の1年生は元気いっぱいだな」
永野先生の一言に私は激しく共感する。
それを見て晴美が笑う。
「聖香に山崎さん、麻子。今の2年生も対して変わらないですよ」
晴美の一言に、永野先生は「言われれみればそうだな」と納得の表情だった。
作品名:風のごとく駆け抜けて 作家名:毛利 耶麻